小説
4
「まぁ、俺がお前に勝てるのは、お前が追い掛けてくるからだな」
「へ…?」
「お前がすぐ後ろにいると思うと、負けられない、もっと早く…って思う。お前がいなければ、俺にはこんなタイム出せなかっただろうな」
シャツを羽織ながら、いつも思っていたことを何気なく口にする。
何の返答もなかったことに、不思議に思って振り向くと――
――トン
ロッカーを背にした俺の顔のそばに、川田の両手が置かれた。
「川田…?」
いつもチャラチャラしていて笑顔を絶やさない奴が、真剣な表情で俺を見つめている。
塩素で痛んだ茶色い髪は、濡れているせいで今は黒く見えた。
「なんだよ、どうかしたのか?」
「………」
「おい、川―――」
気付いたら、奴の顔がすぐ目の前にあって。
唇には、なんだか暖かくて柔らかな感触。
それが何なのかを理解するには数秒の時間がかかって。
やっと我に返った時には、奴を思いっきり振り払っていた。
「いて…」
「…っ、帰る…っ」
「おい今井…っ」
「く、来るな!なんでこんなこと…っ」
シャツのボタンもきちんと止めないまま、俺は荷物を抱えて部室を飛び出した。
最後に見えた奴の悲しそうな顔が頭にこびりついて――
どうやって家に辿り着いたのかも、覚えてはいなかった。
[前へ][次へ]
[戻る]
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!