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蔵の中 1



家の裏庭の片隅には木々に囲まれた古い蔵があった。

物心ついた時から『蔵には近づかないように』と言われて育った。
しかし、学校に上がる前後くらいになって活発になった俺は、一度だけ好奇心に駆られて中を覗いたことがある。
確かあれは蝉が五月蝿い暑い夏の午後だった。

汗を拭きながら裏庭に行き、蔵の周囲に茂る木々の下で一息ついて周囲を見回した。
誰にも見つからないよう気をつけながら重い戸を少しばかり開け、目を凝らして暗い室内を見渡す。
大きな長持の影に見えた白いもの。薄暗いその床にあったのは、この世のものとは思えないような真白な手だった。
大好きだった姉よりも、他の誰よりも、華奢な白い指だった。
悲鳴も上げられずに、クルッと後ろを向いて一目散に逃げ出したところでその記憶は途切れている。




「蔵の中には、うちの遠縁にあたる者が住んでいる」

事業の為に家を留守をすることが多くなった父の元に呼ばれ、そう言われた。
お前ももう大人だから言っておく、と俺に言葉少なに語った父は、どうやら今度はかなり長く家を空ける事になるようだ。
くれぐれも姉には言うな、と釘を刺され、俺は父の言葉に頷くことしか出来なかった。

あの白い手の記憶が、あの時のとてつもない恐怖と共に思い出される。
まさか人が住んでいたなんて思いも寄らなかった。生まれてからずっとこの家に住んでいるのに、全く知らなかった事を不思議に思う。
詳しい事は本人に訊けばいい、と父は言い、いつものようにニヤリ笑んで翌朝に旅立って行った。
その言葉を半信半疑のまま例の蔵へと向かった。



戸の前で一呼吸置いてから、重い扉をそっと開く。鍵はかかっていない。
最初に目に入ったのは、幼いあの日の光景ではなく、淡い蝋燭の灯りと乱雑に床へ積まれた本だった。
果たして其処にあったのは、あの白い――。


「失礼、します…」


怖々と声をかけた俺の眼に最初に飛び込んだのは、床に広がり蝋燭の灯りに反射する黄金の髪だった。
寝転がって本を読んでいた彼がゆっくりと起き上がりこちらを向く。
青い瞳が俺を見つめ、俺はその美しさに釘付けになった。


「ああ。あんたは」


スコール?と耳朶を擽るような柔らかな声が蔵の中に響く。
だが、俺は自分の名を呼ばれたときに走った雷のような衝撃で、それに返事が出来なかった。


「俺はクラウドだ」


たくさんの書物に埋もれるようにして居た彼は、薄暗い蔵の中で灯の橙に照らされていてもそれと解かる程白く、細く、美しかった。
最初の衝撃が去ると途端に俺は恥ずかしくなった。ポカンとした阿呆面を曝していたに違いない。


「あ、貴方はなぜこんな所に?どうして――」


努めて冷静にと言い聞かせてそう尋ねた俺に、彼は答えた。


「決して閉じ込められているわけじゃないんだ。俺の意思で此処に住んでいる」


彼の低い声が静かに響き、それに耳を傾けていると夢と現の狭間に連れられてゆくような気持ちになった。
幽霊なのかと疑ってしまうくらい、生身の人間を目の前にしているような心地がしなかった。


「まぁ、よろしくな」


日に2回の食事と本が欲しいんだ、と彼は言った。
そうして、要望を一通り伝えると彼は「おやすみ」と言って内側から戸を閉めた。



どうしてこんなところにいるのだろう。
一体今までどうやって生活してきたのか。
なぜ?どうして?
なぜ、父は今までなにも言わなかったんだろう?
姉は知っているのだろうか?
親類だと言っていた。
なぜ、俺に秘密だったのだ?


瞬きの音さえ聞こえそうな大きく青い瞳をしていた。その長い睫毛が影を落とすと、艶かしささえ感じた。
彼の手は細く骨ばって、血管が透けるようだった。
ただ、近くで見たときの、その白い手。あの遠い遠い日に見た、記憶どおりの華奢な指。
その指先に付いた爪だけが薄桃色なのに気付いて、それが脳裏に焼きついて離れなかった。

あの白い手が蔵から自分を手招きする光景が、その日から何度も繰り返し俺の夢に現れるようになった。








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あきゅろす。
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