Xの気まぐれ、Sの受難。 【Xの気まぐれ、Sの受難】 「く、……ぁ……はぁ、」 雨の日は必ず左手が痛んだ。日中は平気なのに夜になると苦しくて仕方がない。今日はお気に入りのマグカップを欠いてしまったから、余計に気分が落ちた。義手の装着部分を握り締め、丸めていた背中を起こす。 そうだ、部屋に居るから悪いのだ。オレの部屋には必要最低限の物しか無く、それが落ち着くはずなのに“コレ”には効かなかった。 押さえていた左手を解放し、ドクドクと脈打つ様な痛みと熱を鎮静させるべく外へと急いだ。降り頻る雨と、その特有の音にホッとして緩やかな歩調で“世界”に身を投じた。雨の中は昔から、別世界の様に思えていた。 髪を濡らし頬を濡らし、シャツを染めて靴に落ちる。撫でた肌の熱を削いでいく一方で、腕の痛みも和らげていくのを感じた。 「……またやってんのか」 缶詰めになっていた執務室を出て通路を通っていると、区切られた外観に浮かぶ銀髪を見付け足を止める。その窓から眼下の男を見下ろし呟いた。……深夜2時。こんな時間に雨に打たれて風邪でも引きてぇのか、何なのか。雨の日は決まって“そう”なのだ。そしてそれを毎回見付けてしまうのも、致し方のない事。あのカスが目に付く場所であんな事をしているから、何となく。何となく目に付いてしまうだけであって。 でも、だからと言って雨の度にチラチラと目障りだ。不愉快極まりない。 ――となれば、する事はたった一つ。 扉を開き、傘も差さずに雨の中へと赴く。雨が気配を絶つ。故にあいつはオレが忍び寄る事にも気付かずに、雨の中立ち尽くしている。 早くその間抜け面を見せやがれ。 「カス」 声を掛ければ大袈裟な程跳ねる薄い肩。次いで振り返る奴の見開かれた目とだらしなくぽかんと開いた口が相俟って、アホを更にアホらしく見せている。もう幾分でも、知性を感じさせる面は出来ないものか。 「う゛お゛ぉい、何やってんだぁ!!風邪引くだろーが!!」 一呼吸置いたかと思えば、けたたましい声を返しながらずかずか大股で距離を詰めて来た。既に濡れて張り付くズボンが水溜まりを掻き分ける靴先のお陰で更にと水を被るも、奴はそんなのお構い無しにと目の前に立った。それからオレの瞳を見据え、返答を待つ。――黙る事も覚えたらしい。 「てめーが言うな」 「いやだ」 言葉少なく追及してやるも、奴は突っ跳ねてオレの腕を掴み、有無を言わせぬ態度で腕を引いて歩き出す。これ以上濡れてやるつもりもなかった為好きにさせてみたものの、触れた肌のあまりの冷たさに眉を寄せる。 氷の様な温度とその手の力強さが、やけに不釣り合いだった。 オレ達は言葉も無く、部屋を目指す。奴の部屋に連れ込まれた所で漸く、掴まれていた腕を放された。かと思えばタンスからバスタオルを一枚引っ張ってきて、オレの髪や顔を丁寧な手付きで拭き始める。 てめえの方が濡れているのに。 「もういい」 「ダメだ」 「うぜぇ」 「我慢しろぉ」 短い言葉の応酬の間にも休まる事なく拭っていく。暫くした後――ぽん、とオレの頭にタオルを被せてから、奴の手は離れた。 それから皺一つ無いワイシャツを「オレのだけど……」そう言って差し出した。着替えさせたいらしく、瞳は未だ気遣う様な色が浮かんでいる。 相変わらず自分の事には無頓着なこの男に、何故か腹が立った。 「どうしたぁ?早く着替えろよ。ホントに風邪――」 「心配してんのか、カスが」 遮る様に投げ掛ければ、やけにあっさり『うん』と頷く。心配だとか、風邪引かれたら困るだとか、なんで傘を差さなかったのかだとか、切々と並べ立てた。――何かが可笑しい。この男がこんなに大人しかった事が今まであっただろうか。汐らしいと言うよりは、“無防備”だ。 濡れてくすんだ銀髪が頬に張り付き、光の下でまた滴を落とす。水を含みボディーラインを強調させるシャツと、透けないほど白い肌。 