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蔵の中 5



もうすぐ二度目の夏が来る。

大学に入学してからというもの、俺は一度も帰省していない。
授業や課題が忙しくてまとまった時間がなかなか取れないのと、父の不在を言い訳にして、俺はクラウドの事からも目を逸らした。
半日もあれば帰れる距離なのだが、どうしても気持ちが傾かなかった。
そうしている癖に、夜な夜な彼のことを考えて眠れぬ日々を過ごし、彼を夢に見ていた。

しかし、時間というものは残酷なほど偉大で優しく、胸の痛みと共に辛い日々も過去になっていく。
そうなると現金なもので、学校にも一人暮らしにもすぐに慣れて、授業も面白く、俺は今の学生生活を楽しんでいる。
親元を離れての自由で気ままな暮らし。金銭的に困窮することもなく、自分の恵まれた環境を自覚すると共に、家族への感謝の気持ちは募った。


度々届く姉の手紙からは懐かしい家の様子が伺える。
父は、相変わらず忙しくしていてなかなか家には居付かないが、最近あまり体の調子が良くないようだ。
姉は、婚家で大事にして貰い、実家にもたびたび戻って家の世話もしてくれている。
そうして、手紙の終わりにはいつも『元気な顔を見せに帰ってきて下さい』とあった。

父の顔が浮かぶ。そして穏やかに笑う姉。そして、そして……。
唐突に、今度の週末には帰省しよう、と思った。



翌日、俺は授業が終わると姉への土産を買いに出掛けた。
街へ出ればつい癖で神田の古書店に足が向く。
本を二冊と、姉へのブローチを買って下宿先へと帰った。
結局、俺はクラウドに本を送ることをしなかった。否、正確には出来なかった。
部屋には彼の為にと買った本が、それこそ山積みになっている。
友人にも呆れられるほどの量のそれらを、何度も送ろうとした。
しかし、その度に同封する手紙に何を書けばよいのかわからなくて、結局止めた。


そうしてずっと彼のことを考えている内に、俺の中でクラウドという人間が幻めいたものになっていることに気づいた。

彼は本当に存在するのだろうか?
今も本当にあの土蔵の中で暮らしているのだろうか?

忙しない毎日に追われ、実家のあの蔵の中で過ごした半年という時間が、夢の中の出来事のように思い出される。
東京に来た頃はただ苦く切ないだけだった記憶が、輪郭のぼやけた優しいかたちとなって脳裏に浮かぶ。
素直に「会いたい」と思った。
約束を破った上にあんな事までしてしまった俺を、彼が許してくれるかどうかわからないが。


電話を借りて実家へ連絡すると、父から気をつけて帰るようにと言われた。
その後、週末はまだなのに旅行鞄を押入れから出して土産と持てるだけの本を詰め、俺は床についた。
鞄を見ながらそわそわする日が数日続いた。








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あきゅろす。
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