ムラミツアモローソ



●○●



宝船が変化した縁起の良い寺として里で有名になった命蓮寺。
妖怪のために寺を建てた聖 白蓮だったが、どちらの種族も受け入れ、今日もまた妖怪からも人間からも信仰を集めていた。
命蓮寺は皆の心の拠り所(よりどころ)になっていたのだが。
突然、その心の拠り所が消えた。
白蓮がほんの少し留守にしていた間に、命蓮寺は忽然と姿を消してしまったのだ。

「これは一体どういうつもりでしょう…」

今は何も無い空き地を見つめた白蓮には、命蓮寺を消した犯人が誰だか分かっていた。
命蓮寺をこの場所から消すためには“寺が動く”しかない。
そんなことができるのは彼女以外ありえない。
彼女が命蓮寺を聖輦船に変えて動かしたのだ。犯人は彼女だ。
聖輦船を操れるのは彼女しかいない。

だけど白蓮には一つ分からないことがある。
どうして彼女が私に何も言わず、命蓮寺を動かしたのか、だ。
その理由だけが分からず、何も解決できず、白蓮は遥か上空を見上げることしかできなかった。



●○●



本日、雲行きは順調。
天候に恵まれた航海日和の幻想郷の空の下、村紗の操縦する聖輦船は前進しているのか風に流されているのか分からないほど、ゆっくりと浮遊していた。

「勝手に寺を飛ばしたりしていいの?ムラサ」
「いいじゃない。元々この聖輦船は寺ではなく船なのよ?」
「でも…寺がなくなったら人間や妖怪が困るんじゃ…」
「文句ある?聖輦船の船長は私よ。だったら貴女は降りればいいじゃない」
「今なら間に合う。引き返しなさい、ムラサ」
「あーもう…一輪はうるさいわね!」

聖輦船の船内に二人の会話が聞こえる。
雲居 一輪と村紗 水蜜の声だ。
どうやら少し言い争っている様子で、一輪が村紗の行動を制止しようとしている感じに窺える。

「全く…こうして止めてあげてるのに、聖に説教されても私は知らないわよ」
「それはイヤだけど、たまには船を動かしたっていいじゃない」

白蓮の名を出しても村紗は聞く耳を持たず。
これは何を言っても無理だと悟った一輪は、しばらく村紗の好きなようにさせておこうと考えた。
今は彼女の好きなようにさせて、気分が済んだ時に聖輦船を命蓮寺に戻してもらうよう頼むしかない。
村紗を止めることができなかった自分を白蓮に申し訳なく思いながら、一輪はそのまま聖輦船に残り村紗を見張ることにした。



●○●



村紗の我儘で命蓮寺を聖輦船に変えて飛ばしたことなど知らない地上の白蓮は、空を見上げながら座り込んでいた。
この空のどこかに聖輦船が浮かんでいると思うが、見上げた空は大きくとても広かった。
寺がなくなるだけでこんなにも自分が無力化するとは知らなかった。

「聖…」

寅丸 星の声が白蓮の背後から聞こえた。
白蓮は顔だけ星の方へ向けて問うた。

「…星ですか。やはり、聖輦船は見つかりませんでしたか」
「申し訳ないです…」
「私達の移動速度より風に乗った船の方が早いでしょう。見つからなかったのは仕方ないですよ」

弱りきった白蓮の声音に星は切なくなった。
聖輦船を追いかけた星だったが船は見つからなかった。
探し物はやはり得意ではなかった。
探し物、といえば彼女に任せるしかないだろう。
星はそう思っていた。

「ナズーリンを見かけませんでしたか?彼女なら船を探せるはずです」
「今日は見ていませんよ?」
「…え」

ナズーリンの力を借りて聖輦船を探してもらおうとしたが、肝心のナズーリンを星も白蓮も今日は見かけていなかった。
星は聖輦船を追いかけると同時にじつはナズーリンを捜していた。
しかし彼女を見つけることができなかった。
もしかしたら白蓮のところにナズーリンはいるかもしれないと思って戻ってきたのだがやはり彼女はいなかった。
策は尽き、白蓮も星も何もすることができなくなってしまった。
白蓮は両手を握りしめ、どこかにいる彼女らに向けて祈りを捧げた。

「皆さん、どうか戻ってきてください…」

その一言に籠められた祈りを隣で聞いていた星は、その言葉の深い意味を重く切なく感じていた。



●○●



(奴はどこへ行ったんだ…。逃げ足の速い奴め…)

聖輦船内部には村紗と一輪がいるだけと思われていたが、じつは聖輦船にもう一人潜り込んでいた。
少し焦りの表情を浮かべているのはナズーリンだった。
ナズーリンは命蓮寺の皆に内緒で聖輦船に潜り込んでいた。
彼女の目的は“あるネズミを見つけ出すこと”だった。
ナズーリンが何故ネズミを捜しているのか。
それは捜しているネズミがあらゆる船を沈没させることで有名なネズミだったからだ。
過去にこのネズミは、日本近海と呼ばれる海でとある事件を起こした。
鉄でできた船の船底を齧って穴を開け、船を沈没させた事実があるのだ。
そのネズミがこの聖輦船に乗り込んだことはナズーリンが確認しており、恐らくそのネズミは聖輦船を沈没させようとしているに違いないとナズーリンは思っている。
もし船底に穴が開いてしまえば一大事だ。
破壊された船はとても脆い。
すぐに船のバランスは失われて地上へと急速に落ちていくはずだ。
一刻も早くネズミを見つけ出し、この聖輦船にまだ残っている村紗と一輪を助けたい。

