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アジサイ


Hydrangea




君は青が好き。

僕は赤が好き。

君は花が好き。

僕は君が好き。



親が決めた突然の別れの日。

僕は遠くの街に行かなくてはいけなくて、最後に大好きな君に、君が大好きな青い花をたくさんあげたくて、公園に咲いていたアジサイを一本、君に手渡した。

そしたら、君は僕にこう言ったんだ。


『コウちゃんは、魔法使いだったんだね』

その言葉の意味はわからない。


ただ、あれからもう随分と時は経つ。
それでも僕にはあの言葉の意味は理解出来ていない。

だから、
君を探してこの街に戻ってきた。


答えが知りたくて、君に会いたくて……






「なにか、お探しですか?」

花屋の店先で、この時期になると僕はアジサイを探す。

「……あ、いえ……」

買うわけでもない。
ただ、魔法使いのヒントを探すんだ。

「……あれ?君、この前もお店を覗いてましたよね?」

……そんなの覚えてない。

「探しものは見つかりました?よかったら、お店の中で見ていってください」

長身の優男は、僕が返事をしていないのにあっという間に店の中へ連れ込み、大きな机の横にある使い込まれたパイプ椅子に座らせた。

「……わ…」

座った場所からは店中の、色とりどりの花が見渡せる。

「たまには中もいいでしょ?はい。今、お茶入れますから」

優男は店の店員みたいで、ニコニコしながらクッキーが乗った皿を差し出した。

「あ……す、すみません」

買う気もないのに花屋にいることが後ろめたい。

「……あ、降ってきた。いいタイミングでしたね」

ティーポットにお湯を入れながら、優男は外を指差した。

外はスコールのような雨で、霧がかかったみたいに少し先すらも見えない。
それでも、店の中には地面を打ち鳴らす雨音は、少し遠くに聞こえる程度でしかない。

「この雨ですし止むまで、ゆっくりしていってください」

店の中が花の匂いとは違う甘い香りに包まれる。
白地のカップに紅茶を注ぎながら、その人は僕に微笑む。

「いや、でも、ご迷惑じゃ……」

この豪雨の中、店を出ていこうとは流石に思えないが、正直、ここも居づらい。

「構いませんよ。この雨だと、お客さんも来ないですし」

あっけらかんと言って、紅茶を僕に手渡して、ハタとその人は時計を見た。

「……あー。ずぶ濡れかな?」

その独り言を苦笑混じりに言ってから、少し店番をお願いします。と言って優男は店の奥に行ってしまった。

2人で居るよりは気が楽だと、僕は立ち上がり店の中を軽く歩くと、目当てのものはすぐに見つかった。

公道に面したウィンドウの側に青いアジサイの鉢がたくさん並んでいる。

「……初めて見た」

その中に1つだけ、花びらが濃い青に縁取られたような花を付けた鉢があった。
青や紫色はよく見かけたが、縁取りのある花は初めてだ。

鉢を持ち上げて少しの間、花を見つめていると、店のガラス戸が勢いよく開く。

「かーっ!ずぶ濡れだぁ!」

……このどしゃ降りの中、客が来た。

「東ぁー!居るー?」

店に入ってきたライトグレーのブレザーを着たずぶ濡れの学生は、頭を犬みたいに振りながら店の奥に向かって歩いていく。

「西くん、お帰りなさい」

奥から出てきた東と呼ばれたあの優男の店員は、西と呼ばれたずぶ濡れの学生にバスタオルを頭から被せた。

「風邪ひきますよ。洗面所に着替えを用意したんで、着替えちゃってください」

西は、ん。と短く返事をして奥に入っていった。

優男は西を笑顔で見送ってから、こちらに近づいて来て優しく微笑んだ。

「珍しいですよね」

優男の言葉の意味がわからない。
ただ、その表情は、愛しくて慈しみがこもっているように感じた。

「え?えぇ……」

確かにずぶ濡れの人はさほど見ないが、確認するほどでも無いような……と困惑気味に曖昧に返事を返す。

「可愛いですよね、そのアジサイ。縁取りされてるみたいで」

無邪気な笑顔を向けられ、学生の方だと思っていた自分の早とちりに苦笑しつつ、手に持ったままだったアジサイをもう一度見る。

「アジサイの原種は青紫で、あずさいと呼ばれていたそうです。
「あず」は集まる。
「さ」は真の。
「い」は藍の略だと言われています。
まぁ、色自体は、土のphによって、酸性なら青紫、アルカリ性なら赤よりになるんですけどね」

