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突然!?
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寄った先の店員の―それも男の――名前を覚えることは滅多にない。いちいち名札もチェックしない。しかし不思議と、先程の店員の名前はよく覚えていた。


「イエギ、か」


口の中で呟く。

手の中でくるりと水色の傘を回し、タオルを頭にかけた。自宅を目指して歩き出したときには、頬の痛みは引いていた。


『イエギ』と読んでいた名前が実は『ヤギ』と読むことを知るのも、高校生くらいだろうと思っていた家木が実は同じ大学の学生だったということを知るのも、頻繁に大学で見るようになったときには家木の姿ばかり目で追っていることに気付くのも、目で追っているとその隣には必ず浅日がいることに気付くのも、家木の笑顔を遠目で見る度に胸が高鳴るようになるのも、これより数日先のことだった。

ちなみに、傘とタオルを返すのを口実にまた会いに行こうと考えたのはコンビニを離れてすぐ後のことで、その傘とタオルを強風に煽られたせいで壊したり失くしたりしてしまったのは自宅に着く直前のことであった。




















1ヶ月前のことを話し終えた柳平は目を開け、寿に向けた。


「どう…? 思い出した?」


その目は期待に満ちていた。

寿は鷹揚な動きで、顔を俯かせたまま柳平に向き直る。


もしかしたら、「あのときの格好良いお客さんは貴方だったんですか。そうとは気付かずにすみませんでした。でももっと早くに言ってくれたら良かったのに。そうしたら貴方に酷いことを言うこともなかったんです。実はあの日から、あのお客さんのことが忘れられなくて、ずっと探してたんです。けれど運命の人はすぐ近くにいたんですね。とても嬉しいです。え、アサヒ? アサヒって誰のことですか。おれには柳平…いいえ、慧秋さんさえいれがいますから、その人のことは全く関係ないんですよ」といったようなことを言われるかもしれない、と胸をときめかせた。

雨が降っていようがなかろうが、根本はやはり柳平だった。


この願望を寿が聞けば、パンの入った買い物袋に頼ることなく己の拳で決着をつけただろう。しかし残念ながら、寿には読心はできなかった。



寿が顔を上げたとき、そこには弾けんばかりの笑みが浮かべられていた。きらり、と白い歯が光って見える。
自然、柳平の胸は跳ねた。
そして、


「全く覚えがありません貴方はバカなんですか」


紡がれた言葉は柳平の心を深く抉った。

たった今、スーパーから出て来た人がこの台詞を聞いたなら、10人が10人、寿が酷いと非難することだろう。
そのことは寿も理解していた。
しかし自分に非はないという自信もあった。


「あのですね、おれが一体いつの雨降りのバイト中に、」


確認のため柳平の言葉を繰り返す寿。すぅ、と大きく行きを吸い込み、


「強面のおじさんに絡まれて傘をへし折るぞと脅され嫌だ嫌だと泣き叫んでいる間に誘拐されて偶然通りかかったアンタに助けられたって言うんだよ!!」


 一息で言い切った。


「誘拐された経験はないし、傘をへし折られたくらいで泣き喚きもしないし、そもそも傘を折るのが脅しとして成立するのは小学生が限界でしょう!? 何でこんなしょうもない話を聞かせたんですか!?」


訳が分からない、意味が分からない、と寿は繰り返す。

柳平は事実ではなく、美化した話を聞かせたのだ。


「そ、その方が喜んでくれるかなと思って…」

「喜ぶか!」


話し出す直前までは、事実を語るつもりでいた。だが、よくよく考えてみると寿との出会いは自分が女にフラれた情けない話から始まるのだ。
女遊びをしていたことも、寿が噂として聞いていると分かっていても、話したくはなかった。


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