[携帯モード] [URL送信]
蔵の中 8



蝉の大合唱が五月蝿い。
大学は夏休みに入り、俺は実家で日々を過ごしていた。
昼間は勉強や読書をしたり、たまに幼馴染みの友人連中と会ったり、姉の嫁ぎ先や親戚の家に挨拶に行ったりして時間を費やす。
そして、夜になるとあの暗い土蔵に足を運び、彼と床を共にした。

うだるような暑さは夜には引くし、昼間も蔵の中ではあまり感じない。
その上、汗が引いた後のひんやりとした彼の肌の感触は何とも心地良く、行為が終わっても俺はなかなか離さなかった。


父が帰ってきたのはお盆の少し前だ。
疲れた顔をしてとても顔色が悪かった。どうやら仕事の忙しさとこの暑さにやられてしまったらしい。
父は、しばらくはゆっくりするから大丈夫だと言い、少し寝ると部屋に篭ってしまった。
姉も俺も心配していたが、翌日の朝食時には顔色も戻っていたので少し安心した。

その日も、夕食を済ませたら彼の元へ行こうと思っていた。


「スコール。浴衣出しておいたわ」
「え?」
「いやだわ、聞いてなかったのね。今日はお盆の入りで花火があるのよ。
自分で着れるでしょ」
「あ、ああ…」


毎年恒例の花火大会。
昔は小遣いを握り締めて、屋台の駄菓子目当てに出掛けたものだ。
大きくなってからは、近くまで行かずに花火を眺めることの方が多かった。
食事が終わり浴衣を着て、俺は蔵の扉を開けて先ず「出掛けよう」と彼を誘った。


「珍しいな。いきなりどうしたんだ?」


突然の誘いにクラウドはそう訊いてきた。


「花火を見に行こう」
「ああ、もうそんな時期か」
「行った事ある?近くまで行ってみないか?」
「遠くから眺めたことはあるが、花火を見に行くのは初めてだ」


それを了承の返事と取って、俺は急かすように彼の手を引いて表に出た。
通りには川辺に向かう人の群れが溢れていて、まさしく夏の風物詩の光景だった。
家族連れや恋人同士、子供の大人も皆、賑やかに道を歩く。
自分より少し後ろを歩く彼が心配で、立ち止まって隣に並んだ。


「クラウド、はぐれるなよ」
「子供扱いするな。俺はあんたよりずっと年上なんだ」
「ああ、悪い。じゃ、俺が迷子にならないように見張っててくれ」
「あ、スコール、あれは何だ?」


段々と花火会場に近づき、道端には露店が軒を連ねていた。
それを指差すクラウドの細い指。


「夜店だよ。食べ物や玩具を売っている」
「お面や、綿菓子を?」
「そうだ」
「本で読んだことしかないんだ」
「買ってやるよ。軽いけど財布も持ってきたしな」


そのときのクラウドの顔といったら、なかった。
一軒一軒、屋台を覗きながらぶらぶらと歩き、彼が興味を持った物を買ってやる。
彼は、綿菓子やカルメ焼きの出来る様をじっと見入って、これが本物なんだな、と呟いた。
満面の笑みとまではいかなかったが、珍しく無表情が崩れて彼の嬉しそうな顔を見ることが出来た。
俺の胸は花火を見る前から高鳴って仕方が無い。


「始まるぞ」


ドンドン、という大きな爆発音が辺りに響き、開始の合図を聞きつけて人の波が足早に川縁へと動き始める。
俺はクラウドの腕を引いて人ごみを抜け、脇道に入った。


「子供の頃よく行った場所がある。足元、気をつけろよ」
「暗いな」
「ああ。だからこっちの道はあまり人も来ないんだ。幽霊が出るなんて噂もあった」
「そうか」


そう言うとクラウドは、何かを思い出したようにちょっと笑んだ。


「なんだ?」
「思い出したんだ。まだ、エルオーネが小さい頃、蔵に近づかないように脅かした事があった。幽霊のフリをしてな。
でも、裏庭に近づかなくなったのはいいが、薬が効きすぎて大泣きされてしまった」


だからか、と思った。父がクラウドの話を口止めした理由の一端を見た気がした。
そうこうしているうちに、花火もよく見える穴場の小さな神社についた。
鳥居をくぐり境内に入れば、石段に腰掛けて見物することが出来る。


