serial story
1
いきたくない。
行きたくない。
どうしたって行きたくない。
もうすっかり夏の雲が空を流れるようになった。
からりと晴れた空に響き渡る蝉の声。
小川に姿を見せる魚にとんぼ。
花にその身を寄せる蝶。
そんな夏を思わせる今日この頃。
俺は、目の前に置かれた黒い着物と睨めっこをしていた。
それはいつか斎藤に借りた物。
実はそれをずっと返せないでいた。
いつからと言われれば、軽く3週間、ぐらい?
いや、返すに行く時間がなかったわけじゃないんだ。
ただ、あいつに会うのがどうにも嫌というか気が引けるというか・・・。
だって絶対に何か俺の怒りのツボをねじ込むように突いてくるし。
その結果、俺は確実に不愉快な思いをするはめになるし。
この間の風邪引きの件だってそうだ。
あのヤロー、散々人で遊びやがって。
思い出しただけでもイライラする。
いや、でも行動しなかったわけじゃない。
実は、これを返そうと何度か警視庁の手前まで行ったことがあった。
けど、門を前にすると、どうしてもそこから先へ足が進まない。
門の前でうろちょろ。
行ったり来たり。
俺って、多分相当妖しい奴に見えたと思う。
門番の奴にも何回も声を掛けられたけど、その度に『何でもねぇっ』って言って逃げるように帰って来た。
でも、そろそろ本当に返しにいかねぇと・・・間が空き過ぎると余計に何か言われそうだし。
あいつに口で勝てる自信ねぇし。
喧嘩で勝てる自信があるわけでもねぇけど。
あぁ〜、こんなならあの時、置いて帰れば良かった。
俺は今更なことを一瞬後悔したが、そんな考えをすぐに打ち消す。
本当に今更だ。
こんなこと考えても仕方ねぇ。
俺は組んでいた腕を解き、ビシッと膝に手を打ち、決心する。
「よしっ!!」
目の前に置かれていた着物を手に持ち、立ち上がる。
良く晴れた外へと繋がる戸を開け、俺は警視庁へ足を向けた。
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