皮膚の薄い目尻の辺りへ幾分かの色を乗せている。熱でも出したのか。 「てめーも脱げ」 「あ、」 返事を待つまでもなく手を伸ばせばシャツを裂いた。釦が弾け飛ぶのも気にせず、奴の腕から絡むそれを引き抜く。いつもなら此処で『う゛お゛ぉい!!』の一つでも上がるが、今日は何も言わずに不思議そうな瞳を向けるだけ。どうやら本格的に様子が可笑しいらしい。 「脱げ、全部」 「なんで?」 「濡れてて気持ち悪ぃだろーが」 「そっかぁ」 オレはシャツを脱ぎ捨て、奴は言われるがまま下肢に纏う全てを捨て去った。冷たい手を掴み、今度はオレが引いてやる。目的地はベッドだ。 スプリングの硬い安っぽいその寝台へ腰を掛け、奴を引き寄せる。抱き込む様に収めればまた全身の冷たさに気が付く。あちこち撫でてやると、すりっと擦り寄ってきた。 「あったけぇ……」 「オレは寒い」 事実だったが、何故かこの腕に収まる冷えた身体を投げ出す気にはならなかった。次第に熱が通い、心地の良い温度になっていく。 「だったらもっとだぁ、もっと」 「調子乗んな」 寒いと言ったからか、距離を詰める様に腕に力を込め、身を寄せてくる。ぎこちない手付きで背中を撫でながら、目が合えばニッと笑う。 名を表す様な笑みではなく、年相応のあどけない笑顔。 「オレ、人と寝んの初めてだぁ……すげぇ落ち着く」 寝言みたいなそれを残してから、奴は静かに寝息を立て始めた。 いつものオレなら『何勝手に寝てんだ』と起こしに掛かるのだが、どうやら今日はオレも可笑しいらしい。……それも全て、このカスが悪い。こんなに無防備な寝顔を曝して気持ち良さそうに眠りこけるから。 未だ水気を帯びてくったりとしている銀に指を通し、何度か其処を弄っていると欠伸を催した。カスの眠気が移ったのだろう。 しかしこのベッド、硬すぎだろ。 もっとマシなの無ぇのかよ。 「ボ、ボス――ッ!!」 翌朝、レヴィの声が響き渡った。 他の者達も慌てた様子であちこち何かを求めて走り回る。その様子を傍観していたベルフェゴールはルッスーリアに声を掛けた。 「おい、オカマ。これ何の騒ぎ?」 「あらベルちゃん、おはよう。オカマじゃなくてお姉さんでしょ?」 「オカマ」 「んもう!つれないんだから」 しょうがないわねぇ、と前置きもそこそこに漸く本題に。ボスが何処にも居ないのだと告げる。この騒ぎぶりとその事実に納得した所でふと、いつもの顔が無い事に気付く。こんな時真っ先に駆け抜ける、銀色の鮫が。 「スクアーロ居ないじゃん、珍しくね?」 「あらホント、この騒ぎで全然気付かなかったわ。起こしに行かないと」 悩ましげに眉を寄せ、頬を押さえて溜息を漏らすルッスーリアを尻目にベルフェゴールはスクアーロの部屋を目指して歩き出す。 その後ろに続きながらルッスーリアは、彼のまあるい頭を優しく撫でた。 「良い子ね、今日はベルちゃんの好きなケーキを焼いてあげる」 「頭に触んな。……イチゴと生クリームいっぱいのショートケーキ」 「解りました」 場違いな和やかムードで訪れたのは目的であったスクアーロの部屋。コンコン、とルッスーリアがノックをした所でベルフェゴールは返事も待たずに中へと入った。勝手に部屋へ入るのは少し悪い気もしたが早く知らせてあげた方が良いだろうと思い、続く様に中へと入る。 『お邪魔するわよ』と一言添えて。 「スクアーロ、起きてる?大変なのよ」 「こーすれば起きるんじゃね?」 寝室へ一足先に向かっていたベルフェゴールの後ろで、ルッスーリアは床に散らばるシャツの枚数を数えていた。脱ぎ捨てたであろうモノが二枚と、皺一つない手付かずのシャツが一枚。――もしかしたら。 彼が気付くより早く、少年はナイフを一つ寝台へ向かい流す様に放った。 殺気無く放たれたそれを掴んだのは、シーツから伸びた一本の腕。