夢幻未来
一
――光月 凛花。
彼女が帰った後、口の中でその名前を呟いてみる。
(……何なんでィ、このすっきりしねぇ感じは)
凛花に会ってからずっと感じていたわだかまり。
何かは分からないが、確かに何かが石みたいにのしかかってならない。
「……凛花、ねぇ」
聞き覚えの無い名前。
顔…は見えなかったが、知り合いではなさそうだ。
彼女も初対面だと言っていたからそうなんだろう。
でも、何かが引っ掛かる。
名前を聞く度に、笠の下から読めない表情が向けられる度に、薄い作り笑いを浮かべられる度に、心臓が変に痛む。
それは締め付けられるような息苦しい感覚。
好きとかそういう意味のときめきじゃなくて、もっと辛いものだ。
「…訳が分かんねェや」
ごろり、と縁側で寝返りをうちながら呟く。
初対面の人間に何を感じることがある。
(……違う)
むしろ顔を見せようとしないことを疑うべきだ。
(…違いまさァ)
もしかしたら近藤さんの命を狙って潜り込んで来た攘夷志士かもしれない。
(違う!!)
ダン、と苛立ちに任せて床を拳で叩いた。
――違う、アイツはそんな人間じゃない。
胸が苦しくなるのは凛花が苦しんでるからだ。
泣きたくなるような気持ちになるのは、凛花が泣きそうになってるからだ。
何でかは分からない。
ただ、悲しい気持ちが伝染するみたいに伝わって来るんでィ。
「……でも、」
何で、こんな。
「………」
はっきりしないのは嫌いなんでィ。
気に入らねぇが、土方さん辺りに聞いてみるとしやすかね。
少なくとも今は、俺たちの中で一番凛花と関わってる人だしねィ。
**********
「おーい土方コノヤロー」
「なんだ総悟。……ってお前何でここにいるんだよ、今は見回りのはずだろうが」
部屋で書類整理をしていた土方は、珍しく奇襲をしかけずに普通に声をかけてきた沖田に驚いたが、すぐにその飄々とした顔を睨み付けた。
が、沖田がそんなことを気にするはずもない。
「そんな細かいことを気にするなんて、土方さんは器のちっちゃい男ですねィ」
「全然細かくねぇよ!!いいから仕事しやがれ!」
「分かりやした」
ジャコン
「……おい、何で俺に向かってバズーカ構えてんだよ」
「何言ってんですか土方さん。自分で仕事しろって言ったのに、これだから年寄りは嫌だねィ。ちなみに俺の仕事は便器の黄ばみみたいな存在を抹消することでさァ」
「誰が年寄りだコラ。つーかテメェ、それは俺が便器の黄ばみみてぇだって言いたいのか」
「違いまさァ、土方さんは便器の黄ばみじゃなくてウンコでィ」
「オイイイイイさっきより悪いじゃねぇか!!それただ単に流し忘れただけだろ!!それにお前はいい加減にセリフに規制かけろよ!」
「土〇さんは存在そのものがウンコだからいいんでさァ」
「何で俺の名前に規制かけてんだァアアアア!しかも肝心な部分何も隠れてねぇだろうが!」
「チッ、いちいち文句が多いですぜ。死ねよ土方」
「誰のせいだよ、お前が死ね総悟。ついでに見回りに行かねぇなら便所の掃除でもしてこい」
「嫌でィ。何が嬉しくて土方さんの掃除なんかしなきゃいけないんですかい」
「お前マジで一回死んでくんない?とりあえず俺をウ〇コに例えるのやめろ」
「ちっ」
「聞こえてんぞコラ」
額に青筋を立てる土方に気付かないフリをして、沖田は周りを見回した。
……誰もいない。
聞くなら今しかないだろう。
「土方さん」
「あぁ?」
「あの凛花ってやつ、何者なんですかィ」
「!」
土方は一瞬だけ動揺したが、すぐにそれを隠すように煙草に火を付ける。
紫煙が宙を漂った。
(誰かが聞いてくるとは思ってたが、まさか総悟が聞いてくるとはな……)
あの顔が見えない外見だ、怪しまれるのも無理はない。
それは土方も重々分かっていたが、沖田が凛花のことを聞いてくるのは意外だった。
確かにコイツは警戒心が強い。
だがさっき凛花と話してた時は警戒してる様子はなかったんだがな……。
(総悟も気に入ったように見えたんだが…、俺の気のせいか?)
そう思って土方が沖田を見上げると、沖田は部屋の入り口に立ったまま苦々しい顔をしていた。
(…これは、ただ疑ってるからとかじゃなさそうだな)
いつもと違う様子の沖田に怪訝な視線を送る。
長い付き合いだから分かる。
何があったのかは知らないが、警戒というよりは戸惑っているように見えた。
「……何でそんなことを聞く?」
試しにそう聞くと、沖田は少しだけ目をそらした。
本当に、珍しい。
そう思いながら土方は天井を見上げた。
「…アイツは俺の命の恩人だ。理由がないなら疑うことは許さねぇ」
「……土方さんがそこまで肩入れするなんてねィ。近藤さんはもう信頼しきってるみたいだが、俺にはどう考えても怪しい女にしか思えねぇや」
それはまるで、自分に言い聞かせているようにも聞こえる言い方だった。
こじつけるようにそう言う沖田に、土方は目を細める。
「本当にそう思うのか?」
「当たり前でさァ」
「ほぉ……。俺はてっきり、総悟も凛花のことを気に入ったのかと思ってたんだがな」
「!」
(図星、か)
素直じゃない沖田に内心苦笑しつつ、土方はまだ長さの残っている煙草を灰皿ですり潰して消した。
話はもう終わりだ。
総悟が何で急にそんなことを聞いてきたのかは知らないが、聞かれたことへの答えは俺も持っていないのだから。
「今、山崎にあいつのことを調べさせてる」
「!」
「報告が来たらお前にも教えてやる。…だから今は何も聞くな」
「……分かりやした」
パタンと襖を閉じて、珍しいことにおとなしく部屋から出ていった沖田の顔は見えなかった。
土方はため息をついて、また机に向き直る。
答えられないことを少し悔しく感じた。
自分は凛花について何も知らないのだと思い知らされた気がして、筆を握る手に力が入る。
確かに俺は、凛花のことを何も知らない。
顔も誕生日も、年さえも。
それでも信じたいと思う辺り、俺は確かにアイツに肩入れしているのかもしれない。
――人を引き付けて離さない何かが、そこにはあった。
[次へ#]
[戻る]
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!