Novels
彼の隣
「あれ、本やん?」
懐かしい呼び名に思わず振り返った。雑踏の中、真っ直ぐにこちらに向かってくる人影を見つけたからだ。あまりの驚きに買ったばかりの参考書を落としそうになった。それ程に、この再会は衝撃だったのだ。
「……山ちゃん」
開いた口から小さく相手の名前が零れる。掠れ声しか出ないかもしれないなどと思ったがそんな事は無いらしい。
自分より10センチ近くあった身長差は俺が伸びたせいか更に広がっていた。
「久しぶり。大学こっちだっけ?」
「買出しだよ。こっちの方が種類あるしさ」
先程までの戦利品を見せて笑いかけると山ちゃんは変わらない笑顔で『そっか』と笑う。俺は言葉が出なくなる。高校の時はクラスが一緒にも関わらず山ちゃんと二人きりと言うのはあまり記憶に無い。
授業以外は大体まさやんや慎吾が遊びに来ていたし、俺が山ちゃんと距離を取っていたと云うのもある。
『スキだよ、本やん』
もう何年前になるだろうか、彼の口から告げられた突然の言葉を思い出すと今でも顔が赤くなるのを感じる。
俺は逃げた、山ちゃんから。俺の本当の思いから。
恐かったんだ、山ちゃんと一緒にいることで今までと違う俺になっていくのが。
「山ちゃん、一人なのか?」
「ううん、連れがいたはず…あれ?」
そう言って振り返った山ちゃんは『しまった』という顔になる。俺もその方向を向いて無言になった。
「……いなくね?」
「うん………あ、いたいた」
野球部の誰かだろうか。安心したような声を出して手を振り山ちゃんの背中を見ていた俺は近づいて来た彼の『連れ』に言葉を失った。
「ちょっと圭輔!置いて行かないで!」
「ゴメンゴメン。知り会いと会ったもんだからさあ」
その連れはどう見ても女だ。そしてどう見てもかなり親しい。
『彼女?』
そんな考えが浮かび上がった。多分、間違いでは無いんだろうけど。
「やだ、カッコイイじゃない?」
「あはは。惚れちゃダメだからねー?」
俺の方を見て表情を一変させるその女を見て俺は耳を塞ぎたくなった。なぜかは判らない。ただ、山ちゃんの隣にいるのが女だと言うことにとてつもない嫌悪感を覚えたのだ。
「なんだよ山ちゃん。彼女?」
上手く笑えない。そもそも上手く『笑う』ということはどのような事だっただろうか。
「え?ナイショー」
「内緒にするような事なんてあるの?圭輔」
そう言って隣の女と笑う男を俺は知らない。いや、山ノ井圭輔だと云うことは判る。しかしその山ノ井は俺が知っている『山ちゃん』ではない。
このように、女に笑いかける山ちゃんを、俺は知らない。
俺は今上手く笑えているのだろうか?
今だけじゃない。高校の時山ちゃんから逃げて、上手く笑えていたのだろうか。
『お前は感情を隠すのがヘタすぎ』
こんな事を雅也に云われたことがある。(高校時代、俺は彼の事をまさやんと呼んでいた)
別にそれを疑っているつもりはない。しかしそれが本当だとしたら、俺はあの時も、今も。どんな感情を表に出しているのだろう?
そして山ちゃんは俺がどんな感情を抱いていると思うのだろう?
「圭輔。映画始まるよ?」
「あ。本当だ…じゃあね、本やん」
「ん。またな、山ちゃん」
隣の女に腕を引かれて俺に手を振る山ちゃん。その山ちゃんに笑いかけている俺。
頭が痛い。それは山ちゃんのせいなのか俺のせいなのかは判らなかった。
「……裕史!」
「…山ちゃん?」
「また会お…ね?」
そう言って山ちゃんは今度こそ歩き出した。俺は雑踏に紛れていくその背中をただ見つめるだけだ。
あぁ、俺は高校時代、山ちゃんに告白されてどんな想いを抱いたのだろうか。少なくとも嫌悪じゃなかったはずだ。
『裕史』
初めて『本やん』ではなく名前を呼ばれた気がする。その時感じた微かな痛み。
その痛みの名前がなんなのか、俺は知らない。
END
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