瓶の人



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一ノ井 佳瓶という作家がいる。
彼女は『幻想郷に棲む妖怪への理解読本』という著書にて有名である。
また、奇異な人間としても有名だった。
佳瓶は人間でありながら妖怪と暮らすことを望む不思議な人間なのだ。
そんな彼女は今日も作家生活をして過ごしていたところだ。
大した造りでもない家、もう襤褸屋に近いその中に、木製の机に屈んで筆を進める姿。
まるで寺子屋の授業風景のように見える。
そんな環境下に一つだけ異色な物が置かれている。
大きな瓶が部屋の一角でずっしりとした存在感を放っている。
普通の家具に挟まれたこの空間では異様な光景である。
刹那。瓶の中の水面が揺れる。
筆を進めていた佳瓶はその手を止めた。
佳瓶はそして大きな瓶へ近付き水面を覗く。
そして向かって話しかけた。

「何か用かい?忙しいんだけどな…」

佳瓶は水面にそう話しかけると今度は水面から返事が返ってきた。

『佳瓶が忙しいはずないじゃない。ちょっと私の所に来てくれない?』
「あんたはそこから動く気はないのかい…」
『私は簡単には動かない。だからあなたが来るしかない』
「全くパチュリーはいつもそうなんだからー…」

水面からの声はパチュリーだった。
もちろんパチュリーはここにもいないし瓶の中にも当然いない。
ではどうして彼女の声が瓶の中から聞こえるのかは佳瓶の能力に絡繰りがある。
佳瓶の能力は瓶に気を溜め込む程度の能力。
この力はいろいろと応用が効くので便利なのだ。
応用の説明は後々として、今は紅魔館へ来いと言われている。
仕方なく佳瓶は出かける準備をして襤褸屋を出ていった。



●○●



大きな館をいつものように入る。
結構見慣れたのでこの大きさにはもう驚かなくなったが、ただ自分の家の大きさを思うと深い溜め息が出そうになるのは変わらなかった。
とにかく今は真っ先に図書館へと向かう。
暫く歩き続けて辿り着いた場所に特別大きくて重厚な扉を見つける。
図書館への入り口だ。
こんなに大きな扉じゃ開け閉めも苦労しそうなので、一度入ったら出たくなくなるのも分かるかもしれない。
しかし意外にもこの扉は思った以上に簡単に開くのだった。
佳瓶は扉に触れると前に押し、扉を開けた。
すぐに入り口が顔を見せた。
見た目とは裏腹にとんだこけおどしである。
そんなこけおどしの扉を抜けるとパチュリーが待っていた。

「あなたと連絡が取れるのは便利ね」

パチュリーは右手に持った小さな瓶を見せて言った。
佳瓶の家にある大きな瓶を小さくした形のそれは一つはパチュリーに、そして今佳瓶も同じ物を携帯している。
パチュリーはその小さな瓶を通じて佳瓶の家の大きな瓶に気を送り、彼女を呼んだのだった。
佳瓶の能力の応用例の一つである。

「私はそんなつもりで渡した覚えはないんだけどな」
「そんなことはいいわ。あなたに用件を伝えるわよ」

佳瓶の話は軽く流されてパチュリーは本題に入った。
呼び出した用はこうだった。

「本がないの…とても古い本なのだけど、どこにも見当たらなくて」
「最近この図書館から本がなくなるのは当たり前だと思ってたんだけど?」
「それは魔理沙が勝手に持っていくからよ。でも今回は違うの」
「彼女の仕業ではなかったのか」

てっきり泥棒魔女の魔理沙の仕業かと思っていた佳瓶はいつもと呼び出す用件が違うことにどこか好奇心が沸いた。
今日は喜んで“本探し”が出来そうだ。
佳瓶は携帯してきた瓶を右手に掲げて集中する。
彼女は何をしているのかというと、迷子になった本の気を探しているのだ。
佳瓶曰く、人・物体各々に違った気が存在するので、それを感じ取ることで人なら声や姿を、物体なら位置や形をある程度捉えることが出来るそうだ。
その中間で担い手となるのが佳瓶が使う瓶である。
あちらこちらに分散する微量な気を集めるのに瓶は適しているのだ。
そんなことが出来るのは佳瓶だけなので本がなくなればパチュリーは度々彼女を呼んでいたのだった。
まあ大抵は魔理沙が持っていたという結果であった訳だが今回は違う。
佳瓶が無言の状態から様子を変えた時にそれははっきりした。

