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蔵の中 3



季節は足早に過ぎていった。

いつものように本を持って彼の元を訪れようと、枯れ草を踏んで庭を横切る。
ふと、吐く息が白いことに気がついた。今日は昼間から特に冷え込んでいるようだ。
冷気が入ってこないように手早く蔵の扉を開け、体を滑り込ませた。


「ここは寒いだろう?」
「いや、大丈夫だ」


薄っぺらな座布団に座ったクラウドは、手元の本から顔を上げて言った。
彼は白い着物の上に俺が調達してきた綿入れを羽織り、傍らに古い小さな火鉢を置いていた。その火鉢に、入り口の横に置いてた新しい炭を持って来てどんどんと注ぎ足す。
冬の間だけでも母屋に来たらどうかと何度も誘ったが、その度に断られ続けていた。


「そんな無駄遣いしなくていい」
「もっと暖かくしてないと風邪をひくぞ」
「だから平気だって。今年はあんたが持ってきてくれた火鉢もあるし、この綿入れも温かい」
「でも」
「スコールは心配性だな」


苦笑されてしまったが、ここで引き下がるわけにはいかない。


「そうは言っても、明日には雪になるかもしれないんだ」
「雪か。寒いのは嫌いだけど雪は綺麗だな。
俺もよく外を見ているんだ」
「ここから?」
「ああ、上だ」


さりげなく興味を引かれる事を言われ、話題を変えられた。
また誤魔化された形になった俺は憮然とした表情を浮かべたのだろう。クラウドは俺を見ながら言葉を続けた。


「見るか?」


そう言われると、クラウドがいつも見ている景色が見たいと単純に思った。
俺が頷くと、彼は立ち上がって狭い階段を上りだした。その後に続いて急な階段を上る。
階下と同じだけの広さがある其処は、切妻屋根のままの天井が斜めにかかり、一種子供の秘密基地のようだ。
クラウドは此処で寝起きしているらしく、古い箪笥や長持ちの脇の片隅に布団が畳んであった。
物珍しげに周囲を見回していると、入り口とは反対側の壁にある小さな窓に手をかけて薄く開き、クラウドは俺を手招きした。


「あ…」


裏庭に建つ蔵は二階建て以上の高さがあり、平屋ばかりのこのあたりでは広く見晴らしが利くことがわかった。
二件の隣家の庭先から母屋、書生を住まわせている離れ、その向かい家、そしてその先に続く小道とさらに見渡せる。
特に隣家の庭に面した部屋は丸見えだ。


「ところが、外からこっちはなかなか見えないんだ」


クラウドは言って、手入れが行き届いているとはお世辞にも言えない裏庭の木立を指差した。
今は葉を落としているそれらは、春になれば芽吹いてここを隠す役割を果たすのだろう。
寒々しい戸外を見て吹き込む風の冷たさにぶるっと身震いし、窓を閉める。


「で、なにが面白いんだ?」
「まぁ、季節によるな。冬はつまらない」
「夏は?」
「そうだな…あんた位の子が一番興味があるもの、が見えるかも」


ほんの退屈しのぎだが、と彼は言った。
子供扱いにもムッとしたがそれはともかくとして、一番興味があるものってなんだ?と俺が口を開く前に、クラウドは立ち上がって反対側の窓の所に行ってしまった。


「クラウド?」
「ああ。こっちの窓からは庭が見えるから、時々あんたの姿も見ていたよ」
「え?」
「ほら、庭でよく遊んでいただろう。転んで泣いてたり、エルオーネとかくれんぼしていたり」
「やめてくれ」
「可愛らしかったのに、あっという間にでかくなったよなぁ…スコールは」
「クラウド!」


懐かしそうに続けようとするクラウドを止めるのは忍びなかったが、彼の口から語られる自分の小さい頃の話なんて、ちっとも嬉しくない。
でも、俺の小さい頃を知っているなんて、いったい彼は幾つなのだろう。
クラウドは少し笑ってから、下に行こうと俺を促した。