東さんは、ニコニコしながらアジサイの話をしてくれる。

「色が多彩に変わるから、七変化なんて名前も付いてる。だから、花言葉は、移り気、高慢、無情なんてのが一般的です」

愛おしそうに花に触れ、花に優しく微笑むと言葉を続けた。

「でも、元気な女性、辛抱強い愛情って花言葉もあるんですよ。
漢字でアジサイは、紫陽花と書くんです。
もしかしたら、花言葉を付けた人の想い人が、紫色のように気品があり、陽の光のようなあたたかい人だったんじゃないかなって、勝手な想像でしかないんだけど、そう思うんです」

あまりに嬉しそうに話すので、つられて微笑んでしまう。

「それに一番近いのは、江戸時代、ドイツ人のシーボルトが日本に滞在していた時の妻、お滝」

僕らの話に入ってきたのは、店の奥から出てきた西。
たぶん東さんのものだろう、大きめの白いYシャツを腕捲りして、少し丈の長いジーンズで現れた。

「アジサイのヨーロッパ圏での一般的な花言葉が『忍耐強い愛情』。それは、シーボルトが自国でアジサイを『オタクサ』と紹介した時に、お滝という女性のイメージも花と一緒に浸透していったと考えられる」

無表情にデータを吐き出した西は、僕らのそばに来ると東さんにこう言った。

「んなもんは、どうでもいい」


……え。

そこまで知識を話しておきながら、ここで話題をその切り捨て方をしますか、普通?

「額アジサイってどんなん?」

呆気にとられた僕を放置して、2人は話を続ける。

「あぁ、これです。これは形にも品がある感じで、素敵ですよ」

東さんはアジサイの鉢の中から一つ持ち上げた。

そのアジサイは花の一つ一つが、大きな花びらを持つ花が額縁のように中心の小さな粒のようなものを囲んでいる。

「なんで、周りの囲んでるのにしか、花びらがないんだ?」

西は、疑問を不満そうに口にした。
その言葉に東さんは一瞬考えた表情をした。

「あぁ。これは、萼ですよ。花は中心のコレですよ」

東さんはにっこり笑って、アジサイの中心の粒みたいなのを指差す。

……さっきの縁取りのアジサイも花びらじゃなく萼だったのか。

「……じゃあ、額アジサイとドーム型に咲くアジサイは違うのか?」

少し驚いた表情をした西は、すぐに話を切り返す。

「まぁ、同じアジサイでも種類が違うんです」

東さんは話し半分に、周りの鉢の中をチェックし始めた。

「それが、どうかしたんですか?」

「……んぁ?あぁ。クラスのサキっているだろ?あいつの話」

一通り考え事がまとまったのか西は話を再開すると、東さんが話を理解したようで笑う。

「ああ。アジサイ王子の魔法、ですか」

さも当然のように、その名前が出た。有名な話らしい。
ただ、僕は『魔法』という言葉に1人、ドキッとした。
2人は別段僕を気にするわけでもなく話を続けている。

「そう、ソレ。俺、今日初めて聞いて。知らねぇって言ったらモグリ扱いされてさ」

「それは、お気の毒に」

「知らねぇっつーんだよ。こっちは地元民じゃねぇっつーに、な」

「……あ、あの」

楽しそうに話す2人の会話に思わず割り込んでしまった。

「それって、どんな話なんですか?」

おずおずと話始めた僕を、西はこの時に初めて認識したらしく、不審な人間を見るような目でこちらを見ている。

「教えて、いただけませんか」

西は東さんの方を見た。東さんは優しく微笑んで話の続きを促してくれた。

「……そいつはガキのころ、アジサイは額アジサイしか知らなかったんだ。それが、近所のダチにドーム型のアジサイをもらったんだけど、初めて見たもんだから、魔法使いだと思ったって話」

