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セブンス・リート


  ジョイスは罵声飛びかう群衆の面前へ歩いて行った。もはや芝居小屋は人々の歓声が湧く場所ではなくなっている。そこにあるのは、混乱や恐怖だけだ。
  前に出てきた小柄な人間を邪魔だと思ったのだろう、群衆の一人だった男がジョイスをその太い腕で押しのけようとする。

「ジョイス!」

  慌ててアークが二人の間に割り込もうとしたが、ジョイスはそれを制した。

「え…?」

  驚きに見開かれるアークの瞳、迫る男の腕を見据えて、ジョイスは、


歌った。


  決まった歌詞もメロディーもない。そこにあるのは、願いだけ。

  ――みんな、静かにして。

  勢いよく振られた男の腕が止まる。口論していた人々がジョイスの歌に耳をかたむける。芝居小屋は次第に静寂に満たされていった。

「なんだ…なんだこれは?」

  人々が静かに歌に耳を傾けるあいだ、少年は2、3歩後ずさって尻もちをついた。護衛に助け起こされながらも、どこか夢うつつの表情で、ぶつぶつと何か呟く。

「音律がない…いや、これはフォノそのもの…?」

少年の知識にはないことを、誰とも知れない人間が成し遂げている。自分より小柄な後ろ姿に少年は生まれて初めて畏怖の念を抱いた。最後の一音を高らかに歌い上げてからジョイスが振り向く。睨みつけられているわけでもないのに、少年の背筋に悪寒が走った。

「オレと勝負しろ」
「え?」
「この役の歌を順番に歌うんだ。どっちが上手いかみんなに決めてもらう。お前が勝ったら、コークロスでもなんでも植えなよ。でも、オレが勝ったらおとなしく出てってもらう」

  少年の顔に、初めてうすら笑い以外の表情が浮かんだ。怒りと焦りだ。

「な、なんで僕が一庶民なんかを相手に歌わなきゃいけないんだ! お断りだね!」
「そうです。アルベール様のお声をこんな場所で披露するなど…言語道断です」

  少年を弁護するように、護衛の2人が口をそろえた。それを見やって、ジョイスは確かめるように少年に問いかける。

「ふーん。じゃあ、植林の話はナシってことで」
「いや、それは!」

  むきになって言い返そうとした少年を護衛が制する。2人で少年を取り囲むように立ち、小声で会話をすると、今まで真っ赤な顔をしていた少年はきっと口を引き結んで護衛のもとを離れた。そのままジョイスに向って歩いてくると、今までためこんだなにかを吐き出すように、口を開いた。

「アルベール・アイオス・グライシング」
「え?」
「僕の名前だ。お前は?」
「ジョイスだ。ジョイス・フライハイト」

  ジョイスが名乗ると、少年――アルベールは右手を差し出した。この時のジョイスには知るよしもなかったが、それはグライシング家で条件をのんだことを意味する所作だった。反射的に差し出された手を握ると、アルベールが口元をゆるめて笑いを漏らした。

「…なんだよ」
「いや、なんでもない。僕は条件をのむ。この勝負受けて立とう」
「アルベール様!?」

  勝負を受けるとは思っていなかったのだろう、護衛のうち一人が慌てた様子でアルベールに駆け寄ろうとした。が、それはかなわない。アルベールの一言で群衆が一気に盛り上がってしまったのだ。
  散らかった客席の椅子を並べ直す者、仲間と集まって金を賭け出す者、舞台上の大道具を寄せ始める者…彼らの視線はジョイスとアルベールに注がれていた。

「台本をくれないか? 練習くらいさせてくれ」

  アルベールが尋ねると、アークがその手に台本を押しつけた。一見何の感情も現れていないように見えるが、長年一緒に暮らしてきたジョイスは、彼が焦っていることを知っていた。

「時間は? 十五分後?」
「…十分後だ」
「おっけー」

  そばに寄ろうとしたアークに向ってジョイスはほほ笑んだ。大丈夫。なんとかなる。
  客席に座って台本をめくりだしたアルベールを尻目に、ジョイスも台本を開いた。

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