『想い』
『なんで遠くに行くの?』
そう聞いた俺に、
『ちょくちょく帰ってくるからさ。』
アイツはそう笑ったんだ。
まだ、幼さが残る中一の冬だった。
「今度の連休、お兄ちゃんが帰ってくるんだって。」
「ふーん…。」
興味なんてまるでないように返事だけして、染めたばかりの髪を勢い良く拭いた。
「嬉しくないの?あんたら会うの久しぶりじゃない。」
洗面所から近い台所で、無神経に発せられた母の言葉に手を止めると、
…嬉しい?誰が?
「別に。」
もうこの話は終わり、と遮るようにドライヤーをかけた。
嬉しいわけがない。
コウジは、
…アイツは、俺を捨てたんだ。
「ただいまー。」
待ち望んでいない連休がやってきた。
昔よりも少し低くなった気がする声に、反射的に身体を起こすと、
やっぱり聞かなかった事にして、そのままベッドに寝転んだ。
自分の部屋で雑誌を広げていた俺は、殆ど2年振りに会う兄の帰りを喜んでなんかいない。
いつもいつも狙ったかのように俺の留守にやってきて、俺の戻る前に帰っていく兄。
…そんなヤツ、もう知るもんか。『母さん、これお土産。』
『あ。ありがとー!』
1階から聞こえてくる楽しげな会話に耳を澄ませて、
『ケンジは?』
『ケンジなら、部屋にいるわよ。』
『ほんと?ケンジに会うの久しぶりだなぁ。…泣き虫は治った?』
2年も前の話を持ち出して呑気に笑っている声に余計腹が立って、読んでいた雑誌を投げ捨てると、頭まで毛布を被って寝たふりを決め込む事にした。
トン、トン、トン…。
軽快なリズムで近付いてくる足音は、多分もしかしなくてもこっちへ向かってくるんだろう。
コンコンッ。
「ケンジ?開けるぞ。」
ノックの音がして、ドア越しに呼ばれた声に更に身を潜めると、
いいなんて一言も言ってないのに、勝手に部屋に侵入してきた。
「…寝てる。」
少しガッカリしたような口調だったが、
ざまあみろ、と頑なに狸寝入りを決め込んで、
それでも、
こっちに近付いてくる足音を、何故か期待しながら待っていたんだ。
ギシ、
ベッドが沈んだ。
ゆっくりと毛布が捲られるのが、狂おしい程もどかしい。
瞑ったままじゃ見れるわけないのに。
「…ケンジ。」
名前を呼ばれた。
今度はドア越しなんかじゃなくて、
ちゃんと、近くで。
もちろん、返事なんかしてやらないけど。
「ケンジ。」
頭を撫でられ、身体の芯が甘く痺れて行く。
「寝てるの?」
いくら待っても返事がない俺に、それでも撫でるのを止めなくて。
「いつのまか大きくなっちゃって。」
…田舎のおばあちゃんかよ。
「髪も茶色いし。」
…うっさい。
「2年振りだもんなぁ。」
…そうだよ。
もう、2年だよ。
じわじわと広がっていく寂しさと切なさに、少しだけ、泣きたくなった。
…でも、別に会いたくなんかなかっただろ?
だって、いつだってアンタは…
「会いたかったよ。
凄く、凄く会いたかった…。」
ドクンと心臓が鳴った。
本当は、ずっと聞きたかった言葉に唇を噛んで、
『俺も会いたかったよ。』
なんて、絶対に言いたくないけど。
本当に顔も見たくないくらい怒ってたけど。
撫でられる心地よさと居づらさにゆっくりと目を開けた。
「おうっ」
「……。」
なんて間抜けな驚き方だろう。
タヌキだなんて微塵も思ってないらしい驚き声に、間を取るように身体を起こすと、
「…ひ、ひとの部屋に勝手に入ってくるなよ!」
そんな事言うつもりなんかなかったのに、気が付けば口走っていた。
「!
……ごめん、な。」
苦笑いで部屋を出て行く兄を見送りながら、自分で言った言葉にこんなにも後悔しているなんて。
…傷付けた。
おかえりすら言ってない。
嫌われたくないって思ってるのに、
嫌われる事しちゃってんじゃん。
まだ余韻の残る髪に触れて、
「コウジ…。」
自分より小さくなった兄の手を想像して拳を握った。
俺の方が、もっと会いたかったんだよ。
だって、俺はコウジが…。
その先の言葉を胸にしまって、
「どうすっかなー…」
まだ俺は、その答えを決め悩んでいたんだ。
…continue
2010/6/3 *緒神
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