ぶっきらぼうに説明された言葉が、“もしかしたら”なんて都合がいいものに思えた。


でも、叶うなら……


「……その人の名前は、なんていうんですか」


儚い期待で鼓動が高鳴る。

不安で唇が震える。

やけに、心臓の音が……煩い。


「サキは……ミサキ?」

名前を全部は思い出せないと、すぐに諦める西。

「……三崎…奏」

僕は、懐かしい名前を口にした。


「あ、奏!……ん?てか、知ってんじゃん」

西は初めて僕に笑う。
僕もつられて思わず笑う。
でも、僕の顔はたぶん、うまくは笑えていなかったと思う。


……やっぱり、君だった。


『会いたい』と感情が溢れてくる。

懐かしくて、愛しくて……。

ただ、
名前を口にしただけなのに。


「……おい?どうした」

君は、僕の事を憶えていてくれた。

「……おい…」


君に会いたい。
君に会いたい。

……君に会いにやっと、此処まで来たよ。


さっきまで笑ってた西の顔がボヤけて見えない。



僕は幼い頃から長い間、親の転勤でいろんな街を転々とした。

どこに住んでいたかなんてわからないほど、風が通りすぎるように移り変わってばかりいた。
早ければ2週間、長くても半年という短い間隔での生活。
ろくに友だちと呼べる友人が出来なかった。

……いや、あえて作ろうともしなかった。
そんな僕に、君は積極的に声をかけ、仲間に入れてくれた。


――離れてしまうのがわかっているなら、一緒にいれるときに少しでも一緒にいたい。それが、友だちってもんじゃん?


