『甘い染み』
『お兄ちゃん!』
そう言って、弾けるような笑顔を浮かべ抱き付いていた昔が懐かしい。
「オイ。」
「……。」
「なあ、」
「……。」
「呼んでんだからシカトすんなよ!」
どっぷりとソファーに身を任せたまま、さして面白くもないバラエティー番組を眺めていた俺の肩を、半ばキレ気味に掴んだのは、昔の可愛さの欠片もない弟のケンジだ。
「…俺の名前は、“オイ”でも“なあ”でもないんですけど。」
意地悪く唇を尖らせてそっぽを向くと、
「ガキみてぇ。
風呂、空いたから入れば?」
…本当、可愛くない。
5つも歳の離れた弟は、泣き虫でお兄ちゃんこだった面影をどこかに吹き飛ばしてしまったようだ。
…昔は何かっていうと、『お兄ちゃん、お兄ちゃん』って俺の後を付いてまわって可愛かったのに。
大学進学の為、隣の県に一人暮らしを始めてから2年。
その間に弟はすっかり変わってしまった。
高校生になった弟は、黒かった髪を明るい色へと変え、体格もガッチリして、お兄ちゃんとも呼ばなくなった。
…変わってる筈だよな。
帰省する度に、いつも部活だなんだで、サッパリ会えず、殆ど2年振りなのだ。
横目で見たケンジは、スエットパンツに上半身は裸。頭からタオルを掛け、冷蔵庫を漁っている。
…しかし、イイ体してるよな。
運動部だった所為か、適度に付いた筋肉と締まった腰回り。
大学に入ってからすっかり運動不足な俺とは大違いだ。
「…何ジロジロ見てんだよ。」
俺の視線に気付いて不満げに背中を向けた。
「別に〜。」
…羨ましいなんて口が裂けても言ってやるもんか。
「ったく、何にも入ってねぇ。
自分らばっかし美味しいの食べてさー。」
夫婦水入らずでディナーに出掛けた両親に不満を漏らし、
「…詰めろよ。狭い。」
偉そうに俺の隣に腰を下ろして、狭いと言う割に胡座をかいた。
…図々しくなったものだ。
肘掛けに寄りかかるフリをして盗み見た。
いつの間にか、同じ高さになった目線。
適度に日焼けした肌は、風呂上がりで上気して、
柔らかそうな唇は冷凍庫から出した棒アイスを…って、
「俺のじゃん!!」
「チッ…バレたか。」
そう片眉を下げて笑う顔だけは昔と変わっていなかった。
「あ、あとで食べようと思ってたのに。」
「いいんだよ、コウジは直ぐにお腹壊すんだから。」
「!
子供扱いすんな、弟のクセに!」
…しかも呼び捨てだと?
生意気だ!許せん。
「腹出してアイスなんか食べたら駄目だろ!」
「俺のバディが羨ましいって正直に言えよ、コ・ウ・ジ。」
「お兄ちゃんと呼べ!」
はいはい、なんてからかわれて、これじゃどっちが年上なんだか…。
「はぁ。」
こんな筈じゃなかった。
わざわざGWを潰してまで帰省した俺の期待を悉く打ち破りやがって。
…せっかく、帰って来たのに。
昔のようにとはいかないが、兄弟で一緒に出掛けたり遊んだりするのを楽しみにしていた俺は面白くない。
せめて、前みたいにお兄ちゃんって…
「お兄ちゃん。」
え?
不意に懐かしい呼び方をされて振り返ると、
「あぐ!?」
冷たい感覚が口に広がった。
「半分こ。」
溶けかけた甘いアイスが、棒を伝ってポトリと落ちた。
視線が絡まるほどの至近距離で、自分の指先に付いたアイスを舐め取るケンジは、
「溶けるよ?」
歯並びのいい口を開けると、
ぱく。
唇に触れるか触れないかのギリギリの距離で、食わえたままのアイスにかぶりついてきた。
「!?」
ペチャ。
ひと口で上半分をほぼ食べきり、ついでに舌で舐めとった後、
「もーらった。」
「え?…あー!!」
離れた瞬間、残りのアイスが棒から滑って俺の胸元に落下した。
「冷たっ!
おい!こらケンジ!!」
「あはは。」
悪びれる様子もなく、笑いながらリビングを出て行くケンジは、反省するつもりなんて微塵のないみたいだ。
「どうすんだよ、これ…。」
一人になったリビングでシャツに向かって溜め息を吐く。
じわじわと広がる甘い染みは、どうやら服だけでなく皮膚の奥まで侵食し出したみたいだ。
「…じゃなかったら、こんな気持ちになるわけない。」
…絶対に、
そんなはずはないんだ。
テレビから場違いな笑い声が流れる中、全然笑えない気持ちで服ごとアイスを握り潰した。
…continue。
2010/5/7 *緒神
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