GEASS
空中マリオネット
耳を疑った。
「あ…っあ…だっめ…そこは…!!!」
ノックをしようとした部屋から聞こえてきたのは、主のあられもない声。
一瞬、部屋を間違えたかと思い、廊下を見渡す。
残念なことに、今日はあの上司の姿すらない(そういえば彼は特派専用トレーラーに籠もりっきりだ)
つまり僕唯一人。助けを呼ぶことすら不可能。
………だが確かにこの部屋は、僕が毎日仕事で訪れている部屋のはずだ。
「ぁっ、ジ…ノ…っそんなぁ…むりぃ」
苛立ちと、焦りと…あと何だかどろどろとした感情。
ジノ?それが相手の名前か?
いや、相手がいるというのはある意味安心か。一人でこんな昼間から抜いているようでは、逆に心配だ。
「ん…ぁや…めぇ…」
ノックをするべきか、否か。
もう少し時間を置いた方が良い気がする。主のプライド的にも、僕の理性的にも。
……いや、だけど、この書類は早めの方がいいって、さっきセシルさんも言っていたし……僕はかつて無いほどに思考を巡らせた。
「ぁあっ!!」
一際甲高い声……というよりは悔しそうな声と共に何かを床に叩きつける音が聞こえた。
僕は慌てて扉を開けた。もし主が非道な暴力など受けていたら、未だ叙任式すら行っていない自分は、騎士どころか騎士代行すら失格だ。
「いかがなさいましたか!?………でん、か?」
僕は目の前の光景に唖然とした。
開いた口が塞がらないなんてある訳ないと思っていたが、どうやら古人は正しいようだ。
部屋にはこれでもかというくらい存在を主張する大型テレビと、
「あっ、昨日の仏頂面日本人くん!!」
テレビゲームのコントローラーを掴む主と、昨日の金髪ブリタニア人。
よく見ると、テレビの画面では今正にマリ○カートのレースが繰り広げられていた。
金髪の男はこちらを向きながらも器用に手元を動かしキャラクターを動かしているが、主は気まずそうに僕から視線を逸らした。
けれどゲームにも集中出来ないのか、手が全然動いていない。
「なに〜?君、軍の人だったんだ。やっぱり」
金髪男の言葉で我に返った。
主もそうだったのか、急に立ち上がりテレビのコンセントを抜いた。
「あぁああぁっぁぁぁぁ!!!!!」
「うるさい。喚くな、ジノ」
ゲームに夢中になっていた彼、ジノと言うらしい、が悲痛な叫びを上げるも、主の一喝により宥められた。
「悪かった。枢木。で、用件はなんだ?」
普段通りの凛とした態度で振り向いた主の顔は、最初に会った時の主の顔と同じだった。
「……あっ、こちらが特派からの申請書です」
「ふむ……」
茶封筒を渡すと、彼はすぐに中身を確認した。
「これはシュナイゼル殿下に任せるしかないな……分かった。報告しておく。戻っていいぞ」
「………へ?」
昨日までの彼は、この後に必ず「お茶が欲しい」だとか「部屋の片づけを手伝え」とか、そういった雑用を僕に言いつけてきた。
だが今日はそれがない。
恐らく昨日の自分の行動によるものなのだろうが、内心驚いて思わず可笑しな声を挙げてしまった。
「いや、だから……戻っていいぞ。特派に」
そういえば、今日主は自分と一度も目を合わせてくれない。
「あ、あの殿下、」
謝らなければ。誤解を解かなければ。
自分の犯した行動は、本当に殿下を嫌がってのことではなく……ただ…ただ……
「ところでさぁ、君は誰?」
言葉を発する前に、思考自体を遮られた。
今まで黙っていたジノが、主の後ろから急に会話に介入してきたのだ。
「えっ……あ、あぁ。紹介がまだだったな。彼は枢木スザクといって、」
「あぁ。君が例の枢木スザクさんなのか……」
主の言葉が終わる前に、合点がいったとでも言いたげにジノは呟いた。
含みのある言い方が非常に気になるが、彼は値踏みするように僕を見たかと思うと、
「よろしくな。枢木くん。私はジノ・ヴァインベルグ。ナイトオブスリーだ」
と爽やかに挨拶してきた。
「ナ、ナイトオブスリー?」
差し出された右手と握手を交わしながら、僕はその名を復唱した。
つまり彼は皇帝陛下直属の騎士、ナイトオブラウンズの一人ということだ。
この若さで、ブリタニア一のナイトメアの使い手が集まる集団に在籍しているなんて……
「ルルーシュ殿下とは、まぁ本国にいた頃から交流があってね。年も近いし。だから遠征ついでに様子を見に来たって感じなんだ」
屈託無く笑う表情には、ナンバーズである僕へ対する侮蔑や嘲りが全く含まれていない。
彼らを見ているようだと思った。
「ところで、君は、ルルーシュ殿下の騎士になるらしいね」
声に変わりは決してない。
しかし巧妙にルルーシュには見えないようにして、僕へと殺気の篭った眼差しを向けている。
人殺しの目。というのは言い過ぎか。
しかしきっと彼なら、いつでも僕のことくらい捻りつぶせるのだろうな。