「特等席だろう」
「ああ。よく見える」


空に向かって放たれる赤や緑の火花。
腹まで響く大きな音で破裂して、一瞬の光の後、闇へと消えてゆく儚い軌跡。
打ち上げられ、砕け散る瞬間はその美しさに誰もが意識を奪われる。
クラウドは食べかけの細工飴を握り締めたまま、夜空に見入っていた。
その頬が、鮮やかな炎の色に染められ色を変える。


「なんて美しい…」


彼が呟いた。
色とりどりの花火が視界の隅で弾け、この身に爆音を轟かせるのを感じながら、俺は彼から目を離すことができない。
狂おしいほどの愛おしさが全身を駆け巡り、どうしようもない衝動と気持ちとが溢れ出した。
どれだけそうしていただろう。
まるで静と動の狭間で翻弄されるような感覚のまま、本日一番の轟音と輝きが辺りを支配して、花火は終わった。


「……綺麗だったな」


囚われたかのように夜空を見上げたまま、クラウドは呟いた。


「…ああ」


俺の胸の疼きは収まらない。
花火が残した余韻とは別の、切ない情感が広がるのを止められず、俺はクラウドの手を握り締めた。
少し驚いたように彼はこちらを見たが、俺は何も言うことが出来なかった。
言葉にならなかった。

彼と出逢い、一緒に過ごしてきた記憶の断片が脳裏に浮かんでは消え、俺の感情をさらに揺さぶる。
初めて彼と会ったとき、初めて彼の声を聴いたとき、初めて彼の笑顔を見たとき、初めて彼に触れたとき。そうして、彼からの応えがあったとき。


「クラウド、好きだ」


自分を見つめる瞳が、大きく瞬いた。


「好きなんだ…あんたが」


肩を引き寄せ、きつく抱き締めた。
クラウドの手から飴が滑り落ちる。
細い首に顔を埋め、嵐のような情動をやり過ごすように彼を抱き締め続けた。
そして、おずおずと背中に回る細い腕の感触に、俺の胸中に歓びが湧いてくる。


人ごみも閑散となった頃、祭りの後の淋しさを踏みしめるように家路についた。
俺もクラウドも口数少なく、だけど手は握ったまま、人目も気にせず歩いた。


「なんて…儚いんだろうな」


ぽつりと、クラウドが言った。
泣いてなんかいるはずが無かったけれど、心配になって振り向けば、彼はいつもの顔で俺の方をただ見つめていた。





そして盆が過ぎ、夏の終わりが来た。
俺は学校へ帰らなくてはならない。
日に日に憂鬱は募り、俺は彼と離れたくない気持ちで一杯だった。いっそ学校など辞めてしまいたかったくらいだった。
しかし子供のように駄々をこねるわけにもいかない。

東京へ帰る前の日も、彼と一日を過ごした。
彼には出発の日にちをはっきり教えたわけではなかったのだが、その夜はどちらとも無く求め合い、貪りあった。
そして、明朝には汽車に乗ることを告げる。
彼は「体にだけは気をつけろよ」と言った。
ありがとう、と答えれば彼はまた僅かに口元を綻ばせて、部屋へ戻る俺を蔵の入り口で見送って扉を閉めた。

次の日の朝、東京へ向かう汽車に乗った。


「元気で頑張ってね。手紙をちょうだい」


笑顔で手を振る姉に手を振り返して、俺は再び町を発った。
車窓からは夏の濃い緑を残した木々が見える。
彼と行った花火大会の会場だった川を越え、あの、狭い下宿のアパートへと戻るのだ。
しばらく会えないことは寂しかったが、また次の週末に帰って来ればいい。
あの蔵には彼が居る。俺を待っていてくれる。
そう思えば、一人で過ごす夜も辛くはなかった。



待ちに待っていた週末を目前に、突然実家から連絡があった。
いつもの近況報告の手紙と違い、その日は珍しく父からの『至急連絡請フ』という電報だった。
あわてて、電話を借りて実家にかけた。


「何かあったんですか」


一抹の不安が過ぎったが父からの連絡だ。具合が悪くなったとかではないだろうが、姉に何かあったとか……。
やっと繋がった電話の向こうから父の静かな声で伝えられたのは。


『スコール、落ち着いて聞くんだ』


思わず落としそうになった受話器を持った右手は、汗ばんで細かく震え出した。冷汗が頬を伝う。
ひりついた喉では父の呼びかけに答えることが出来ず、そのまま俺は立ち尽くした。


それは、実家の蔵が燃えた、という知らせだった。









[*前へ][次へ#]
[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!