小説
1
――ザバッ
「田中、53秒37!今井、54秒23!」
今まで一切聞こえていなかった周囲の音が、コーチがタイムを読み上げる声と共に戻ってくる。
前は、この瞬間が好きだった。
水の世界から戻って来た俺に降り注ぐのは、称賛の声ばかり。
だったのに。
ホイッスルの音。
違うレーンで泳ぐ奴らが生み出す水音。
そして
部員たちの哀れみの声。
「ハァ、ハァ……くそっ!」
「おい、どうした今井!またタイム落ちてるぞ」
「……すみません、コーチ」
水泳を始めて18年。
一ヵ月後には大学最後の大会が控えているというのに、現在俺はスランプの真っ只中だった。
以前は50秒を切ることが当たり前だったのに、今はそれにも遠く及ばない。
「…このままでは、次の大会には出せないな」
「…ッそんな…!」
「当たり前だろう。元々お前はうちのエースなんだぞ。前大会の予選落ちはただの体調不良だと思えるような泳ぎを、周りは期待してるんだ」
「…っ」
「それが出来ないなら、今回は諦めろ」
それだけ言うと、コーチは他の部員の指導へと向かってしまった。
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