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小説




「まぁ、俺がお前に勝てるのは、お前が追い掛けてくるからだな」

「へ…?」

「お前がすぐ後ろにいると思うと、負けられない、もっと早く…って思う。お前がいなければ、俺にはこんなタイム出せなかっただろうな」



シャツを羽織ながら、いつも思っていたことを何気なく口にする。
何の返答もなかったことに、不思議に思って振り向くと――



――トン



ロッカーを背にした俺の顔のそばに、川田の両手が置かれた。



「川田…?」



いつもチャラチャラしていて笑顔を絶やさない奴が、真剣な表情で俺を見つめている。
塩素で痛んだ茶色い髪は、濡れているせいで今は黒く見えた。



「なんだよ、どうかしたのか?」

「………」

「おい、川―――」



気付いたら、奴の顔がすぐ目の前にあって。
唇には、なんだか暖かくて柔らかな感触。
それが何なのかを理解するには数秒の時間がかかって。
やっと我に返った時には、奴を思いっきり振り払っていた。



「いて…」

「…っ、帰る…っ」

「おい今井…っ」

「く、来るな!なんでこんなこと…っ」



シャツのボタンもきちんと止めないまま、俺は荷物を抱えて部室を飛び出した。


最後に見えた奴の悲しそうな顔が頭にこびりついて――
どうやって家に辿り着いたのかも、覚えてはいなかった。





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あきゅろす。
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