「ジノ、お前はユフィに感化されすぎだ。彼はまだ正式な騎士ではないよ」
口を開きかけたのを、またも遮られた。
今度は主によって。
そしてその言葉は思った以上に、僕の心を沈ませた。
「なんだ。そうだったのか!!すまないね、私の勘違いだったようだ」
バシバシと強く肩をジノに叩かれる。
痛い。
肩じゃなく、心が。
「……どうした?枢木?」
俯いた僕を主が下から覗き込む。
無意識にやっているのだとしたら、酷い話だ。
いや、先に酷いことをしたのはきっと僕なのだろうけど。
突き放すなら、もっと痛めつけてくれればいいのに。
それなのにこんなことをされたら、僕はまたあなたの優しさに甘えてしまう。
「……すみません。自分は大丈夫ですので、ここで失礼します」
甘えてはいけない。
彼に捨てる気などなくとも、きっと僕が彼を傷付けてしまう。
最高の作り笑いを顔に浮かべ、僕はその部屋を後にした。
引き攣っていないかは保障できないけど。
まったくなんなんだあいつは。
酷く勝手な奴だ。最低だ。
私は横に立つルルーシュを見た。
彼が出て行った扉を見つめたまま、立ち尽くしている。
「ルルーシュ殿下?」
声を掛けても返事が無い。
紫の瞳は何も映していない。
こんな彼を見たのは、あの事件以来だ。
「ルルーシュ」
もう一度優しく囁く。
「……あっ、ジノ……」
すまない。少し呆けてしまってな。
彼らしからぬ弁明。
それでも困ったように笑う彼を見て、本当は力の限り抱きしめたかった。
でもそれは出来ない。
身分と、立場と、彼自身のプライド。
「殿下はちょっと待っててね。私、彼に特派案内してもらいにいってきます」
軽く彼の肩を叩いてから、笑顔で部屋を後にした。
「ついでにロイド伯爵にも挨拶しよっかなー」
そう言うと、ルルーシュはまた眉尻を下げ笑顔を作った。
「枢木くん」
後ろから声が掛けられた。
ジノ・ヴァインベルグだった。
「………何ですか?」
きっと彼の前では、もう自分を偽っても仕方ないだろう。
思いっきり仏頂面で、自分よりも高い位置にある顔を振り向き様に睨んだ。
「おっと、随分ご立腹なようだね」
「………」
「特派に案内してくれないか?ロイド伯爵に会いに行きたいんだ」
それは口実だと分かっているけれど、僕に断れるはずも無い。
付いて来たいならそうすればいい。
僕は歩みを止めずに、長い廊下を歩き続けた。
「君、日本人だよね?やっぱりテレビゲームとか小さい頃やった?」
「………」
「昨夜からずっとルルーシュとゲームやってたらさ、結構盛り上がっちゃって。でもルルーシュ弱すぎて、相手にならないの。ゲームやってる時に出す声がエロすぎてどうしようかと思ったよ」
リーチが違うから、すぐに彼に追いつかれてしまった。
聞きたくない。
耳を塞ぎたかった。
彼の言いたいことは分かる。
「君が一体ルルーシュの何を知ってるというの?」
ほら。
思ったとおりだ。
「何も知りません」
「それなのに、騎士とかやろうとしてたの?おこがましいにもほどがあるよ」
トーンの下がった低い声。
嫌悪と侮辱が入り混じった声。
「私の方が、彼のことをよく知っている。与えられる恩恵の価値も分からず、ただただ享受してるだけのくせに、傷つくのが怖いからって逃げ出すような臆病者よりずっと」
まるで青く澄みきった空ような瞳が、僕の心を真正面から射抜く。
あぁ、その通りさ。
知らないんじゃなくて、知ろうとしなかった。
全て僕の罪だ。
だって、彼は僕に近づいてきてくれたじゃないか。
『友達』になろうって。
「本国には彼を愛する人がもっとたくさんいるんだよ」
優しく頭を叩かれ驚いた。
目を丸くすると、人懐っこい笑みを浮かべたジノがいた。
「彼を護りたいんなら、君の全てを懸けてよ」
特派へは結局行かなかった。
そんな気分でもないし。
ロイド伯爵にも、別にいいや今度で。
私は大きく息を吐き出しながら、廊下にへたり込んだ。
「君の全てを懸けてよ……か」
自分でも思っても無いことを言ってしまったものだ。
本当はもっと苛めようかとも思ったんだけどな……何でだろう。どうも上手くいかない。
「私は何も懸けれてないよ……」
頭を、立てた膝と膝の間に埋める。
私は皇帝陛下の騎士、ナイトオブラウンズだ。
ルルーシュ殿下の騎士に、なることはない。
悔しいのか、何なのか、醜い嫉妬心だった。
でも気付いて欲しかったんだ。
一体、私はあの青年に何を求めているんだろう。
「頼んだよ、枢木スザク」
見上げた先には、瞳と同じ青空が広がっていた。
Title by "9円ラフォーレ"
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