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ハバタケ

全速力で廊下を駆けると、たちまち身体は傾いた。
勢いがつき過ぎて、壁を走ってしまったのだ。
今思えば、あれは競輪選手のコースを走るように、床が顔の横に来ていた。
そのままずっと走り続ければ、毎回決まって空を飛べた。
放課後だというのに総ての窓は開いており、何処からでも飛び出せた。
腕を広げて飛び出せば、後は力いっぱい羽ばたけば良い。
出た瞬間は少し落ちるが、両腕を同時に上下し、
「飛べ、飛べ」と念じさえすればうまくいった。
こんな小さい腕で何故飛べるのか解からなかったが、其処では全く疑問を抱かない。
只管に重い腕(この時、実際より妙に重く感じる)をブンブン振り続ける。
ある程度まで上へ行くと、
途端に腕の威力が無くなり、
真っ逆さまに地面へ向かう。
助ける者は誰も居らず、
恐怖に押し潰されそうになり、泣きながら落ちて行く。
其処は大抵がグラウンドである。
背中から落ち、地面にぶつかる痛みがかなり鮮明である。
しかし、確実に生きている。

起きた時には冷や汗やら涙でびしょ濡れになっている。
何故このような夢ばかり見るのか、未だに不思議である。
別に、飛行願望なんて一欠けらも無い筈なのに、子供の頃から頻繁にこの夢を見た。

昔、夢を確かめようと廊下を全速力で走ってみた事がある。
誰もいない放課後に、たった一人で。
勿論不安はあったが、この問題をそのままにはしていられなかった。
記憶は曖昧だが、全速力で走って、少しだけ壁を伝った。
ほんの少し走っただけでバランスを崩してしまった。
走ったというより、「蹴った」の方が妥当かもしれない。

だが、この時の私は、この「少し」に、希望をかけてみようと思った。
壁を伝っていけないのは、身体が小さい事、脚力の問題だと解釈してしまった。
小学二年の時である。

先生が知っていれば、直ぐに止められたであろう。
しかし、其処は誰もいない放課後の、一番端の教室。
職員室からは全くかけ離れた場所にある。

其れから、毎日のように「壁伝い」の練習が始まった。
一週間程で1メートル、一ヶ月で5メートルも行けるようになった。
だが、まだまだ空を飛ぶには程遠い。
そこで、今度は腕の振り方に工夫を凝らしてみた。
無論、失敗に終わった。
其れでも、風の強い日に外へ出ては、羽ばたく練習を幾度となく行っていた。
母親は幼い頃に亡くなっていて、父親はその所為でアル中の駄目な親父になっていた。
酒を飲めば暴力を振い、最後は決まって泣いて謝って来た。
私はそんな父親が嫌いだったが、そうなった理由は子供ながらに理解出来たので、
あえて其の事を咎める事はなかった。

空を飛ぶ夢を見始めたのも、丁度この頃だった。

私はどんなに傷付いても、放課後の練習を欠かす事は無かった。
空を飛ぶ事が無理だとはうすうす解っていた。
だけど、これに没頭する事により、嫌な事総てから逃れられた。
其れが心地よくて、何度も何度も廊下を走った。
ずっとこれだけで良いと思った。


三年生になってから、自分の教室がある棟が変わった。
また、少し大人に成った事もあって、この頃から飛ぶのを止める様になった。
しかし、其れでも父親の暴力は止まらない。



今日は、珍しく父親の態度が大人しかった。
と言うより、仕事から帰宅したら必ず飲む酒に全く手を付けなかった。
体調でも悪いのだろうか、と思いながら、簡単な食事を用意してやったが
如何やら原因は其れでは無いらしい。
そんな父親の口から、重く低く沈んだ声が漏れた時、私は胸がとても苦しくなった。

「もう、総てから逃げてしまおう。これ以上居ても、御互いに辛いままだ。」


次の日、私と父は「ハバタイタ」。
やっぱり泣きながら、背中から真っ逆さまに。

だけど今度は、確実に死んでいた。


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