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忘れ去られた存在
「……あらあ」
ジーンの低い声がさらに低くなる。怖い。
「少年、あなた、本気?」
そう訊かれて、僕はぶんぶんと首を横に振った。
「そんな約束してません! 困ります!」
「……そうよねえ」
ジーンの口元がわずかに緩み、その視線がクリスティアナ様へと向けられた。「そろそろ、あなた様も行動を慎まれてはどうですか? あなた様がお姉様思いなのは認めましょう。しかし、ジュリエッタ様はあなた様より年上で、あなた様よりしっかりなされている。あなた様が心配するのは勝手ですが、無責任な行動をされると国王陛下が責任を負うのですよ」
「勝手って」
クリスティアナ様は一瞬、泣きそうな顔をした。でも、すぐに苛立ったように魔術師を睨みつけたが、そこには力が感じられなかった。
「お姉さまがあまりにも緊張してるみたいだったから……」
「あなた様が解決してあげようと?」
「そんな言い方、酷いじゃない!」
「私は性格が悪いんで仕方ないです。とにかく、クリスティアナ様はご自分の部屋に戻って、そこの少年も自分の仕事に――」
ジーンはこの話を簡単に終わらせようとした。そして多分、ほとんど成功していたのだと思う。
僕が庭師としての平凡な日常に戻れる唯一のチャンスだったと思うのに。

「ジーン。話があるのだけど」
急に、扉が開いて声が飛び込んできた。
僕らの視線が一気にそちらに向いて、その声の持ち主が戸惑ったように息を呑んだのが解った。
「クリスティアナ、あなた、ここで何をしてるの?」
「ジュリエッタお姉さま」
クリスティアナ様が小さく名前を呼んで、困ったように頭を掻く。「ちょっと、暇だったから遊んでたの」
「そう……私はちょっと話が……」
ジュリエッタ様が眉根を寄せ、少し考え込んだ。
ジュリエッタ様はクリスティアナ様とよく似た顔立ちをしていたが、その雰囲気は全然違う。
知的な眼差し、たおやかな仕草。長い銀髪は緩く結い上げていて、細い首筋が印象的だ。

僕は居心地がとにかく悪かった。少しずつ後ずさり、できるだけ目立たない場所に隠れようとして、こっそり辺りを見回した。
そして、本棚に並んだたくさんの分厚い本を見て、その中に薬草学のタイトルを見つけて興味を持った。
貸してもらえるわけはないよなあ、なんて落ち込んでいる間に、ジュリエッタ様の話が進んでいた。

「舞踏会のお触れを出してから、すぐに色々な国から返事がきたわ」
ジュリエッタ様の声は落ち着いていたが、少し困惑していた。「全部、出席するって返事ばかりだけど……ちょっと、多すぎないかしら?」
……多すぎる?
僕はその声に奇妙なものを感じてジュリエッタ様の方を見る。
この部屋が薄暗いせいか、あまり彼女の表情は見て取れない。
ただ、不安そうなのは確かだった。
「正直にいって、この国は大きくないわ。確かに平和でいい国だけど、何というか……ここまで反応があるということが変な気がするの」
「そうかしら?」
ジーンが優しく応えた。「平和であるということは、一番の魅力でしょ? 私だったら、戦争やら内乱やらある国には仕えたくないもの」
「考えすぎ?」
「考えすぎでしょうねえ」
「……それならいいけど」
ジュリエッタ様が僅かに安堵したようにため息をついた時、クリスティアナ様が小さく唸る。
「うーん、何かあるような気がするなあ」
ジーンがその言葉を聞いて、笑みを消した。
「何が? 動物的勘?」
「うん、まあねー」
彼女は無造作に笑う。飾り気のない笑顔。
そこで僕は突然、クリスティアナ様がとても可愛い人なのだ、と気づいた。
顔立ちとかの問題じゃなく、多分、内面的な何か。
わがままっぽい行動に隠れているけど、その影になっていた本当の彼女の姿は、何というか、とても親しみやすい感じがする。
「クリスティアナ様はたまに嗅覚が鋭いから困るわ」
やがて、ジーンは困ったようにため息をこぼした。「魔術師である私より色々なものに敏感だし、言いたくないけど正直、驚かされることもあるのよね」
「たまには素直に褒めなさいよ」
クリスティアナ様が唇を尖らせた。
「厭です」
ジーンは満面の笑みで返す。
「性格わるーい」
「それには自信あるわあ」
少しだけその場の空気が軽くなった気がしたけれど、すぐにそれはかき消された。
「それより、私はどうしたらいいの?」
ジュリエッタ様が突然、泣き出しそうな声を上げた。「近隣国の王子様たちが無駄に大量にくるのよ? その有象無象の中から婿を一人選ばなきゃいけないのよ? 大体、男性と会話なんてほとんどしたことないのに、会話してダンスしてなんて……無理に決まってるわ! 誰か、くじ引きを用意して!」
「はいはい、落ち着いて」
段々激高して肩を怒らせるジュリエッタ様の肩を、ジーンが優しく叩く。
やっぱり姉妹だからなのか、ジュリエッタ様はクリスティアナ様とよく似ている。顔だけじゃなく、中身も。
僕が部屋の隅で大人しくしていると、ふと、ジュリエッタ様が僕の存在に今気づいたかのように目を留めて息をのんだ。
「あなた、誰?」
ジュリエッタ様がそう言って、多分クリスティアナ様も魔術師も僕の存在を忘れていたに違いない。
「あ」
「あっ」
二人がそう同時に声を上げるものだから、僕は何とも情けない表情でただ頭を下げるしかなかった。

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あきゅろす。
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