セブンス・リート 9 「この度はご迷惑をおかけいたしました」 そう言ってヴァノが頭を下げると、馬車の見送りに来たサリアとクレフは仰天した。 「と、とんでもない! ご迷惑をおかけしたのはこちらです。このようなところまで『歌い手』に来ていただくなんて……」 「そうですよ。どうかお顔を上げてください!」 往来の人々が豪奢な馬車に目を丸くし、上品な服装の少女と軍人のような青年を見て、怪訝そうな顔で通り過ぎる。その様子を横目で見ながら、ヴァノは顔を上げた。 「学院の生徒の不祥事はこちらにも責任がありますわ。『祭典』にこのような騒ぎを起こしたこと、グライシングには厳しく言っておきますので」 馬車の中で何かに耐えるような表情をしていたカルミナの姿はすでにない。少女は本来の『第一の歌い手(プリマ・カンタンテ)』に戻っていた。観察するような視線に気がついたのか、カルミナはヴァノを見上げると優雅にほほ笑んだ。 「ヴァノ、もう気分はよろしくて?」 「『第一(プリマ)』こそ、お体は?」 「問題ありませんわ。やはり、頭痛の種はこちらだったのですね」 「あ、あの……ご気分を悪くされていたのですか?」 「それは申し訳ありません! あの人混みのせいかしらね?」 「いや、きっとうちの子が見苦しい姿を見せてしまったから……」 「グライシングと勝負をしていた子供のことですか?」 ヴァノが尋ねると、二人は困ったように笑った。 「はい。あの子は学院に行きたいと言って独学で勉強しているんですが、まだまだ未熟でして。『歌い手』お二人には聞き苦しいものだったかと」 「そうですわね……。確かに技術は未熟でしたわ。ですが、」 その時、芝居小屋から出てきた人間にカルミナは気がついた。短い黒髪で、素朴な服に身を包んだ小柄な姿。そのあとからもう一人、少年が走り出てくる。 ジョイスは肩で息をしながらカルミナを見た。 「あ、あなたが『第一の歌い手(プリマ・カンタンテ)』ですか……?」 「ええ」 「オ、オレは、えっと……」 「自由ですね」 「え?」 「あなたの歌は、とても自由。度が過ぎるくらいに」 返す言葉が見つからず戸惑っている様子を見て、カルミナはさらに続けた。 「溢れる力を縛るのか、解放するのか。それはあなた次第ですわ」 「! そ、それってどういう……」 「あなたお名前は?」 この言葉に、隣にいたヴァノは驚いた。カルミナが学院以外の人間に興味を示すのを初めて見たからだ。 「ジョ、ジョイスです! ジョイス・フライハイト」 「……フライハイト?」 カルミナがぴくりと片眉を上げた。思案するような面持ちを見せたが、すぐに立ち直る。スカートの裾を持ち上げると、優雅に一礼した。 「わたくしはカルミナ。『第一の歌い手(プリマ・カンタンテ)』のカルミナ・ラウラ・フルティオークです。以後お見知りおきを」 「え、あ、はい!」 ジョイスがぎこちない礼を返した。 「……『第一(プリマ)』、お時間です」 御者から出発を告げられたヴァノがカルミナに耳打ちした。カルミナが放りだしてきた歌唱コンテストが混乱しているらしい。すぐにでも向かってコンテストを再開する必要があった。 「我々は一度コンテスト会場に。グライシングは学院へ送りましょう」 「分かりましたわ」 カルミナは再び一礼して馬車に向かった。ヴァノが扉を開け、その手を取って中に入る。扉を閉めるとすぐにカーテンが引かれ、中の様子は見えなくなった。 御者が鞭をふるうと、馬車はゆっくりと動き出した。カルミナの乗った馬車が通り過ぎ、二つ目の馬車が後に続く。馬の蹄が石畳を叩く音を聞きながら見送っていると、二つ目の馬車が通り過ぎる瞬間、窓に引かれたカーテンがわずかに持ち上がった。 青い瞳とぶつかって、ジョイスははっと息を呑んだ。 アルベール。 少年の口元がわずかに動く。しかし、それが何だったのか知る間もなく、馬車は速度を上げて下町を去って行った。 [*前へ][次へ#] [戻る] |