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嫌いと言えたなら。



それが出来たならきっと、こうはならなかった。

全てを拒絶して居られた。
独りで生きられた。



寂しさに気付く事も、なかったのに。



【嫌いと言えたなら】







「笑ってんじゃねーよ、気色悪ぃ」

声の主は絨毯の上に転がり己の暴力に耐えるその者の唇が笑みで歪むのを見咎め、勢いを付けて靴先を鳩尾へと繰り出し嫌悪を匂わせた。それでも尚、男は嘲笑うかの様に不敵な笑みを見せる。高潔さを宿した色素の薄い白鼠の髪は、ふわりふわりと跳ねながら光を放つ。穢れる事を知らぬ少女の様なそれにも、また嫌悪。ひっきりなしに蹴りを見舞い、その衝撃を堪える身体を仰向けにするべく肩を踏み付けると真っ直ぐ視線が絡む。
浅い息遣いの中、獣の牙は未だ折れず。

「なあ、まだ帰してくれねーのかぁ?今日も任務、あるんだけど」
「黙れ」

場違いな程に至って暢気な声でそう言ったのは、先刻から痛め付けられているその人本人である。わざとか天然か、危機感というモノがそもそも存在しないのか。不躾な言葉も平気で投げ掛けるし、間も悪い。
――はっきり言って、要領が悪過ぎる。

「……案外御曹司も暇なんだな」
「はぁ?」
「オレみてーなのにちょっかい出してる」

保身する気が更々ないのか、声を漏らす度に主の神経を逆撫でしていく。苛立ちで燃える様な紅を更にと色濃くしたXANXUSは、肩を踏み付けていた足を浮かせるとそれを男の腹部へ移動させ、間髪入れずに其処を強かに踏み付けた。その一瞬、男の顔に苦痛の色が浮かぶも直ぐにまた普段の調子に戻ったが、咳込んだ拍子に吐血した。絨毯を汚した事を咎めるべく再び蹴りを入れると、素早く口許を掌にて押さえ付け衝撃に耐えた。
こういう時ばかり察しがいい。


「はぁ、……もうやめるのか?もう少しいたぶってくれりゃあ任務出れなくなりそうなのに」
「誰が暇を与えるか、カスが。消えろ、――しくったら殺す」

相変わらずなやり取りを交わしながら酷く緩慢な動作にてスクアーロは立ち上がる。右手は腹部を庇う様に宛がい、投げ付けられた台詞には愉しげにクツクツと喉を鳴らした。獣の様に獰猛な笑みを浮かべる。

「オレに敗北なんてねえ」

名を表す傲慢さと己への誇りをその笑みに乗せ踵を返すと、扉の向こうへ消えていった。気配が遠退くのを感じながら、深く長い息を吐いた。
……いつまでも変わらない、奴とオレ。出逢った頃からずっとこんな調子でオレは奴を殴り、奴はそれを受け止めた。いくら減らず口を叩こうが、制止を求めた事もない。口答えこそすれども、必ず奴は笑うのだ。忌々しいまでの光を放つ瞳は一度も揺れた事はない。不変にして不動、それがオレにとっての奴――S・スクアーロ。

だが、それを酷く不愉快に思うオレも居る。尊敬だとか敬愛だとか、そんな生温い感情をオレに向けるカスが気に入らないのだ。そんなモンが欲しいんじゃねぇと、拳はまた――疼く。どうしたって奴に優しくしようなど考え付かない。あれは女ではない、だから……これでいい。このままで。

それ以上は、考えたくなかった。






「げほっ……う゛お゛ぉい、口ん中が不味ぃ……」

誰も居ない通路にて、咳き込む度に口内へと湧き上がる血液に顔をしかめる。酷く痛む腹部よりも口内に広がる鉄臭さの方が、我慢ならない。
折れた肋骨が何処かへ刺さっているのだろう、なかなか血が止まらず、面倒と思いながらも仕方無しにと治療を受けるべく部屋とは反対の階段へ足を向けた。馴染みある特有の匂いと清閑さの中に在る人の気配があまり好きではなかったので、出来れば訪れたくはなかった。
だが、流石に今日のは仕方がない。ほっといたら面倒な事になる。

