■蒼月の夜
9
「紫高様は?」
「私は今日は休みじゃ。静稀と話がしたくてのう。」
「ぼ、僕と?そんな面白い話は出来ないと思いますけど…。」
詠様の食べ終わった皿をせっせと片づける侍女を見ながら、少しでも手を貸そうと、お皿を重ねつつ答える静稀。
そうしている内に皿は全て籠へと消え、自分の仕事が終わったのか、ヒラヒラと手を振って倫は扉を出ていった。
出るときに小さくウインクしてくる倫。
どうやら先程頼んだことは大丈夫だったようだ。
後で調理場を使いたかったのだが、その確認をしてもらったのだ。
ありがとうという意味を込めて、静稀はニッコリ笑い、手を小さく振り返す。
そして、次に佳武を見た。
「タケ、ご飯まだでしょ?」
「え、あ、はい。」
突然振られた話題に、ワタワタしながら答える佳武。
それに静稀は笑いながら、
「ご飯、食べてきていいよ?僕、紫高様とここにいるから。」
「し、しかし…」
佳武はそう言って、チラリと紫高を見た。
護衛まがいのことを紫高様にはさせられない…といった顔。
その顔を見て、紫高は笑い、
「よいよい。典、おるか?」
扉の外に呼びかけると、はい、という返事が返ってきた。
「知っておるだろう?典がおるから大丈夫じゃ。食べてくるといい。」
「は、はい。あ、ありがとうございます!」
ガバッと勢い良く頭を下げて、ぎくしゃくした足取りで扉を出てゆく佳武。
大分緊張していたのか、扉をでるなり躓き、ガタガタとたくさんの音を立てながら扉が閉まった。
「ふふ、やっぱり緊張してる。」
「静稀も意地が悪いのう。わざとだろう?」
「だって、緊張してるタケ、何か可愛かったから…。」
「ふはは、まぁ確かにのう。」
自分の立場は分かっているため、周囲の人間は少なからず緊張していることは分かっている。
その緊張こそが自分の威厳の大きさであり、立場の高さなのだが、王も一人の人間だ。
気負わずに、紫高として話が出来る人間を求めていた。
今までは、それが出来るのが息子の紫雲であり、詠であり、紫季であったのだが…。
驚くことに、静稀の側では妙に肩の力が抜ける。
守ってやりたいと思っていたのに、いつの間にか守られているような気さえするから不思議である。
「それで、僕に何を聞きたいんですか?」
また一口華茶を飲んで、はふっと息を吐き出す静稀。
その問いに、紫高の顔が苦々しく歪む。
「…その、静稀の世界には、『穢れ』のようなものはあったかの?」
やはり佳武を外に出して良かったのだと静稀は悟る。
話を…といった紫高の表情があまり良くなかったため、そうしたのだが、間違っていなかったようだ。
「…穢れ?」
「似たようなものでも、何でもよいのだ。」
「…そうですね、浄化の概念はありました。だからそういった良くないものを≪禊≫とか≪お祓い≫で祓ってましたけど…。」
「ミソギ…とオはラい、というもので穢れが消えるのか?」
「って言われてますけどね。実際には視えないし、僕たちの気分的なものです。きっと。」
視える人には視えるのだろうし、本当に存在するものなのかもしれないが、とりあえず静稀は、人の何気ない不安や恐怖といった感情を概念的にとらえているものだと思っていた。
信じていないという訳ではないが、やはり気分的なものだろうと。
「…そうか。」
紫高はそう言って一息付き、手元にあった華茶を啜った。
「…穢れってなんですか?」
「…、おそらく静稀の世界にあるものと似たようなものなのだがの。この世界では実体があるんじゃ。誰もが持ち得て、視えて、そして実害があるもの。」
「視える…んですか?」
概念自体は似ているのだろう。
人の負の部分が実体化して、視えるというのは驚きだが…。
しかも、それは一人一人がそれぞれ抱えているものではなく、そういった悪い感情が本人の知らない間に拡散し、大気を漂う。
それが、穢れという呼ばれ方をすると紫高は言った。
しかも、元来、自ら出たものであるというのに、再び取り込んでしまった穢れは浄化することが出来ず、命の保証はない。
どういう訳か総じて水に溶け込みやすく、しかも溶け込んでしまえば視えないため、時たま人間が飲み込んで害を受けるという。
実際、それが直接の原因でないにせよ、穢れを取り込んだことで、多くはないが少なくもない人数が亡くなっていた。
「静稀が始めに落ちた泉の底に水晶があって、その水晶の力が水を清めて、今まで穢れを浄化してきたんじゃ。」
「…してきたって…」
いくら水を浄化していても、大気にあるものは浄化出来ないし、不運にも飲む直前に穢れが溶け込むこともある。
そもそも、泉の底の水晶が誰が作ったものかすら分かっておらず、手が打てないらしい。
紫季のような巫女を派遣して、各地の大気を清めることをしているが、それは一時的なもの。
人の負の感情なんてすぐに溜まってしまう。
「最近、浄化がゆっくりになってきて、あの泉に僅かながら溜まり始めておる。私の水精霊が心配しているからの。早めに何とか出来ぬかと思って。」
「…そうだったんですか。」
浄化が遅れているのか、穢れが増えているのか…それは分からないし一時的なものかもしれないが、万が一…と言う紫高は、きちんと王の顔をしていた。
「力になれなくて、すみません。」
「よいよい。他にも当たってみるから大丈夫じゃ。」
「あ、≪塩≫!」
「ん?しオ?」
「えっと、味を付けるもので、しょっぱいのって…」
「ああ、エンか?それがどうかしたかの?」
「それ置くと、なんか清めの効果があるって、本当か分からないけど…。」
「そうか。試してみよう。ありがとう、静稀。」
静稀の頭をグリグリと撫でて、笑う紫高。
なされるがままになっていると、ノックの音がして扉が開かれた。
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