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セブンス・リート

「二人とも。準備はいいか?」

  ジョイスと学院の生徒――アルベールは同時に台本を閉じた。歌い手としての腕前を競い合うと決めてから十分後。立ちあがり、舞台に向かう二人の姿をいくつもの視線が追った。
  そこに込められた感情は様々だ。期待、嫌悪、不安、そして、

「あーもう、ホントに大丈夫か…?」

  観客の一人であるアークの心中は穏やかではない。学院の生徒、しかも「あの」グライシング家にケンカをふっかけたのだ。負けたらどうなるかは大方予想がつく。

「まあ、間違いなくこの芝居小屋はなくなるわね」

  舞台に続く階段を登りながらこちらに向かって手を振るジョイスをたしなめようとした矢先、なじみのある声がした。振り向くと、そこにいたのは気の強そうな女性と柔和な顔立ちの男性。ミュージコード修理屋のリーリエとシルバだった。

「な、なんでここに?」
「これだけ大騒ぎしてたらこっちの通りまで聞こえてくるわよ」

  呆れた、というようにリーリエは豊かな髪をかきあげた。

「グライシング家の子に喧嘩を売ったって本当かい?」

  人ごみの中、窮屈そうに身をかがめながらシルバが言った。アークがうなずくと、その瞳がわずかに翳る。

「相手が相手なだけに、心配だね…。録音機もないのに大丈夫かな」
「そういえば、録音機は?」
「なかなか難しくてね。今は持続的にフォノを当てて反応を調べているよ」

  反応が出るまで、しばらく時間がかかるのだという。そこにこの騒ぎとくれば、やって来たのも納得がいく。
  ジョイスとアルベールが舞台に立つと、自然と喧騒がおさまった。芝居小屋に集まった人々が、一斉に舞台に注目する。

「これより、アルベール・アイオス・グライシングとジョイス・フライハイトの勝負を始める」

  仕切り役を名乗り出たクレフが、台本を掲げた。

「使うのはこれだ。本日の演目にしてサリアの傑作!」

 二人が読んでいた台本は古代王国ラグノールの伝説を題材にした物語である。今回競うのは王と従者の場面。幼い王子の奇跡を、従者が王に報告するという内容だ。冒頭は従者の王に対する呼びかけから始まり、従者が王子の奇跡について語りだす。ミュージカル好きなサリアの台本だけあって、このときの従者の台詞は音楽にのせて高らかに歌い上げるよう指示されている。

「二人には交互に従者役をやってもらう。王の役は…」
「…私が」

  そう言って進み出たのはサリアである。表情は硬かったが、先ほどのような青白い顔ではなく、頬にほんのり赤みのさした普段のサリアに戻りつつあった。

「…分かった。では順番だが、」

  クレフが最後まで言い終わるのを待たずに、アルベールが舞台中央に一歩踏み出した。

「…君か」
「当然だろう?」

  アルベールはジョイスと目が合うと、眉を吊り上げてみせた。こちらを小馬鹿にしているようにも見えたが、それは違うとジョイスは感じた。少年は本気だ。

「では、最初は君から」
「分かった」

  アルベールが静かに目を閉じ、短く息を吐く。玉座を模した椅子に座るサリアにゆっくりと歩み寄ると、第一声を発した。

『陛下!』

  空気が震えた。

『なんだ、騒々しい。』
『王子は奇跡の力をお持ちです!』
『またその話か。聞き飽きたぞ。』
『しかし、これは是非ともお耳に入れていただきたいのです。』
『イライアスめ、今度は動物と話ができるようになったとでも言うのか?』
『いえ、植物です。』
『なんだって?』