連なる様に部屋の主は起き上がり、姿を見せた。 「……朝っぱらから騒がしいぞぉ……」 ひょこひょこと跳ね返る髪をくしゃくしゃ掻きながら低く唸る。寝起きだからか、随分と機嫌が悪そうである。捕らえたナイフを持ち主へ軽く投げ返し、瞳はその後方の穏やかな微笑を称えた男へ流す。 「何事だぁ?」 「ごめんなさいね、スクアーロ。今日はお休みなのに……実は、えーっと……ボスの姿がなくて、レヴィちゃんが大騒ぎで、ちょっと、ね」 「う゛お゛ぉい、それはホントかぁ!?」 何と言う事だ、と彼は唖然として見せたのでルッスーリアは更にと困惑する。一体どうなっているのだろうか。 「るせぇ……死ね」 「う゛お゛っ」 場を凍り付かせる程に低く威圧感を放つその声がするのが早いか、スクアーロはベッドから盛大に吹っ飛ばされ、壁にぶつかる鈍い音を部屋中に響かせた。受け身もなく衝突を果たした身体は僅かによろけながらも壁伝いに立ち上がる。状況を把握するべく今まで己が寝ていた寝台へと顔を向ければ、話題の主の姿が目に入る。――何故オレのベッドに。 「う゛お゛ぉい!!なんでてめーが此処に――」 「うわ、」 「あらあら……お邪魔してすみません、ボス」 歯を剥いて言い返すが、普段と様子の異なる金髪の少年に目を向けると、はっきりと此方を見ていた。主ではなく、自分を。今しがた零れた『うわ、』も多分、オレに宛てたものだろう。ますます訳がわからない。 ルッスーリアは何処かよそよそしい。 「おいクソガキ、言いたいことがあるならはっきり言いやがれぇ!!」 「じゃあ聞くけどさー、センパイって“そう”だったんだ?」 「はぁ?――んがっ、」 ベルフェゴールが指差す先をゆっくりと辿ると我ながら嫌な声が出た。 裸だ。全裸だ。何故、なぜ……あ。三度目の“何故”で答えを見付けた。昨日XANXUSと会って、それで……。 「なに勘違いしてやがる!!違う、何もしてねぇ!!」 「知ってるよ、されたんだろ?」 「う゛あ゛あ゛ああっ」 カスがぎゃあぎゃあ吠えてやがる。吠え過ぎて酸欠になったのか、若干顔が赤い。――救えねぇカスだ。 「てめえが自分で脱いだ」 「――ッ!!!?」 オレの言葉を聞いて今度は池の鯉か何かの様に、魚類宜しく口をぱくぱくさせている。先程より顔が赤い。――こいつ、ついに息も忘れたのか。 ほっといたら本気で酸欠を起こし兼ねないカスへと、仕方無しにと枕を投げてやる。勿論力加減はしない。衝撃で壁に頭をぶつけたカスを尻目に、ルッスーリアとベルフェゴールへ顔を向ける。二人とも同じ表情で固まっている――あぁ、悪くねぇ朝だ。 「レヴィに伝えろ、“うるせぇ”とな」 「了解、ボス」 それだけ言い残すとそそくさと部屋から出て行った。 静かになった室内にはオレとこのカス。すっかり目が覚めたのか、今は先程まで赤かった顔を青くしている。相変わらず忙しない男だ。 「何シケた面してやがる、目障りだ。消えろ」 「う゛お゛ぉい、ここはオレの部屋だぞぉ!!出て行くのはてめーだあ」 「なんだ、昨日みてぇに“うん”って言わねぇのかよ。独りで寝るのは寂しいって、また泣いてすがってみせろよ」 「う゛お゛おおっ、勝手に記憶を捏造すんなああ!!」 全裸で吠え立てるカスを引き倒して頭を鷲掴みにし、その口に拳を捩じ込もうとしている所で駆け付けたレヴィが背後で奇声を上げたので、とりあえずカスを殴っておいた。――足りなかったのでもう一発。 せいぜい今日もアホ面曝して吠えまくるがいい。 てめえにはそれがお似合いだ。 くたばれ、ドカス。 -END- ……何故かこんな事に。(笑)スクが途中少し(?)素直になっているのは恋しかったのかもしれません。主へ捧げた腕の痛みから、主を無意識に求めて。 恋心についてはまだ二人は無自覚さんです。 ――2009.09.13. [戻る] |