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セブンス・リート

  彼は、騒ぎ立てる群衆を尻目に静かに立っていた。身を包む白いローブには、腹から背中にかけて学院の紋章が描かれている。白い頬に青い瞳、茶色の髪をした少年だ。ジョイスとさほど年は変わらないのではないだろうか。少年の回りには、2人ほど護衛が付いている。彼らの持つ槍の模様に見覚えがあった。あれは、確か…。

「グライシング家だ。見ろよあの槍」
「グライシングって、あのグライシングか!?」
「他になにがあるってんだよ」

  グライシング。その名を聞いていい気持ちになる者は少ない。ルクスフォニアの外交貿易を一手に担う商業貴族だ。国家の次に権力を持つ一族といわれ、その実、ルクスフォニアの名産であるコークロスの伐採、売買もグライシング家の統治下にある。国から直々に伐採権を得たと主張してはいるが、水面下で何か起こっていることは素人目にも明らかだった。
  権力を乱用した土地の没収。コークロス植林のための原生林の伐採。グライシング家の評判はあまりよろしくない。少年がその商業貴族の出なら、なおさらである。

「こんにちは、生徒さん。芝居が観たいのかな?」

  先についていたクレフが、少年に向って話しかけた。

「なわけないだろう。庶民が作る下等な娯楽なんか」
  少年が放った一言に、群衆から怒りの声が上がる。クレフは一瞥して人々に静まるようよう促すと、その年に似合わないうすら笑いを浮かべる少年を見た。
「じゃあ、なぜここに?」
「そこの役者の芝居がひどかったからさ」

  そう言って少年が指したのは、芝居小屋で一、ニを争う人気の男優だった。

「そんなことはないよ。彼はここでは一番人気なんだ」
「なるほど。じゃあ、ここの芝居たいしたことないんだ」

  たいしたことない。その言葉にジョイスの頭に血が上った。いくら貴族のお坊ちゃんだとしても、サリアやクレフ、その仲間たちが作る芝居を「たいしたことない」で一蹴とは。

「おい、お前ふざけんな!」

  思うより先に体が動いていた。少年につかみかかろうとした寸前、護衛にその手ごとねじあげられる。腕に激痛が走った。クレフが口調を荒らげる。

「うちの子に手を出すな!」
「そっちがしかけてきたじゃないか」
「ちょっと元気がすぎるだけなんだ。放してやってくれ!」
「ふーん。どうしようかな…」

  その言葉を聞くか聞かないか、腕がさらにねじあげられる。ジョイスの口から苦痛の声が漏れた。

「ジョイス!」

  ふいに、痛みがなくなった。地面にくずれおちてから、アークが自分を護衛の手から逃してくれたのだと知った。

「アーク!」
「だから先に行くなっていったのに…。立てるか?」

  人ごみを無理やり抜けてきたのだろう。乱れた服を気にすることもせずジョイスを立たせると、アークはまっすぐ貴族の少年を見た。

「学院のお坊ちゃんがウチに何の用だ?」
「あいつの歌はなんだ? 下手すぎるじゃないか」
「歌?」

  護衛を連れて『祭典』を見物していた少年は、偶然芝居小屋の前を通りかかったのだと言う。そのとき本番に向けてリハーサルをしていた男優の歌を聞いたのだそうだ。

「僕のほうが断然うまくできる」
「だったらなんなんだ」
「あの役は僕にふさわしい」

  ざわり。群衆がどよめいた。ジョイスの後ろで息をのむ音が聞こえたので振り返ると、サリアが青白い顔で少年を見つめていた。興奮でかいていた汗は、今や冷たい予感となってサリアの額に浮いている。ジョイスはそっとサリアの手を握った。ふっくらとした手に触れた時、自分の手も冷たくなっていることに気づいて心がざわついた。

「お前が…あいつの代わり?」
「そうだ」
「だめだ」
「いいじゃないか。上手い人間がやった方がいい芝居ができる」
「だからってお前がやるのは話が違う」

  この少年は分かっていない。人が一人変わるだけで、芝居がどれだけ崩れるか。変わった人間に合わせるのに回りがどんなに苦労するか。客が安心して観れるからこその見世物である。少年の心にあるのは、舞台に立って脚光を浴びたいという、それだけの欲望なのだろう。
  アークからあからさまな拒絶をされたとわかるや、少年の瞳に意地の悪い光がともった。

「そう。だったら、ここを次の植林地にしようか」
「なに?」

  嫌な予感は的中した。少年が護衛に目配せすると、一枚の紙を渡される。そこには、この地区一帯をグライシング家の所有とすること、コークロスの植林地として提供することなどが書いてあった。紙を持つ手が震える。

「こんなこと許されるはずがない!」
「すでに歌主様には許可を得ている」

  護衛が何の感情もなく告げた。

「あとはアルベール様のご署名だけだ」
「分かっただろ。僕のサイン1つでここはグライシング家のものになる」
「そんなむちゃくちゃな!」

  芝居小屋は騒然となった。少年をののしる者、殴りかかろうとするもの、パニックになって泣きだす者…。アークやクレフが落ち着かせようとしても収まらない。それどころか、次第に騒ぎは大きくなっていく。その中で、サリアに強く手を握られたジョイスは、アークの背中を見つめながら思考を巡らせた。
  この状態をなんとかするには。せめてみんなが落ち着いてくれたら。静かになってくれたら。
  頭の中で何かがはじけた。よく分からないものが流れ込んできて、ジョイスに囁いている。今までにない感覚に戸惑いながらも、次に何をすべきかは分かっていた。

「…ジョイス?」

  握っていた手を放して歩き出すジョイスに、サリアは何かを感じた。一瞬、遠い日の彼女と重なって、

「…あなたなの?」

  すがるような声は群衆の怒号の中に飲み込まれた。


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