あの日、もう構わないでくれと言ったら、君が笑いながら返した言葉に、幼い僕はどれだけ救われたか。


どれだけ、君に感謝したか。


どれだけ、君に逢いたいと願ったか。




「……まぁ、泣いとけ」
西は、さほど身長の変わらない僕の頭を上からクシャクシャっと撫でた。

それはどこか、あの日の君を思い出すほどに優しい言葉に思えた。


突然、静かな店の中に携帯電話の電子音が高らかに鳴り出す。

「……はい。てか、電話すんのも空気読めよ。で、何」

僕の頭を撫でるのを止めて電話に出た西は、電話の相手に理不尽な事を言っている。

「……は?なんで俺なの」

電話越しの相手の言葉はよく聞き取れないが、西は明ら様に不機嫌な口調だ。

「……だから何?」

一言一言に険が強くなる。

オズオズと西を見ると、西と目が合う。

西は、ニコッと不敵に笑った。

「………いいよ。その代わり16時半まで待て」

急に西の口調が変わる。16時半まで30分近くある。

「……うるさい。人にものを頼むなら、それぐらい飲め。16時半に校門前な」

西は一方的に言って電話を切った。そして、一番近くにあったアジサイの鉢を指差した。

「東、裏庭のアレ、一本売って」

「裏庭のは、自生してるものなので、差し上げますよ。ラッピングは要りようですか?」

「プレゼント。こいつに」

西は僕を指差した。2人の会話を茫然と聞いていた僕は驚いた。

「えっ?!ぼ、僕にですか!?」

驚く僕に西はしれっと言葉を続けた。

「そう。俺の代わりに学校の校門までサキを迎えに行って。傘忘れたんだって。花は、代わって行ってもらう、お礼」

呆気にとられた僕は、言葉を返す。

「……行くとも言ってないのにお礼を用意しないでくださいよ。それに…」

言葉に詰まる僕を射抜くような視線で西が見つめている。

「それに?」

まるで、心を見透かされてるような……そんな気分。

「……それに、む、無理です。行けません。」

『サキ』という名前を聞いて、怖じ気づいた僕の心を西は見抜いている。そんな風に思う。

「……何で?」

「心の準備というか、まだ勇気がない……です」

情けないぐらい語尾が小さな声になっていく。
どんなに君が覚えていてくれたからって、それがただの思い出話だったら、僕はどんな顔で君に会えばいいのか、わからない。

「……もし、これがサキと会える人生で最後のチャンスだとしても、お前は断るのか?」

冷やかな西の言葉に、僕は安易に返す。

「最後だなんて、いくらなんでも大袈裟……」

張り付けたような笑顔で笑う僕に、西は冷たく吐き捨てる。

「じゃあ、何で泣いた」

「っ!?」

「せっかくのチャンスを尻込みで活かせないなら、お前は一生サキには会えないし、会う資格もない」

「………っ」

反論なんて出来ない。
……間違っているのは、僕の方。

やっと君の住んでる街に、君に会えるところまで来たのに……。

君に会いたい。

でも、いざ君に会える時になって勇気が出ない。

足がすくむんだ……。

君にとって僕は思い出でしかなかったら、僕は…


僕はどうしたらいい……


そんな弱い自分が嫌いだ。
でも、怖くて仕方がないんだ……。




「……じゃあ、君に魔法をかけましょう」

頭上から降り注いできた優しい声の主は、俯いた僕の顔の前に小さな花束を差し出した。

「……アジサイ…?」

赤に近い赤紫の花が一本。
白くて薄い和紙の包装紙と薄いプラスチックの包装紙に包まれたシンプルな花束。

「……素敵な色でしょう?」

「……はい」

優しく促され、花束を受け取った。
甘い、花の香りと、雨の香りがする。

「君の好きな赤です」

東さんの言葉に僕は目を見開く。

「………はい」

どうして?そんな野暮な質問は出来ない。
君は、こんなことまで覚えていてくれたの?
それは……僕を覚えていてくれていると少し期待してもいいのかな?

東さんは優しく微笑んでいる。
僕はその笑顔に背中を力強く、大丈夫だよ。と押されている気がする。

「――あの、学校ってどうやって行けば?」

僕の言葉に東さんはさらに優しく笑った。
そして、半透明のビニール傘を差し出したのは西。

「店をでて、左。目の前の交差点を真っ直ぐ進むと光が丘高校前交差点に出る。そこを真っ直ぐ行くとすぐ坂道になる。その坂の上が学校」

少しそっぽを向き、ふてくされながら、道順を教えてくれる西。

「ここからなら15分もかからないですよ」

そんな西の頭を軽くポンポンっと叩いた東さんは、補足した。

僕は2人に頭を下げ、店を出る。


雨の激しさは止み、シトシトと降り続けているけど、遠くの空は、青空が覗いている。

「……もう、止むのかな」

傘をクルッと回す。
勇気を出せたことに、2人に感謝したい。


君に会える。

それだけで、僕はしあわせだから。

後悔なんてない。


君まで、あと少し。







「偉かったですね」

東が俺の頭を撫でる。

「ガキじゃねぇよ」

めんどくさそうにその手を払った。それでも東が笑っている。

「……んだよ、あいつのためじゃねぇよ。サキは俺にとっても大事なヤツってだけ」

いつも笑顔のサキがあの話をしている時、初めて寂しそうに見えた。
だから、俺に出来ることで恩じゃないけど、返してやりたかった。

「サキが笑ってくれるなら、それのがいい」

東は何も言わずにまた、頭を撫でけど、今度は、払わなかった。


「さ。お茶にしましょうか。コーヒーでいいですよね」

東は優しく笑った。





君がもう、梅雨の雨のように静かに泣くことがありませんように。

君が変わらず、紫陽花のような笑顔でありますように。

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あきゅろす。
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