「あら、スクアーロ」
「珍しいとこで会ったなぁ、……付き添いか?」

独特な存在感の次に視界に飛び込んできたのは鮮やかな萌黄色の髪と、困った様に微笑む優顔――ルッスーリアだ。外傷の無さそうな奴の血色の良い顔を見て視線を移せば、治療中の男が見えた。

「ええ、あの子が怪我しちゃったから連れて来たのよ。……って、ちょっと!あなたの方が酷いじゃない!!」
「騒ぐほどじゃねえ。……おい、痛ぇよ触んな」

世間話もそこそこにルッスーリアは声を上げ、返事も待たずに触診を始めて眉を寄せた。気遣う様な丁寧なその手付きにすら痛みを覚え、口頭だけの制止を投げ返すと奴は側に居たスタッフにてきぱきと指示を出した。
――ちょっと待て。


「う゛お゛ぉい、勝手なことすんな。オレは任務に出る」
「私が代わりに行ってくるから、お願いだから安静にしててちょうだい。あなたが思うより、人の身体は脆いのよ」
「いやだ、オレの任務だぁ!!」

「スクアーロ」
「……っ、」

それ以上はお互い何も言わなかった。オレはベッドへ寝かされ直ぐに治療を受けたし、こいつはこいつでオレが意識を手放すまで傍に居た。
奴とは何だかんだ一番仲が良かった。野暮ったくあれこれ詮索したりしてこないし(現に今も)、そういう距離感が心地良かった。
だからこいつが任務を代わると言った時、此処を出た後の事を考えた。奴は……XANXUSは、あいつをどう思うだろう。――オレは?

オレは多分、XANXUSの事が好きなんだと思う。いくら殴られても平気だった。もっと酷い事をして、嫌いだと思わせてくれたら良かったのに……なんて、な。そんな事を思うはずもないとわかっていた。触れる奴の拳が熱を帯びる度に、どうした事か。愛おしさを覚えた。焦がれていった。
愛だ恋だと言われても、きっと奴は受け入れない。もしかしたら、オレを近くに置かなくなるかも。はたまた、ヴァリアーから追い出されるか……あいつに恋愛はわからねぇ。オレがもし女なら、奴に愛とか恋とか教えてやれただろうに――とか、女々しい事も考えた。

それくらい、あいつを。






「失礼します、ボス」
「……何だ」

声の様子からして、あまり機嫌が良さそうじゃないけれど別段悪い訳でも無さそうだ。丁寧にお辞儀をしてから彼のデスクへと近付く。

「カスの事か」
「はい、治療の為明日までは少なくとも安静にとの事で私が代わりに」
「ぶはっ、思った通りのカスだなあいつは」

予想通りと言いたげに吹き出して笑う主を眺めつつ、ルッスーリアは考えていた。――二人が良く似ている事を。直接こんな事を言ったならきっと否定をされるのだけれど、内に留めるくらいなら許してくれよう。
書類を渡し、返された任務の詳細へ軽く目を通した所で「下がれ」と声が掛かる。いつもと同じタイミングで聞こえてきたそれに「Si.」と短く返事をして退室した。すっかり失念していたが、厨房に寄ってスクアーロに軽い食事を取らせなくては。彼は放っておくと平気で何食も抜いてしまうから、定期的に食事を取る事を覚えさせなければ。

そうだ、今日はミルク・リゾットにしよう。いつか一緒に食べた、彼の好きなミルク・リゾットに今日は沢山チーズを入れよう。






「はぁ……落ち着く」

スタッフ達の制止を押し切り、漸くと部屋へ帰って来たのは今しがた。危うく彼処に宿泊させられるところだった。治療は一通り終わったから彼処に居る意味なんて、皆無だろうに。