  アルベールのとぼけたような演技に、観衆から忍び笑いが漏れた。

『植物ですよ、王様! 城の庭園に咲く草花と会話をされていました。』

  サリア扮する王が頭を抱える。

『そんなことより、年頃の子どもたちと会話するほうがよほど有意義だろうに…。』
『ですが、王子の力がなければ娘は助かりませんでした。』
『どういうことだ?』

  ジョイスは、目の前の光景を瞬きもせず見つめていた。そこにいるのは、先ほどまでの傲慢な少年ではない。王子の奇跡を目の当たりにし、興奮して王のもとにやって来た従者だ。少年の台詞1つ1つに体が震え、少年の動き1つ1つに目を奪われた。
  勝負と分かっていても、つい物語に引き込まれてしまう。その証拠に、あれほど少年を毛嫌いしていたはずの観衆が、息を詰めて芝居の成り行きを見守っている。サリアとアルベールの軽快な台詞の掛け合いには笑い声すら起こった。

――全然、違う。

  鞭打たれたかのような衝撃がジョイスを襲った。サリアの芝居小屋で数多くの俳優を見てきたが、アルベールはその中でも抜きんでていた。
  初めて見た台本で、初めての相手で、初めてあがる舞台で、そんな状況でも少年は観衆を魅了することができるのだ。

「……できるのか」

  ぽつりと漏れた声が、自分のものであることを認識するのにしばらくかかった。そしてそれに気付いた瞬間、手のひらが汗ばんでくる。ジョイスの手は無意識に胸元を探り、そこになにもないことが分かると、不安の波が押し寄せてくるのを感じた。
  舞台では従者の歌のシーンに入った。アルベールは中央で堂々と胸を張り、王子の奇跡の素晴らしさを歌い上げている。力強い歌声が芝居小屋全体に響き渡り、聞く者を圧倒させる。
  少年は声量も音程も完璧に歌い上げた。一瞬の静寂ののち、観衆がどっと声を上げる。さすがは学院の生徒、という感嘆交じりの声を耳にした途端、ジョイスの胸の鼓動が激しくなった。

「みなさん、静かに」

  盛り上がる観衆を制しながら、クレフがジョイスに目を向ける。

「じゃあ、次に行こうか。ジョイス」

  クレフが自分を呼んでいる。

「ジョイス、ほら、お前の番だぞ」

  早く前に出て、歌って、グライシングを負かさなくては。

「ジョイス?」

  焦る気持ちとは裏腹に、体が言うことをきかなかった。また無意識に胸元に手が伸びて、汗ばんだ手のひらは空を掴んだ。

「…ジョイス、どうしたの。気分が悪いの?」

  王の役目を終えたサリアが駆け寄って、ジョイスの顔を覗き込もうとする。その視線から逃れるように顔をそむけると、アルベールと目が合った。

「とんだ臆病者だな」

  その言葉に、体が強張った。

「あれは虚勢だったのか? だとしたら、お前は今まで会った負け犬の中でも最低の負け犬というわけだ」
「ちがっ…」
「何が違うんだ? 僕は条件をのんだ。今さら逃げたいなんて考えてるんじゃないだろうな?」
「そんなわけないだろ!」
「では、早くこちらへ来るといい」

  アルベールが舞台の中央を指し示す。

「勝つ自信があるんだろ? その自慢の歌声を披露してくれないか」

  引き留めようとするサリアを振り払って、ジョイスは舞台中央へと進んだ。そこに立って初めて、自分が観衆の視線の只中にいることに気がついた。視線を意識すると体中が強張ってしまう。それは、先ほどアルベールと目が合ったときと同じだった。

――「緊張」してる?

  今までにない感覚だった。もともとジョイスは人前で何かすることに苦を感じないのだが、今回は違った。アルベールの技量に圧倒され、無意識に委縮していたのだ。

「サリア、戻って。…ジョイス、始めていいか?」

  ズボンで手のひらの汗をぬぐうジョイスを心配そうに見守りながら、クレフが尋ねた。だめだ、とは答えられない。
  この勝負に負けたら芝居小屋はもちろん、下町全体がコークロスの林に変わってしまうだろう。負けるという選択肢は存在しない。

「…分かった。クレフ、」
「はーいちゅうもーく!」

  始めてくれ、という言葉が喉まで出かかって、止まった。観衆の中から伸びる手に気がついたからだ。

「よ、よければ、王の役、お、俺にやらせてくれないか?」

  手を挙げたのは、ガタガタと震え、真っ青な顔をしたアークだった。


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