突然!?
3
柳平の、仮名でも漢字でもたったの2文字で表すことが可能な、恐ろしく簡潔な返事を噛み砕く。
柳平の家は、寿の家の近くにある。寿の家は大学から距離がある。バスの便は悪く、気軽に歩いて来られるような場所ではない。
それを、柳平は徒歩で来た、と言っていた。
「何分歩いて来たんですか?」
「うん? えーと、2時間ちょっとかな?」
2時間。
1コマ分の講義を受け、のんびりと弁当を買いに行き、談笑しながら昼食を摂るくらいのことはできる。
それほどの長時間を歩くという発想自体が信じられなかった。
「え、あれ!? 講義がもう始まってるんじゃないの!?」
柳平がケータイで時間を確認する。
「始まらないですよ」
寿が溜息を吐いた。
「――――? 今、何て…」
「今日は講義が始まらないんですよ。休講です」
「ま、まさか…」
「大雪のための休講です」
「嘘だろぉ………っ!」
膝を付き、両手を白雪に埋める。
容貌が美しいとされる男が全身で絶望を表す姿は滑稽に映ったが、柳平に優しくするとつい先程決めたばかりだったため、何も言わなかった。
「じゃあ、オレの今までの苦労は何だったんだ!?」
知りませんよ。
辛辣な言葉を気力で飲み込む。
寿が無言でいると、柳平はつらつらと本日の苦労を語り始めた。
「雪に足跡を残しながら、向かいから来る通行人に狭い道を譲られては譲り、譲っては譲られてと進み…時には雪掻きをする御老人に『おはよう』『頑張ってね』と声をかけられ、『ああ、何て優しい人ばかりなんだ!』と思い、歓喜したあの感情は何処に行ってしまうんだ!?」
だから知りませんって。
このまま放置すると、1人でずっと話していそうだ。
寿は判断を下し、しゃがみ込む。
自分の落胆は柳平のそれに及ばないだろう。
自分は公共機関を利用したのでまだ良い。自力で歩いた距離が短いのだ。だが、柳平は全て歩いて来た。かかった時間も体力も、寿の比ではない。
何故、この道路の状態で、敢えて徒歩を選んだかということに関しては言及しない。
少なくとも、寿は自分より愚かな手段でここへ来てしまった人間を見付けた。
柳平には悪いと思ったが、このおかげで寿には心に余裕ができたのだ。
寿は手を差し延べた。
「帰りましょうか、柳平先輩」
「寿君…!」
顔上げた柳平が笑みを湛えた。涙を浮かべている。
寿の手を掴み、勢い良く引っ張り上げた。
「帰ろっか! 寿君!!」
余りにも喜び過ぎている様子に、ついうっかり――だが素直に――引いてしまった。
ここまで喜ぶようなことかと呆れたが、自分から彼に手を伸ばしたのはこれが初めてであるかもしれないという可能性に辿り着いた。
何にしても、柳平に対する行動は全て受け身だった。
それを寿自身が率先して行動したのだ。
柳平はそのことが嬉しかった。
ただ手を繋ぐだけなのに、それほど喜ぶようなことなのだろうか。
内心、寿は首を傾げた。
だが、事実、柳平はそれが嬉しくて堪らない。
たったこれだけのことでこれほど喜ぶのならば、もう少しやってあげても良いかもしれない。
寿がそう結論したことを、はしゃぐ柳平が知ることはなかった。
「今日の夕飯はハンバーグなんだよね? 叔子さんの手作りハンバーグかぁ、楽しみだなぁ」
「え、ちょ、何で貴方がおれの家の夕飯のメニューを知ってるんですか!? 息子のおれですら知らないのに!」
「今朝、メールで言ってたんだよ。『今日の夕飯はハンバーグなので、あっきー君も良かったらどうぞ』って」
食事に誘うならタクにしてくれと頼んだはず!!
寿は心の中で叫んだが、もちろん母は寿の頼み通り、最初に浅日に声をかけていた。しかしバイトが入ったと断られてしまったため、柳平にも声がかかったのだ。
ちなみに、ハンバーグは明日にでも、寿の手によって浅日宅へ運ばれる予定である。
「貴方は母さんの他に連絡を取る相手がいないんですか…」
呆れから口をついて出た言葉だったが、はっとして柳平の顔色を伺った。
柳平には友人がいないはずだ。気をつけようと思っていたのに、それのことに自ら触れてしまった。
優しく接するという心掛けのために、幾つも言葉を飲み込んでしまったせいで、肝心なことが疎かになってしまったようだ。
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