悲しき祈り
2
「……歌?」
少年のような体躯、銀色の髪は逆立ち、翡翠のような瞳は怪訝な色を見せている。
彼の年相応ではない威厳を現すように、黒の死覇装の上には十三人の隊長でしか着る事を許されていない真っ白な羽織で、その背に背負う数字は「十」の文字。
彼は神童と名高い、十番隊隊長、日番谷冬獅郎だった。
「…気のせいじゃない。」
彼の耳にはっきりと聞こえるのは確かに歌だった。歌詞は聞き取れないが優しい歌のようだ。
「……戻るのが遅くなるが…行ってみるか。」
普段ならサボりの多い己が副隊長、松本乱菊を叱るためにさっさと戻るのだが、今日に限ってはこの歌が気になった。
実は彼がこの歌を聞いたのは初めてではなかった。
数年前からずっと聞こえていて、他の者にそれとなく聞いてみたが、彼の耳にしか届かない事を知っていた。
「………。」
冬獅郎は歌の聞こえる方に堂々と歩いていき、そして、先のない壁に足を止める。
「……。」
歌は壁の奥から聞こえる、冬獅郎は手を伸ばし、ふっと継ぎ目が見えた。
「何だ、これは。」
冬獅郎は継ぎ目をじっと見詰め、直ぐに壁に手を当て押してみると、壁の奥に闇と階段が見えた。
「………なんでこんな所に……。まさか、松本の仕業か?」
冬獅郎は乱菊が六番隊の隊長の自宅を改造したなどという噂を耳にした事があるのだ。しかも、そんなのは嘘だと笑い飛ばせないのが乱菊なのだ。
「……証拠を掴んで、取っちめるか。」
冬獅郎は深々と溜息を吐いた。常に刻まれている眉間の皺が寄り深くなったのはきっと気のせいではないはずだ。
「……。」
冬獅郎は階段を下っていくが、徐々に上からの光を失い見事なまでの闇に、一度彼は立ち止まった。
「破道の三十一、赤火砲。」
攻撃するためではなく、明かりの代わりに彼は鬼道を使い、再び下っていく。
歌は決してやむ事はなく、寧ろ大きくなる。
最後の段を降りた冬獅郎は広い場所に辿り着き、目の前にある鉄格子に目を見張った。
「何だ…ここは?」
「………だ?」
弱った声が聞こえ、冬獅郎は明かりを鉄格子の向こうを見られるように手を伸ばす。
「――っ!」
鉄格子の向こうに人が横たわっていた、年は冬獅郎よりも少し上で、その髪は異常に長く、顔が分からなかった。
「お前…。」
冬獅郎が一歩踏み出した途端、その人物は女のように甲高い声で悲鳴を上げた。
「来るな、来るな、来るなっ!」
冬獅郎は戸惑うが、意を決したように鉄格子に近付く。
「俺はお前の敵じゃない。」
「来るなっ!」
「頼むから、俺の話しを聞いてくれ。」
辛抱強く話しかける冬獅郎にやっと、その人物は顔を上げた。その時、オレンジの髪から怯えたようなブラウンの瞳が見え、冬獅郎の胸がちくりと痛んだ。
「絶対に、お前を傷つけない。」
「……本当に?」
「……本当に、俺の全てを懸けてもいい。」
冬獅郎の言葉に嘘が無いと分かったのか、その人物は一瞬微笑みグッタリと床に倒れこんだ。
「大丈夫かっ!」
冬獅郎は背に負っていた己の斬魄刀を抜き、鉄格子を斬った。
「おいっ、お前っ!」
冬獅郎がその体を起した瞬間、その人物が異常にやせ細っている事に気付く。
そして、次に霊圧を吸収するこの牢屋の不可思議さに訝しむが、残念ながらそんな余裕はなく、冬獅郎はその人物を抱え、牢屋から瞬歩で己の部屋に向かった。
「……本当なら四番隊に診せた方がいいだろうが……。」
この人物が何者か分からないのに、他の死神に見せれば間違いなくこの人は再び捕らえられるだろう。
「それだけは…避けないとな…。それよりも、傷の具合を調べよう。」
簡単な治癒の鬼道ならば隊長である冬獅郎も使えるので、彼は同性だと思われるその人のズタボロになった着物に手を掛けた。
「――っ!」
自分にはない胸の膨らみに冬獅郎は目を剥き、続いて、自分が犯した罪を思い、その人物、少女から目を逸らした。
「………どうすりゃ、いいんだよ。」
思いつく手段といえば、異性の死神に頼むしかないが、自分が頼めるのは同じ隊の女性死神か、幼馴染である五番隊副隊長、雛森桃だけだ。
「松本…には無理だ…あいつは口が軽いし、こいつにとっても良くない……、同じ隊だと、自然に松本の耳に入りそうだし………あいつに頼むか……。」
冬獅郎は自分の部屋に結界を張り、瞬歩で五番隊まで向かった。
「雛森、いるか?」
「あれ?日番谷くん、どうしたの?」
お団子頭の少女、雛森桃は幼馴染がこんな所にいる事に不思議に思うが、彼は何か用が無い限りは来ないので、よっぽどの事が起こったのだと判断した。
「理由は聞かず、俺についてきてくれ。」
「もう、シロちゃんはいつも言葉が足りないよ。」
「日番谷隊長だ。」
いつもの遣り取りを一通り、済まし、桃は冬獅郎の後に続いて、彼の部屋に向かった。
「日番谷くん……何で結界を張っているの?」
「ここからは、他言無用だ。いいか。」
あまりにも真剣な顔をする幼馴染に桃はぎこちなく頷いた。
「分かったよ。」
「………入るぞ。」
自分の部屋なのに中に話しかける冬獅郎を訝しみながらも、桃は部屋に入った。
「えっ?」
彼がいつも寝ているだろう布団の上には見知らぬ、人物が寝ていた。
その人はかなり痩せ細っていて、寝顔すらも疲労の色が濃かった。
「シロ…ちゃん……。」
「頼む、こいつ、女なんだ。」
桃は珍しく人に頼む冬獅郎に質問を投げかけたかったが、それでも、今は彼女の治療が先だと思い、片膝をついた。
桃の手が少女に触れるか触れないかの場所に来た時、彼女のブラウンの瞳がカッと見開いた。
「うあああああああああああああああっ!」
悲痛な叫びに桃はたじろぐが、冬獅郎は彼女に近付き、彼女を抱きしめる。
「大丈夫だ、こいつは敵じゃない…俺の幼馴染だ。お前を絶対に傷つけない。」
「……。」
冬獅郎の言葉が聞こえたのか、少女の表情が穏やかなものに変わり、そのまま、目を閉じた。
「日番谷くん……。」
「治療、してくれないか?」
「……うん、終わったら、話してね。」
桃はそう約束を取り付け、少女の治療を始めた。
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