新聞記者の温泉宿石鹸事件簿



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新聞記者である文は、今日も自宅でネタ帳を広げては、新聞のレイアウトを考えていた。

「んー、なんか足りないわ。もうちょっと面白い記事がここに欲しいわね…」

ぶつぶつ文句を言っていると、ふと先日ここへ訪れて来た椛のことを思い出した。

「そういえば今日だったっけ…」

ふと考えるのを止めて、窓際へ寄り、遠くを見つめた。
椛が訪れて来たのは皆で温泉に行くので行きませんか、という話だった。
その時文は新聞のことで忙しいからと、断っていた。
今思えば私も行けば良かったかしら、と少し後悔していると。

「あら?」

空にぽつんと黒い点が見え、次第にこちらへ近づいてきていた。
よく見るとその黒い点は鴉だった。

「どうしたの…」

鴉は文が伸ばした指先へ軽やかに降りた。
鴉の脚に何か白い物が見えたので確認すると紙が結んであった。
誰かが私に手紙を…。
すぐに外し中を確認する。
それは温泉宿から来た手紙だった。


―文さんへ

急いで温泉宿に来てください。
椛が事件に巻き込まれたみたいで、どうしても文さんの力が必要なんです。


事態はよく分からないが、自宅で後悔していたら向こうから呼ばれたようだった。
こうしてはいられない、ネタが私を待ってる。
文はすぐさま窓から飛び出し、最速の速さで温泉宿を目指した。



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目的地までは天狗の速さなら時間なんて数える必要がないくらいだった。
温泉宿の前で降り立つと、迎えてくれたのは椛とよくいるにとりだった。

「手紙をくれたのはあなたね」
「他に頼める人がいなくて…」
「それで椛は?」
「見てもらった方が早い。こっちへ…」

文はにとりの案内で宿に入った。

中は盛り上がった様子はなく、静まり返った廊下や部屋を越えて、にとりはある場所まで文を案内すると言葉を発した。

「ここに椛がいます」

その言葉を聞いて、文は浴場と掲げられた戸を開けた。
中には同じ柄の浴衣を纏ったこの宿の従業員が数人と倒れている人が一人。
その倒れている人物が椛だった。

「椛!」

名前を呼んでも返事がない。
返事がなければ身体もピクリとも動かない。
一体彼女に何が起こったのか。
それを説明してくれたのは、文の様子を見た従業員の一人だった。

「私たちが来たときにはお客様が倒れていて……」
「倒れてたってことは、椛は入浴中に襲われたのかしら…」

いろいろ思考を巡らせる。
椛の様子だと多分気絶しているだけなのだと判断する。
ここからは聞き込みをするしかない。

「今からこの宿にいる全ての者を出さないでください。そして宿泊者の名簿を私に貸して頂けますか?」

文は従業員にそう告げると二つ返事で従業員はすぐにその場を駆け出した。

「さて、にとり。あなたにも協力してもらうわ」

普段から椛とともに行動することの多かった彼女にはこれをお願いする。

「椛と一緒に行動していたと思われる者全員を、どこかの部屋に集めて頂戴」
「合点承知です文さん」

そしてにとりも駆け出した。
この浴場には文と未だに無言の椛だけ。
白い厚地のバスタオルが彼女を覆っている。
ふとタオルから出ている椛の手に何かが握られているのを見つけた。
文はそっと椛の手からそれを取ると、清潔感漂う香りがした。
それは石鹸だった。

「……石鹸…?」

よく見ると、椛が倒れている場所以外にもいろんな場所に石鹸が散らばっていた。
自分が持っている石鹸と、そして仰向けで倒れている椛を交互に見た。
まさかとは思うが、もしこれがお約束の展開だったら椛が目覚めた時には世にも恐ろしい天狗の説教が始まるかもしれない。
とにかく今はここにいても解決しないので、文も浴場を後にした。



●○●



文はあの後宿泊者の名簿を従業員から受け取り、にとりの集めた者たちが待っている部屋を訪れた。

「ここにいるのが椛と行動をともにしていた者たちね」
「はい文様。その通りで御座います」

そこに集まったのはどれもよく見た顔触れで、椛と同じ白狼天狗の者だった。
宿泊者の名簿から椛と一緒に受付を済ませた者として記録が残っていることも確認し、早速事情を聞くことにした。
事情を聞くと白狼天狗たちの話はこうだ。

椛は仲間と昼食を取った後も一人で行動することはなく、常に誰かがいる状態で行動していた。
昼食から浴場までの間は何事もなかったので、事件はあの浴場から起こった。

ということであり、後は浴場で一緒だった者を絞るだけとなった。

「それで、椛と浴場に向かったのは?」
「私ともう一人です…」

白狼天狗の一人が自分と右隣にいる仲間を示して告げる。
ここにいる白狼天狗は五人。
残りの三人はにとりがその三人と一緒に将棋をしていたとの証言でアリバイが証明された。
さて、文はここで得た情報を整理する。
先程発見した石鹸は何か事件に関係があると睨み、現場にいた二人に聞いてみた。