「分かった。本はあんたの書斎にいる」
「書斎に……いる?」

おうむ返しに聞く。
パチュリーが不思議に思ったのは最後の“いる”という言葉について。
普通なら本は“ある”という表現をする。
なのに佳瓶は敢えて“いる”と答えた。
その答えがはっきりするのは佳瓶とパチュリーが書斎へと向かってからだった。



●○●



書斎に着くとパチュリーは目を丸くした。
なくなった本を模したような柄の衣装を纏い、ガクガクと身を震わせてこちらを見つめていたのは小さな妖怪少女だった。
これが本当になくなった本なのだろうか。
パチュリーは佳瓶に確認する。

「この子は精霊化した本だよ。永く読まれてきた本がたくさんの人間の気に触れる内に精霊へと目覚めてしまったようだね」
「そんなこともあるのね……」

パチュリーは興味津々に精霊化した本を見つめた。
まだ怯えた様子の精霊に佳瓶は声をかけた。

「お前さんはどうする?本に戻るか精霊になるか」
「え?何それ?」

パチュリーがすぐに聞き返した。
佳瓶はパチュリーに説明を始めた。

「精霊に化け始めたものは誰かが元の姿を示してやることで戻ることが出来るんだよ。この子の場合まだなり始めたばかりのようだし、今なら私が本の姿に戻してやることも出来るってことさ」

さらっと簡単に言う彼女を見て、パチュリーは問う。

「……あんたって何者?」
「瓶の人。今は人間さ―」



●○●



あの後、精霊は佳瓶の力により元の本の姿へと戻った。
今日はいろいろと興味深いことを知った日だったとパチュリーは思う。
精霊化した本のこと。
そして佳瓶のこと―。

「佳瓶……もしかしてあなた、前は―」
「なんのことかな。私はただの佳瓶だけどな」
「ぁ……ううん、なんでもないの…。今日はありがとう」

小さく微笑むパチュリーに、佳瓶はいつものことを頼んだ。

「じゃあ、褒美はここで一泊させてくれないかな」
「ま……またなの…?」

佳瓶はこうしてパチュリーに呼ばれた後には必ず褒美として紅魔館に一泊することをお願いした。
理由はこうだ。

「やっぱここに来ると自分の家の小ささに悲しくなってね」
「もう……仕方ないわね」

こうしていつもパチュリーにお願いして素敵な一泊をするのだった。
やはり紅魔館の暮らしはそれほど快適なのだ。

「ねえ。私ここに棲んでいい?」
「馬鹿…」



●○●



パチュリーには言っていないことがある。
今は人間をやっているが、一ノ井 佳瓶は本当は人間じゃなかった。
私は瓶が精霊化し戻された存在。
本来なら瓶の姿になるはずだがどうして瓶に戻れなかったのかは、その時戻してくれた奴が手違いで人間にしてしまっただけのことである。
今は瓶より人間の方が生きてる上で楽しいので感謝してるけど。
今思うとあの本も本に戻して良かったのだろかと悩む自分がいる。
人間でいる自分が楽しいと思うからこそである。
しかしあの本はまた時が経てば精霊化する。
でも私は人間。
もう精霊化することはなく、だから私にはもう一度瓶や精霊、妖怪になる選択肢などは存在しない。
その辺の自由がない分、やっぱり本に戻して良かったんだと自分を納得させて眠りにつくことにする。
気を集中させるととても眠くなる。
だから快適な空間で寝るのが一番なのだ。
私だってあんな襤褸屋に住んでれば贅沢だってしたくなる。
しかし図書館に来ることは結構黙って来たりしているので中々泊めてくれと館の者に言うことが出来ない。
なので今こうして図書館の小さな個室を借りて私は一晩過ごす。
いつも眠くなって目を閉じる辺りで声が聞こえる。

「おやすみ、佳瓶」

私はその声をはっきりと聞くことがいつも出来ない。
そしてまた一日は静かに過ぎていった。



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