[通常モード] [URL送信]

「この空の下で」



――― 数日前 ―――



ユミさん..ユミの事が気になってしょうがない。家にハブラシを置いていくって事は、お泊りレベルでまたちょくちょく来ます、って事なんじゃないだろうか。あんな事が、また、いやもっと先まで...


考えてるとなかなか仕事が進まない。

今月発売のビデオのパッケージを完成させて、印刷屋さんに持っていかなければ。

ビデオ撮影の時に撮られた写真を選んでパソコンに取り込み、パッケージのフォーマットに貼付けていく。
選ぶ写真や配置や大きさなどを気にしながらやるので意外と時間がかかるし妙な感性が要求される。



「どーだ?進んでるかぁ?」

はい、なんとか..

たまに、ユキオさんはこっちの部屋に雑談がてら煙草を吸いにやってくる。普段はハス向かいの部屋でアイリさんと仕事をしているけど、向こうの部屋は禁煙らしいのでこっちに来るんだろう。

ベランダにあるエアコンの室外機に腰掛けて、ユキオさんは煙草に火をつける。

こういう業界の話や、釣りや、表現する事についてだったり、普通にHな話だったり、機嫌がいい時のユキオさんは饒舌で話が面白い。

髪と髭を伸ばすだけ伸ばして、仙人のようになったら、バッサリと切ってしまう。そのサイクルを繰り返していて、今はバッサリから一ヶ月位しかたっていないのでダンディな印象だ。

ここに面接に来た時はバッサリ寸前の頃だったからかなりのインパクトだったけど..


「おまえは、音楽をやってるんだよな?」


え、はい..


「こういうビデオにしろ、音楽のCDにしろ、それを売って食っていくってのが、どういう事かわかるか?」

え・・・

何が解らないかって、質問の意図が解らない。


「つまり俺達は、ドブネズミって訳さ」


どういう意味だろう


「いいか?人間は働いて、まず自分を生かさなきゃいけないわけだ。解るな?自分の飯を食って、必要なものを買い揃えて、それでもし金が余れば、こういうビデオなりCDなりの趣味、嗜好品を買えるわけだよ。つまり、他人様のおこぼれの金で俺達は食いつないでいくんだから、そんなのはドブネズミと一緒だろう?」


極論すぎる気がするけど..何か、試されているんだろうか..

賛同しかねる意見だけど、この人に、反論するのは難しそうだ。今日はどうしたんだろう。嫌な事でもあったんだろうか。


「ユキオちゃ〜ん?」


とっさにユキオさんは煙草を揉み消した。


「ん、すぐいくよ〜。あ、おまえはそれあげて印刷屋行ったら今日はあがりでいいから、じゃあな」


こういうラフな感じがほんとにいい職場だ。早く帰れたら、また曲を録ろう。



夕方過ぎ、少し薄暗くなってきた時間に、明治通りにかかっている歩道橋の上から道路を眺めるのが好きだ。

空気が悪いからそんなに長い時間はいないけど、行きかう何十台もの車の赤や黄色のランプが規則的に列んでいて、それが川の水面のようにうねりながら流れていくのを見ていると不思議な気持ちになる。

あのたくさんの車の中には全部人が乗っていて、その人の意思と視界があって、みんながみんな何かの途中で、ぱっと見だけでも何百の人生がこの道路の上に凝縮されて列んでいてそれを少し上の違う場所から見下ろしている。

テールランプが人の魂に見えてくる。この渋滞は、命の河だ。それを傍観していると、何故か、落ち着く。


携帯が揺れている、メールだ。





[サトシ、好きだよ!
 グンナイ♪  ユミ]




しばらくは路上で動けずにいた、

何度も繰り返しその文面を眺め、

意味が理解できた時には、

少し涙が出た。








[前へ][次へ]

第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!