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―side RAKUHA―
「別にお前を襲う気はねえから入れ。話があるだけだ」
ノアの房の前で立っている俺にノアは真面目な顔をして声をかけた。
俺は一応ある程度ノアとの距離を保ちながら促されるままに中へと入った。
ノアの房はノアの箱船の丁度真ん中辺りにあり、刑務所内の檻の中と言うよりは、どこかの町外れにある古いアパートの一室のような佇まいだった。
通常の房よりも室内は広く、ベッドも2つあるが、もう1人同室の囚人がいる気配はなかった。壁際に設置された緑がかった薄茶色の二人掛けのソファーには、先程まで誰かそこで寝ていたのか黒い猫が描かれた薄手の毛布が脱ぎ捨てられたままになっている。
壁の絵が見えない程に隙間なく飾られた写真や勲章、手紙の数々、そして書棚、酒や煙草等が入った複数の木箱が視界に入った。
それはきちんと定められた場所に収まっていて圧迫感は感じない。
そこは刑務所にいるとは思えない程外の世界の物で溢れていた。
広さ的に2つの房の間の壁を取り払ってあるようだった。
俺はノアに促されるままに、ノアが腰を降ろしたベッドの向かい側にあるもう1つのベッドに腰を降ろした。
「…あんた軍人だったのか?」
ベッドはしわ1つ見当たらず綺麗にベッドメイキングされている。
この男は意外にも綺麗好きなのか、軍人時代の習慣なのか。なんだか奇妙な感じがした。
壁に飾られた写真を見ながら俺がそう言うとまあちょっとな、とノアは適当な返事をする。そして木箱の1つから何かを探し当てると俺に投げて寄越した。
「それはこの間の礼だ。お前は菓子や煙草よりもそっちの方がいいと思ってな」
ノアから受け取った物を確認すると、それは真新しい鉛色の腕時計だった。
「…礼ってなんの事だ?」
ノアに恨まれるような事をした記憶はあっても礼を言われるような事をした記憶はない。
何かの罠かと思い疑り深く腕時計を確認しているとノアは怪訝そうな顔をしながら煙草を咥えた。
「お前…この間食堂でウチの囚人をチェシャ猫から逃がしてくれただろ、それの礼だ。
お前的には助けたつもりはないんだろうが一応な。
因みにそれは、随分昔にクソ可愛くねえ後輩に貰った時計で、捨てるに捨てられねえのをお前にやっただけで別に妙な細工はしてねえよ。物はいい筈だから精々大事に使え」
俺はノアのその言葉を聞いて、チェシャ猫が食堂で騒ぎを起こしていた時の事を思い出した。
そう言えばそんな事もあったな。いろいろありすぎてすっかり記憶から抹消されていた。
「いいのか?そんな大事な物を俺に渡して」
俺がそう言うと、ノアは何か嫌な事でも思い出したのか不愉快そうに顔をしかめた。
「別に全然全くもって大事なもんじゃねえから別に構わねえよ。俺からの一種の友好の証ってことにしておけ。貸せ、つけてやる」
ノアからは特に俺が身の危険を感じるような気になる様子はなかった為、俺は言われるままに左腕を差し出した。
煙草を咥えたまま慣れた手つきで器用に時計のベルトを調節するノアの様子を観察する。
普段はこういう風にノアの箱船の囚人の面倒をみてやっているんだろうか。
俺が警戒しているからか、俺の腕に触れないようにしているのがわかった。
そもそも何で軍人が刑務所なんかにいるんだ?
他にも気になることは山程あったが、今はあまり時間がない為詮索しないように努めた。
「…似合うじゃねえか。お前にやって正解だな」
俺から離れ煙を吐きながらそう言うノアに、俺は何故かむず痒さを感じた。
「別に助けたつもりは微塵もねえけど…ありがとう。大事に使わせてもらう。
…腕時計をつけるのは初めてだ」
俺が見慣れない物がついている自分の左腕を眺めながらそう言うと、ノアは何故か少し驚いたような顔をした。
「…気にいったんなら何よりだ。動かなくなったら直してやるから言え。初めてお前が年相応に見えたぜ」
「あんたから見たらみんなガキに見えるんだろうな」
物珍しそうに文字盤を見つめる俺を面白そうに見つめながら、ノアは一瞬だけ遠い記憶を思い出すように視線を彷徨わせた。
「…そういえば、なんでも夜中の12時になると文字盤の所に花が浮かび上がってくるとかなんとか言っていたな…。興味ねえから何の花だったかは覚えてねえけど」
「花?これをあんたに贈った相手は花が好きな奴だったのか?」
「いや、あいつにそんな可愛らしい趣味はねえとは思うが…頭がよくて博識な奴だったからもしかしたら何か意味があるのかもな。まあ別に俺は興味ねえし、そんな事はどうでもいい」
ノアは一度煙草を口から話すと話を切り出した。
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