■少年は隘路を廻る■ 真虚混濁【[】 「しぃちゃんは塾帰りなの?」 「うん。今日は模試が返ってきたの。要ちゃんのガッコ、A判定だったよ。でも油断しないでやらないとね!」 歩き出した一行の横に並んで、椎奈はにっこり笑った。余裕の笑みである。 「椎奈ちゃん頑張ってんだ〜俺もこの時期Aだったけど、それ保てばまぁ間違いなく受かるね!」 「私もそうでした。友達とか見てもその傾向でしたし。このままなら大丈夫よ」 口々に飛ぶ激励に、椎奈は再び口元を綻ばせる。 「そう言って頂けると嬉しいです。私は兄を見ているので、自分の底力は信じているんですが」 小さな灯りに照らされふわりと笑む少女を、慶司と美鶴は凝視した。 「底力…?」 美鶴が言葉にも表情にも疑問符を浮かばせて呟く。要一は慶司に一瞥され、苦笑した。 「兄はこの時期、やっと連立方程式できるようになったんですよ?当然、始めはE判定だったんですが、それで最後の模試でBとるんだから、天才的ですよね?」 にっこり笑う椎奈とは対照的に、慶司と美鶴は唖然としていた。 一見皮肉にも捉えられかねない台詞だが、彼女が兄である里耶をその点に於いて尊敬していることを、要一は知っていた。 何せ、里耶の尋常でない伸び行きは、勉強を見ていた要一が一番よく分かっている。 「彼奴はああ見えて、結構頑張り屋なんだ」 未だ驚愕の表情を崩さぬ二人に、そう言った。特別里耶の株を上げようと思った訳ではない。真実感じていたから、自然と言えた言葉だった。 はにかむ要一に、兄を誉められた椎奈は満面の笑顔を返す。 「お兄が高校受かったのは、要ちゃんのお陰だよ!要ちゃんが手伝ってくれたから、勉強嫌いなお兄も勉強頑張れたんだよ」 「いや、珍しく里耶自身がやる気になってやってたから、結果が付いて来ただけだ。しぃちゃんも励ましてくれたしね」 変わらず互いに微笑み合う二人は、客観的に見ると仲の良い兄妹のようだ。だが、脇に居る外野はそんな印象を感じもせず、別なことに気を取られていた。一つ、大事な質問をせねばなかない。 「あのさぁ、お取り込み中申し訳ないんだけど」 遂に蚊帳の外から内側に入り込もうと、首を捻りながら、慶司が声を発した。要一と椎奈が見遣ると、彼は腑に落ちないとばかりに眉間に皺を寄せていた。美鶴も同様のようだ。 「野崎は――椎奈ちゃんはともかく、兄貴の方はどう見ても勉強一生懸命やるタイプじゃないじゃん。今だって、授業のサボり魔としては有名な程でさ。俺らの学校って一応進学校で、一応皆、進学の為に勉強第一で学校に来てる訳だろ。何で勉強嫌いな野崎は、そんなに必死になってまで、お堅い学校に入ったんだ?いや、これはあくまで素朴な疑問で、他意はないんだけど」 顎に手をやる慶司の横で、美鶴も何度か頷いた。優等生で通してきた二人にとって、いや進学校に通う生徒にとって、確かにそれは当然の疑問だった。 「俺も最初はそう思ったよ。無理に進学校行って、勉強勉強言われるより、他の高校行って、自分のペースでやってった方が、里耶の為じゃないかって。でも彼奴、家から一番近い高校に通いたいって言うから」 小さく笑んだ要一は、動機はどうあれ、里耶がそう言うなら自分は手伝うだけだと思った、と呟いた。 それを見て、椎奈も微笑む。 「要ちゃんがそう言ってくれたから、お兄も力出せたんだよ。まぁ動機は不純だけどね」 「何でも良いんだよ動機なんて。良い結果が出せたんだから」 穏やかに会話する二人の横では、再び蚊帳の外に逆戻りの慶司と美鶴が未だ不満気だったが、くどい事は好まないので、それ以上追求しないことにした。それに――まもなく要一と別れる角に差し掛かる頃である。 「椎奈さんは…お兄さんが好きなのね」 敢えて疑問に対する質問は避け、感想を述べた美鶴に、椎奈は顔を綻ばせ、答えた。 「そうですね。追っかけて同じ学校に入ってやろうとするくらいには」 小気味良い程明確に言い切ったしっかり者の妹は、勉強第一の年輩者達を再び沈黙させた。 要一はその一部始終を見、スマートな優等生然とした椎奈に、確実に野崎家の血を感じたのだった。 [*back][next#] [戻る] |