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蔵の中 9



夜汽車の中で、俺はどうにもならない焦燥感に全身を支配され、自分自身の手を握り締めて座っているのがやっとだった。
こうしている間にもクラウドは――。
そう考えると吐き気すら込み上げてくる。
窓の外を過ぎてゆく真っ暗な景色も、ただただ闇雲に俺の不安を煽った。
父の話では未だ火の勢いは衰えず、中に彼が居るのかどうかも定かではないらしい。

早く。
早く俺を彼の元へ連れて行け。
それだけを祈りながら俺は汽車の到着をひたすら待った。
空が白んできても睡魔など欠片も訪れない。早く故郷の景色が見えてこないかと乾いた目を凝らした。



早朝、駅に着いた俺は家までの道を走った。
息を切らし、実家の門に辿りつく。
玄関にも上がらず庭を横切り蔵へと向かった。
離れの土蔵は変わらず其処にあったが、小窓から噴出したすすで黒く汚れた白壁が火災の跡を残していた。
煙の匂いが立ちこめ、消火の為の水も辺りをぐっしょりと濡らしている。

俺は扉を開け、中に入って愕然とした。
何も無い。
何も無いのだ。
彼が読んでいた書物も、使っていた机も。座布団も、寝具も。
焦げて真っ黒になった蔵の中には何ひとつ残っていなかった。隅の方に積んであった薪も炭も何もかも。

がくがくと震え、今にも崩れ落ちそうな膝を何とか支えて、見渡してみる。
いつもクラウドが座っていた辺りに視線を投げた。
あるはずの姿が無い。
どうして。
彼の居場所は此処しか無かったはずなのに。


「わ…あああ!」


俺は声ならぬ声を上げ、彼を探した。
蔵じゅうを這いずり回り、欠片でも良いから、という思いで。
瞬きも忘れて時折慟哭を吐き出しながら。
手がすすだらけになって床と区別がつかなくなっても。
必死に彼を探した。


いつの間にか戸口に父と姉が立っていた。
気付いた女中が呼んできたらしい。
二人とも呆然と見ている。
構わず俺は床を這い回り続けた。
「スコール、あなたどうしちゃったの」と姉が半分泣き声で叫んでいたが、狂ったように彼を探す耳には届かなかった。
早く。早く見つけてやらなければ。
と、床や壁を擦る手に自分より一回りほど大きな手が重ねられた。


「スコール」


父だった。
邪魔をするな、と振り解こうとして、父の静かな瞳を見て少し我に返った。


「スコール、私の部屋に来なさい」


毒気を抜かれたように大人しく父に着いてゆく。
困惑を隠しきれない様子の姉に申し訳なく思ったが、何を言えばいいのかもわからない。

父の書斎に通され、促されるまま椅子に腰掛けて話を待つ。
しばらくの沈黙を置いて、父は口を開いた。


「…クラウドのことだ」
「……」
「確かに大きな火だったが、何も残らないのはおかしい」


冷静になって考えてみればその通りだ。
しかしそれならば、彼は一体何処へ行ってしまったんだ。


「スコール、すまなかった。私は彼のことをお前の遠い縁者だと言ったが」
「知っている。俺の叔父なんだろう?」
「…そうだ。つまり、私の弟だ」


クラウドに聞いたとおり、彼が祖父の子供であることは確からしい。


「私が父から家督を継いだ頃、若い娘が女中としてうちに来たのを覚えている。美しい娘だった」


柔らかな青の瞳。金糸のような髪。
病的とも言える白い肌と、そこはかとなく漂う花の香。


「父がその娘と通じているなんて想像もしなかった。母からその話を聞いたときにはもう、父はこの世になかった」


ましてや子を成していたなんて。


「慌てて蔵に行ったら、娘と幼い子供が居た。可哀想に娘はほとんど正気を無くしていた」


こんな蔵に閉じ込めていては不憫だ、と思い母屋の部屋を与えることにした。


「しかし、駄目だった」


子供を母屋にやっても、すぐ蔵の中へ戻ってしまう。母親に至っては嫌がって泣き、蔵から出ようともしない。


「仕方なく住まいはそのままで、教育だけでも施そうと本を与えた」


信じられない速度で本を読む子供。
次々に新しい書物を欲しがり、次第に難しい内容のものを求めるようになる。
文学書。教科書に、洋書。辞書。歴史書。数学書。医学書。


「学校へ行かせる歳になるまでにはもう、その子に勉学は必要ないことは明らかだった」


しかしこんな狭い蔵の中では社会性も協調性も身につくはずがない。同じ歳頃の子供と遊んだこともないのだ。
だが、彼は学校へ行くことを拒否した。


「俺が居てやらないと母が泣くのです」


あどけない唇から出た、不相応な口調。
幼い瞳に宿る意志。


「…やがて母親が亡くなっても、彼は蔵で暮らし続けた」


一度、どうしてもと言ったら、彼は「だったら殺してくれ」と答えた。
俺にはここしかないんだ、と言った瞳には何の感情も浮かんでは居なかった。


「私は兄であり家督を継いだ者であるのに、弟に何もしてやれなかった。それどころか」


持て余していた。


「どう接してよいのか分からないままだった。彼が成人してからもそれは変わらなかった。むしろ…」


彼が歳を重ねるにつれて色濃くなる、あの金の髪の美しい娘の面影を振り切るのに必死だった。


「結局お前にすべて任せてしまった。…すまなかった」


父が俺に謝罪するなんて初めてだ。
自分の知らないところで、父は葛藤し続けていたのだ。


「いいんです、もう…。俺は嬉しかったんだ。クラウドと過ごすのが…」


それから俺は近所中にクラウドの居所を尋ねて回った。
火事の夜、白い着物を着た男を見掛けなかったか。
この界隈だけでなく駅周辺、果ては隣町まで捜した。
しかし返ってきたのは一様に「知らない」という答えだった。








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あきゅろす。
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