short
長編サンプル 吉良吉影の穏やかな休日
コーヒーの香りで目が覚めた。目覚まし時計を見れば、時刻は午前七時前。
ああ、きっとあの子が淹れてくれているんだろう。私のために、成長途中の綺麗な手で。そしてコーヒーが冷めないうちに私を起しに来るんだ。
「吉良さん、朝御飯出来てるので起きて下さーい」
穏やかな声と襖を開く音。ほら、思ったとおりだ。
ヒロインが布団の側面にしゃがみ込んだ気配がする。私を揺り起こすつもりなのか掛け布団越しに手の柔らかな重みを感じた。
「吉良さん、起きて下そぉいっ!」
私の穏やかな朝が終わりを告げる。
珍妙な掛け声と共に一瞬にして布団が引き剥がされた。当然ながら、朝の冷気に触れた私はゆっくりと起き上がる。
きっと不機嫌な顔つきになっているであろう私が見たのは、掛け布団を抱えて笑うヒロインの姿だった。
「寝起き姿も格好いいですね、吉良さん!」
「…君は朝の挨拶すらまともに出来ないのか」
そう呆れた風に言ってやっても目の前の同居人はひたすら嬉しそうな笑顔を浮かべている。
それなりに昔から知っている彼女だが、どうしてこんな女性に育ってしまったのだろうか。天然を通り越して悪意すら感じる。
「はぁ…」
漏れてしまう溜息はもう仕方のない事の気がしてきた。
そんな彼女ではあるが、共働きの両親がいたおかげで家事全般の類は得意らしく私としてもかなり助かってはいる。
まぁ、感謝すると調子に乗るから口にはしないのだがね。
水の流れる音、食器が軽くぶつかり合って出る甲高い音。ようやく穏やかな休日の朝がやってきた気がする。
さて、私は彼女のためにハンドクリームを用意しよう。ゴム手袋をしているとはいえ手が荒れては大変だ。
「ヒロイン、それが終わったらこっちへおいで」
和室から台所に向かって声をかけると、元気そうな声で返事が返ってきた。それだけで胸の奥に暖かな火が灯る。この私にまだそんな感情が残っていたとは思いもしなかった。
「どうしました、吉良さん。
…なんだか、嬉しそうですね?」
無意識に笑っていたのかヒロインが不思議そうに私を覗き込む。キラキラとした瞳に至極穏やかな男の顔が映っていた。
「ふっ、なんでもないさ」
「えー、気になりますよぅ。
…あ、もしかして私と結婚してくれる気になりました?」
彼女はハッとしたかと思うと、ニヤニヤしながらすっとぼけた事をぬかす。
「何を言っているのか理解できないが、
私に君と付き合った覚えすらないな」
放った言葉に反して柔らかい声が出た。
我ながら驚いたが、これはきっと胸の奥の暖かな火のせいだ。そうに違いない。
「さ、馬鹿げたことを言う暇があったらそこへ座りなさい。
ハンドクリームを塗らないとね」
「はーい」
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