河辺唄



●○●



美しい山の川辺に、一人の少女が佇んでいた。
座り込み、川へと手を伸ばしている仕草が見えた。
何をしているのだろう、と少女の後ろ側の茂みから、にとりはそうっと顔を覗かせた。
背中しか見えない為、何をしているかは全く伺えないが、サラサラと流れる川の音に澄んだ歌声が重なったのをにとりは聞いた。

―…

悲しみ背負い 流れる涙を
ただ落としても 拾われず
溢れる厄を 集めてあげる
あなたのために 私を捨てる

…―

澄んだ歌声なのに、唄を聞くと心が苦しくなった。
唄が、悲しい。
にとりはもう一度少女の背中を見た。
悲しそうな表情をしているのだろうと想像する。
彼女のことは知っていた。
少女は、厄神様だった。



●○●



少し前のことだった。
いつものように人間観察をしようと人里へ降りた時、とある村でえらく厄が纏わりついた男を見た。
その男に興味を持ったにとりは、暫くの間その男を観察した。
男の周りでは不幸ばかりが続いた。
ただの風邪で長く寝込んでしまったり、農作業中に蛇に噛まれて身体が毒に侵されたり、その他にもいろいろと。
死にこそ至らなかったものの、あまりの不幸続きに男は村で疫病神と呼ばれ、嫌われていた。
ある日、男は妖怪の山へとやって来た。
生身の人間がここへ来ようものならば、命がいくつあったって足りない。
自ら死を選ぼうとしているのだろうか。
大事な命を無駄にしてはいけない、とにとりは盟友を追い返そうとした時、男の悲鳴を聞いた。
なんだ?と駆けつけると、男の目の前には少女が立っていた。

「あなたは村に戻るのよ。さあ、お行きなさい…―」

全身に厄を纏わりつかせた少女は、男にそう言うと背を向け、何処かへ去ってしまった。


後日、あの村へ戻った男は村中の人間に安否を心配されて迎えられた。
男を見ると、あれだけ纏わりついていた厄が一つも見られなかった。
その時、にとりは悟った。
あの時の少女は噂に聞いていた“悪名高い厄神様”だったのだと。
噂とはこうだ。
厄神様に近づくな、自分が不幸にされてしまう。
もっと酷い噂なら、近づいたら殺されるなどなど。
悪名高いと聞いていたのに、どうしてかそれが嘘のようにしか思えなかった。
恐らく彼女が男の厄を取り除き、そしてその厄を自分に取り憑かせた。
彼女のしたことは男を救ったのだ。
にとりはその嘘の噂が許せない気持ちになり、次第に厄神様である彼女に興味を持ち始めていた。



●○●



そして今人間観察から厄神様観察に変わった訳だが。
観察する時の鉄則として、対象物に気づかれないようにするというのが基本なのだが。

「誰なの。出てきなさい」

どうやら気づかれてしまったようだった。

「やっぱりこの光学迷彩スーツは未完成かー」
「………」

少女に冷ややかな視線を送られるがにとりは構わず続けた。

「私は河城にとり」
「誰が名前を言いなさいと……」
「誰って聞いたのはあなただけど?」
「………」
「あなたの名前は?」
「……鍵山雛よ」

観察は失敗してしまったが、名前を聞けたのでよしとする。
雛は早くこの場から去りたいようだがそうはいかない、とにとりは続けた。

「さっきの歌なんだけど…」
「!!」

歌、と言った瞬間雛の頬が赤みを帯びた。
恥ずかしそうな顔をしてにとりに聞く。

「やだっ…!聴いてたの…!?」
「なんだ、可愛いところもみせるんだねえ」
「……くうっ…」

意外と素直な反応をみせる雛を見ていると、やはりあの噂のことが頭にちらつき、また許せない気持ちになった。
噂のせいで嫌われる彼女を見たくなかった。
にとりは意を決して聞くことにした。

「ねえ、あなたは厄神様として噂されているのを知っているか?」
「……ええ、知ってるわ」

また雛の表情は元の冷たさを取り戻す。
本来の彼女ではない表情を見つめてにとりは聞く。

「……辛くはないか?」
「…っ!」
「本当は傷ついているんだろう?」
「なっ……何を言い出すの」
「だから歌も悲しくなる。心が…傷ついてしまっているから…」
「煩い、煩い……煩いっ…!!」

雛は両手で耳を塞ぎ、苦しい声で叫んだ。

「あなたも私が厄神だってことを知ってるんでしょ!?近づいたら不幸になるの!私は疫病神なのよ!だからどこかへ行って…!!」
「あなたは人間の厄を集め、人間を救っている。あなたは疫病神なんかじゃないよ」
「煩い!近づくな…!早くここからいなくなれっ…!」

涙を流しながら雛は叫び続けた。
悲しみと怒りが混ざって、雛を苦しめる。
本当はこんな姿にして雛を苦しめたかった訳じゃない。
だけど彼女の心の傷は深く、到底すぐに癒せるものじゃないのだと思う。

だけど、ただ放っておけなかったんだ―。

「その悲しみ、私にも分けておくれよ…―」
「……っ!!」

雛を強く抱きしめてにとりは囁いた。
突然のことに、雛は成す術がなかった。
ただ、こんなにも抱きしめてくれる人なんて今まで誰もいなかった…、そう心で静かに思いながら、強く抱くにとりに身を任せた。

「雛が人間を救うなら、私は雛を救いたい」
「………変わった子ね」

そう呟いた雛は小さく微笑み、細い腕でにとりを包んでいた。
そしてまた、あの澄んだ歌声で雛は唄った。
川辺で唄ったあの唄は、優しい唄に変わっていた―。



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