「スクアーロ、居るんでしょ?入ってもいいかしら」
「おう」

ベッドに腰を掛けた所でコンコン、と控え目なノックと声が聞こえた。オレの部屋にノックをして入るのはこいつだけだ。見られちゃ困るモンなんざねえから勝手に入って構わないと何度言っても、奴は穏和な笑みを浮かべるだけで無作法は好まなかった。――そういう所も嫌いじゃない。
入って来たルッスーリアは配膳台を押していた。一番上の段に蓋付き鍋、二段目に食器とペットボトルに入ったミネラルウォーターを乗せて。
傍らにて彼が鍋の蓋を開けると湯気と共にミルクの優しい匂いが鼻先を擽り、そこで漸く自身の腹具合に気が付いた。彼は“そんなモノは承知”とばかりにただ笑うだけで、手際良く皿にリゾットを取り分けスプーンと一緒に手渡した。素直にそれを受け取り、少しずつ口へと流し込む。本当はかっ込みたい所だが、処置は終わったとは言え一応怪我人だ。仕方無しにとちびちび食べる。すると、いつもなら一緒に食べるのに今日はどうだろう、一向に皿を手に取らない。一人で食事をさせる事を嫌う彼が何故……でも鍋にはちゃんと二人前程度のリゾットが用意してあったし、食器もちゃんとある。疑問に思い視線を持ち上げると、手が伸びてきた。慈愛に満ちた手付きでオレの髪を撫でながら幾分、すまなそうに笑う。

「ごめんなさいね、スクアーロ。今日は一緒に食べられなくて……でも、きっと大丈夫。明日はみんなでご飯食べましょうね」
「ガキじゃねえんだから気にすんな、……ありがとなぁ」
「お互い様よ」

それじゃあおやすみなさい、と一言残して部屋から気配が消えた。あいつは言わなかったが、きっとオレの任務を代わったせいで自分の仕事が溜まったのだろう。そういうのを見せない所があいつらしかったが、それではオレの気も済まないというか。そんなに歳が離れている訳でもないのに、自分とは違い大人に感じる事が悔しかったのかもしれない。

そんな事を考えながらお代わりを皿に盛る為立ち上がると、不意に気配が増えている事を覚る。馴染みあるその気配に口許は自然と弛んでしまう。顔を扉へ向ければやはり――XANXUSの姿を視界に収めた。


「どうしたぁ?」
「別に」
「そうか」

座れよと声を掛けると、奴は寝台の真ん中辺りに腰掛けた。長い脚を投げ出す様に左手を後方へついて、上体を反らしながら部屋を一瞥すると「何もねぇ」と退屈そうに呟いた。――おまえの部屋と比べてくれるなよ。

「どーせメシまだだろぉ?食ってけよ、まだあったけぇし……あ、オレ用だったから肉入ってねえけど」
「……早くしろよ」
「ん、」

一旦使っていた皿を台の上に置き、新しい皿を取り出して奴の分を盛り付けスプーンと一緒に手渡す。それから自分の分を取り分けた後蓋を閉め奴の隣へ落ち着いた。室内には特有の物音だけが浮かび、それがより一層この状況を奇妙なモノに思わせる。……何も言わないし、何も言われない。腕が触れるほど近く、次第にその距離感に緊張するオレが居た。

「……なあ、殴らないのか?」
「殴られてぇのかよ」

いつもの様に、とニュアンスに込めると空になった皿にスプーンをカランと放りながら奴は顔を向けた。怪訝そうに眉を寄せている。

「まあ、程よく」
「マゾか」
「おかげさまで」

我ながら妙なやり取りだと思う。こんなに何事もなく会話が進む事も、なかなかに珍しい。ましてや二人で飯をつつきながら、肩を並べてだなんて“よっぽど”の事だろう。――オレはスプーンを噛みながら呟いた。





「……嫌いじゃねーよ」

奴がそう呟いた。それが何に対しての事だかはわかっていたが、素知らぬ振りをして視線を送ると奴は俯き、僅かに残ったリゾットを頬張った。
――それで誤魔化したつもりか?

