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ノイジィ・ヘイズィ
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私の名前は梅子。
現在人気急上昇中のドッグトレーナーだ。

ただでさえペットを家族とする風潮の現代日本においては食うに困らないのに、腕を買われてマスコミ露出をしたために仕事量も並みのトレーナーよりはるかに増し、幸せな毎日を送っている―――…

と思われがちだが、私が動物関係の職に就いたのは人間との交流が苦手だからであり、街を歩くだけで知らない人間に声をかけられ指さされ手を振られる結果となったマスコミ露出は私にとってデメリットしか生まなかった。

現在絶賛、神経精神科に通院中だ。


「千手先生…私はもう駄目です…なぜ数ある動物関係の職の中でドッグトレーナーを選んでしまったのだろう…
最近ではちょっと買い物に出るだけで、気が付くと道行く全ての散歩中の犬に
<お手・お座り・伏せ・待て>
を躾ける羽目になっているんです…なぜ犬は人と散歩をしているのだろう…ドッグトレーナーなんて、結局相手にするのは犬ではなくて飼い主である人ですからね…嫌でも人と接しなければならないんだ…つらい…こんな国は滅びてしまえばいいんだ…」

「飛躍しすぎだ。
どんな職に就いても、人は人と接しなければいけない。ドッグトレーナーに限ったことではない。
ところで、最近の病状は?」

「人と話そうとすると発汗が止まりません…脈も上がって息苦しくなって身体が震えて吐きそうになります…
知り合いとは、話せるようになってきましたが…」

「…まあ俺と会話ができるようになってきているのは、進歩だ。頑張っているな。偉いぞ。
目は、まだ合わせられないか」


担当医の千手扉間先生は、精神科医にありがちな綿菓子のようなべたつく嘘くさい甘さが無い分、時折強行手段をとったりする恐ろしい人である。
人差し指を噛み、少し震えながら視線を合わせないようにしている私の顔を覗き込もうとしてくるので、床を蹴り座っているキャスター付きの椅子で後方へ勢いよく退避した。
勢い余って入口の引き戸に激突するが、それどころではない。


「やめてください!千手先生は!目付きが怖いから!まだ無理です!ので!」

「………そうか。わかった。もうしないから戻ってこい」


壁際で震える私を安心させるように手招きをしながら手元のカルテにメモをする千手先生は、ポーカーフェイスを装っているが、ちょっと傷ついていることが、私にはわかる。
普段犬を相手にしているのだ。
人間のわずかな表情や心の変化なんて容易にわかる。
だから怖い。
しかし、仕事とはいえ私のことを慮って治療してくれようとしている人を、傷つけてしまった。


「ご、ごめんなさい、先生…違うんです、その、目付きはその、じ、事実なんですが、でも先生がいろいろと考えてくださっているのは、わかっていて、感謝も、していて、ええと、その、あ、あの、」


思考を言葉にするのは、今の私にとって大変な労力が要る。
それをちゃんと理解して、こちらが口を開いてからは作業を止めて言葉を待っていてくれる千手先生は、やはりプロだ。
完治にはまだほど遠いが、礼の一つでも、きちんと言いたい。
生唾を飲んで手汗が大変なことになっている拳を握りしめて、感謝を伝えようと顔を上げた。

時であった。


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