「石鹸?いや、なんのことか……」
「……私も」

なんだか二人の返事が妙にぎこちないのは気のせいだろうか。
文はもう一押ししてみる。

「どうしても私は気になるのよ、あの石鹸が。あんなにたくさん石鹸が散らばっていたら、あなたたちも何か知ってるはずでしょ?」
「だから私は知りません…!犯人がばらまいた可能性だってあると思います!」
「……」

右隣の白狼天狗は断固として否定してくるが、もう片方は黙ったまま俯いている。
何かを知っているから黙っているんじゃないだろうかと文は思い、俯いている彼女を呼ぶ。

「ねえあなた、何か知ってるんじゃない?」
「………じつは―」
「あっ!ちょっと……!」

右隣が必死に口止めしようと動いた瞬間、しかし制止しようとした手はぴたりと凍りついてしまった。
何事だ?と文は振り向き、右隣の白狼天狗が見つめた先を見ると。

「あ、文様〜」

気の抜けるような声で文を呼んだのは、今まで無言のまま倒れていたはずの椛だった。

「…………えっ?」

その場にいた天狗が、河童が、白狼天狗が。
揃って凍りついていた。

「皆どうしたんですか?」
「……椛、大丈夫なの…何ともないの?」
「ええ?ああ、転んだだけなので何とも…」
「転んだ……ってことはやっぱり石鹸でお約束の展開だったのね。事件だから飛んできたのに……」
「あ、文様…?」

恐ろしく低い声で唸る文から、地響きでも聞こえてきそうな雰囲気に椛はびくりと尻尾を震わせた。
なんのことか分からず椛がびくびくしていると、そこへ助けの声が響いた。

「文様、椛は悪くありません!私たちのせいなんです!」

右隣の白狼天狗はもうダメだと落胆した表情をし、その左隣の白狼天狗は文を見つめて抗議した。

「石鹸がないと言ったら椛が取りに行ってくれたんです。たくさんの石鹸をもらったみたいであの浴場まで運んでいたら彼女が…」
「…私が面白がって持っていた石鹸を椛に向かって投げたんです。そしたら椛が踏んじゃって……」

その後は容易に想像がつくだろう。
椛が自分で転んだ訳じゃなくても、結果大した事件じゃなかったことに変わりはない。
文はまたネタを探さなくちゃ、と溜め息を吐いた。

「文様…」

そんな様子をみせた文を見て、椛は自分のせいで迷惑をかけてしまったことに肩を落とした。
そこへにとりがそっと近づき、落ち込む椛に囁いた。

「文さんは椛のことをすごく心配してたんだと思う」
「え?」
「椛のことを伝えたら、文さんはすぐにやって来たんだ。だから、そうじゃないのかな」

文はにとりと椛の会話が聞こえないので何を話しているのか分からない。
その様子を伺っていると、椛がこちらへやって来た。

「文様、ありがとうございますっ!」

はじける笑顔の椛があまりに可愛かったので、文は少し頬を染めた。

「全く……心配かけないの」

文は椛の頭を撫でて微笑んだ。

「よし、椛が回復したところで夕飯にしますか」

事件解決の余韻が残る中、にとりが夕飯と提案し雰囲気を変えた。
その場にいた全員も安堵のせいか空腹が訴えてきたので、皆夕食を食べにその部屋を出ていった。
文は借りていた宿泊者の名簿を返す為、皆との行動を後にした。

従業員を見つけると文はお礼を言い、名簿を手渡した。

「事件は解決しました。ご迷惑をおかけしました」
「お客様がご無事で何よりで御座います」

従業員はにっこりと微笑んだ。
ではこれで失礼します、と踵を返した文に、従業員は声をかけた。

「あなたは探偵なんですか?」

すると文は立ち止まり、こう告げた。

「射命丸 文。ただの新聞記者です」



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後書きという名の補足。



文のリクエスト小説でしたー。文をリクエストしてくださった方々、ありがとうございました!
今回文の話を書くに当たって、どういう物語にしようか考えました。
最初は最近やってた芸人のドッキリ番組のパロディにしようかと思ったんですが難しかったので、よく午後三時あたりから始まるサスペンスドラマみたくしてみようと思いついたのがこの話でした。
湯けむり事件簿なんてよくありがちなドラマタイトルですよね(笑)
そういったパロディも含めて温泉宿を舞台に。
短編ということで展開がすごく短縮ですが、これはこれで楽しく書けました。
新聞記者ということもあり、サスペンスパロディには文しかないと改めて思います(笑)

ここまで読んでくださりありがとうございました!

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あきゅろす。
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