「主語を抜くな」
「おまえのこと、嫌いじゃねーよ」

今度ははっきりと言葉にした。不貞腐れた様に唇を尖らせながらポツポツと告げるこの男が、妙に新鮮に映る。視線に気付いたのか、ちらりと此方を見た後「見んな」と弱く呟いた。相変わらずオレの視線から逃れ様とするこいつの顎を掴み、視線を合わせるべく其処を軽く掬い上げる。
普段とは違う光彩の浮かぶ瞳を覗く。

「……身体はどうだ」
「もう平気だ」

「嫌いじゃねぇのか」
「寧ろ」
「何だよ」

唇が躊躇いからか、ぱくぱくと音を伴わずに開閉される。その唇が象る音を脳裏で反芻した。『好きだ』――そう言った。確かに、間違い無く。
真意を図ろうと瞳を向ければ視線を斜めに外し、口をもごもご動かして落ち着きなく上体を揺らそうとしては堪えた。オレが顎を掴んでなけりゃあきっとこうは大人しくなかっただろう。

「誤解すんなよ?おまえに何かしようだとか、そんなんじゃねぇ……ただ、嫌いになろうとしたら愛しちまっただけなんだあ」
「おい、」
「だからってどうして欲しいとかもねぇし、気持ち悪いっつーなら近寄らねぇようにする。見るなっつーなら目で追わないように――」

そこまで聞いてオレはこいつの唇を塞いだ。放っておいたらこの男はいつまでもべらべらと、聞いても居ない事を饒舌に早口でまくし立て続けただろう。――まったく、本当に何処までも仕方の無い男だ。
驚きの表情のまま惚けている奴の口を舌で割って口内を侵した所で漸く、こもった声を上げる。そんなモノはお構い無しにと好き勝手に荒らし回ると、おずおずと舌を伸ばしてきた。顎に添えた手を後頭部へ滑らせ更に深くと貪ると、控え目な仕草で腕を背中へ回して応える様に受け止めた。
暫く柔らかなそれを絡め合った後、名残りを感じつつ顔を引き離す。間近には初めてこの男が見せる、泣き出し“そう”な顔があった。
“そう”と言うだけで、実際はそう易々と泣く様なタマじゃねぇ。

「キス……」
「何だ」
「初めてした……こんななんだな、」

そう言って右手の指先は唇を押さえ、複雑そうな表情を浮かべる。未知の感覚だったのだろうか、はたまたねだっているのか。――いや、こいつに限って後者はないだろう。そこまで頭の回る男じゃない。
それはそれでムカつくのだけれど。


「下手くそ」
「んなっ!?し、しょーがねぇだろ!!」
「喚くな」
「う゛う゛っ、」

自覚があるのか無いのか、素直に押し黙っては恨めし気な視線を向けてきた。普段ならばここで拳の一つでも飛ぶのだが、それじゃあつまらない。
頭に添えたままの手で髪を鷲掴みにして、再び顔を近付ける。唇が触れるか触れないかの距離で、ぱちぱちと瞬くこいつの丸い瞳を見据えて。



「オレの傍に居たけりゃまず、“巧く”なれよ――スクアーロ」
「う゛お゛おおぉ……善処、する」






嫌いになれたなら。
きっと全てを拒絶して居られただろう。

でも、気付いてしまったのだ。
この存在に出逢った瞬間から、もう自分が独りではないのだと。

嫌いと言えたなら。



次に言う言葉は、きっと――『愛してる』。



-END-





なんか長くてすみません。これは“Xの〜”の続きを意識して書きました。晴れて恋人同士です。
良かったねスクアーロ。ボスも満更でもないみたいですが。(笑)
最初と最後の語りは2人のモノです。同じなのです。

――2009.09.18.

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あきゅろす。
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