翌晩。外に行かないか、とクラウドの方から誘われたのは、最初の晩以来二度目だった。


「この寒いのにか」
「だから、だ。人がいなくていい」


先に立ってすたすたと歩くクラウドが、庭を横切って裏木戸に手をかけた事に少し驚いた。庭に出る散歩なら何度もあったが、家の門から出て表を歩くなんてことは今までしたことが無かったからだ。
通りに出ると、どんよりと曇った暗い夜のこの時間に人通りはほとんど無く、只、吐く息の白さだけが目についた。


「川まで行ってみようか」
「寒いぞ」
「スコールは、嫌?」


首を横に振り、俺は先に立って歩き始めた。
クラウドの、下駄を擦る軽い空気のような足音が付いて来る。
本当に不思議な感覚だった。

冬の月に照らされた小道は青く、寒々しかった。
俺は「ちゃんとついて来ているのか」と心配になって何度も振り返った。その度に彼は「大丈夫」といった風にその瞳で俺を見返してくる。
それでも安心できず、嫌だと断られるのを覚悟で振り返って手を出したら、すぐに繋いでくれた。
俺たちは寒さで凍えながら川縁まで歩いた。川面が黒々として少し怖い感じがした。



「…春にはもうあんたは居ないんだな」


ぽつり、と零した彼の言葉にぎょっとした。

俺は進学のことで悩んでいた。
都会の大学に行きたい。だが、多忙極まる父は直ぐにでも家業を手伝って欲しいと思っているだろう。
それより何より。


「…まだ決めたわけじゃない」


クラウドのことが気に掛かっていた。


「なぜ知っているんだ?」
「悪い。あんたがお父上と話しているのを廊下で聞いてしまった」
「…そうか」


お互い視線も合わせず、黒い川面を見つめて白い息を吐きながら淡々と話した。

クラウドに何度も相談しようと思ったのになかなか出来なかったのは、彼が自分の迷いの原因だったからだ。
俺は一日と空けずにあの蔵へと足を運び、彼に会いに行った。
いつしか俺の中で彼と過ごす時間は何にも代え難いものとなり、一度意識すると急速に想いは深まった。
そしてそれが恋愛感情以外の何ものでもないことに気付いてしまった。
俺は彼が好きなのだ。


「まだ迷っている。考えなくてはいけないことがあり過ぎて。
父のこともある。一人で忙しく飛び回っているから体が心配なんだ。
俺は手伝うべきなんだろうな。姉は、春には嫁して居なくなってしまうし」


本心をひた隠しに、俺はクラウドの気持ちを探った。
彼はどう思っているのだろうか。
俺が居なくなって嫌だと、寂しいと、思ってくれるのだろうか。


「優しいんだな。スコールは」


低く穏やかな声が響く。


「でも、本当はもっと勉強したいんじゃないのか?あんたが本気でそう思うなら、お父上も心から応援すると思うぞ」
「あんたは、どう思う?」
「え?」


驚いたように彼は俺を見た。
勢いに任せて、再度問う。


「クラウド。あんたはどう思う?」


クラウドはいつもの無表情のまま言った。


「もちろん、大学に行ったほうがスコールの為になるだろう」


急にあたりの闇が濃くなった。
俺は、彼に何を期待していたのだろうか。自分の本音も言えないくせに。
真っ直ぐにこちらを見つめる瞳に堪えきれず、そうかと曖昧に返して視線を外した。
所在ない沈黙がしばらく続き、「帰るか」という彼の言葉に頷いて、凍えて家路についた。






その夜、俺は家を出ることを決めた。

受験勉強するのを理由に、俺の足は蔵から遠のいた。
毎晩のように訪れていたのが二日に一度、三日に一度に減り、やがて週に一度程度になった。
以前と変わらずクラウドは俺を迎え接するのだが、何処か見透かされているような気がしてたいそう居心地が悪かった。



会いたい。会いたい。
こんなに会いたいのに、会いたくない。
会ってしまったら抑え切れないかもしれない。

気が狂いそうだった。
俺の中の恋心は在り続け、自分で止めようもなくどんどん膨らんでいった。









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あきゅろす。
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