船内の貨物室でナズーリンは必死にネズミを捜していた。
ネズミである自分の勘から、この場所にいるのではないかという気がして捜し続けていたが未だ見つからず。

(ネズミは探し物ではないからな…)

探し物を見つけるのは得意だが、相手が動物であれば自分の能力を使って捜すことができない。
この間にもネズミはどこかでこの船を破壊しているはずだ。
時間がない。
じめっとしているこの貨物室の湿気とネズミを見つけられない焦りで、身体から汗が滴る。
その汗で、冷たさを感じた。
ただの冷や汗かと思ったがそれとはちょっと違う感じの冷たさだった。
この冷たさに違和感を覚え、ナズーリンは周囲に意識を集中させた。
すると今まで感じ取っていなかったものに次々と気づいた。
木の匂い、纏わりつく湿気の感じ、そよそよと肌に当たる冷たい風。

(…冷たい風…?)

この肌に当たる冷たさは汗だけのせいではなかった。
貨物室にどこかから弱々しく風が吹き込んで、その風が冷たいと感じさせている。

(でも…風が吹くということは…)

貨物室に窓のようなものはない。
窓も無ければ風が吹くことはまずない。

(………)

ひやり。

ナズーリンに悪寒が走った。
今までどうして気が付かなかったのだろう。
びっくりするほど大きな口が壁にぽっかりと開いていた。
外の景色まではっきり剥き出しになっている。
最悪なことに外は真っ暗で壁の色と同化してナズーリンは気が付くのに遅れてしまった。

(外の様子がおかしい。私が乗り込んだとき、外は晴れていた気がする…。そんなに時間が経ってしまったのか?)

この貨物室の壁に開いた大きな穴と、穴からどんよりとした空模様が見えることにナズーリンは不安の色を隠せない。
ネズミはこの貨物室に来ていたのだ。
自慢の前歯で壁に大きな穴を開けていった。
そして穴を空けたネズミの次の行動は彼女自身もネズミであるからすぐに分かった。
乗った船が危険だと察知したネズミはすぐにその船を捨てて逃げる。
ネズミはとっくに貨物室を去り、今もどこかで逃げ回っているに違いなかった。
そしてナズーリンは悟った。

犯人のネズミが逃げたということは、この聖輦船はまもなく落下する―。

皆に隠密で行動していたナズーリンだったが、状況からしてもう隠密で行動する必要はなくなってしまった。
逸早く村紗と一輪を連れ出して聖輦船から脱出しなくてはならない。
ナズーリンはすぐに貨物室を飛び出した。
壁に開いた大きな穴が、ミシミシと音を立てて広がった。



●○●



途方もない船旅になりそうなほど空はとても広く、そして空の表情は様々であった。
航海日和であったはずの空はすっかり変わり果て、ずっしりと重たさを感じる黒くて大きな雲が空を覆いつくしていた。
村紗は船の外へ出て空の様子を窺っていた。
その後ろで一輪は村紗を見張っている。

「…春の嵐かしら…嫌な日だわ」

彼女は舟幽霊。
たしか、舟が転覆したあの日もこんな天気だった。
村紗は嵐が苦手だった。
暗い表情で曇天を見つめた村紗を心配した一輪は船内に戻ろうと誘う。

「昔のことを思い出すのね…。さあムラサ、船の中に戻りましょう。外は危険だわ」
「こんな天気では船をこのまま出すのも危ないわね。もう充分勝手なことをしたわ。戻りましょう…」

村紗はすぐに頷き、二人は船内へ戻ろうと踵を返した時だった。

「ムラサ!一輪!今すぐこの船を捨てて逃げるんだ!」

聞き覚えのある声に名前を呼ばれて村紗と一輪は顔を見合わせた。

「ナズーリン!?」

聖輦船にナズーリンがいたことなど知らなかった二人は想像もしていなかった仲間の登場に驚きを隠せなかった。
登場時の彼女の発言にも充分驚かされ村紗と一輪は訳も分からないまま突っ立っていると、ナズーリンに早くと急かされてしまった。
いつも冷静に考えて行動をするナズーリンのイメージとは随分かけ離れている。
彼女をそんなふうにさせてしまうほどの異常事態が発生したことを、村紗と一輪は感じ取った。
一輪は状況説明をナズーリンに乞う。

「何が起きたの?」
「落ち着いてはいられないと思うが、この船はまもなく地上へと落ちる」
「え…なんで…?」

これが落ち着いて話を聞いていられるもんですかと、村紗はナズーリンにぐっと近寄って小さな肩を掴んだ。

「ねえ、本当に聖輦船は落ちてしまうの?嘘でしょ?ちゃんとまだ飛んでる…」
「貨物室に大きな穴が開いていた。この意味、船長の貴女なら分かるはず」

肩を掴んだ村紗を見つめ返すナズーリンの表情は空模様と同じくらい暗い。
その表情を見るだけで村紗は胸を締め付けられたような苦しさを味わう。

「落ちるんだ…。大切な船なのに…なんともないのに…落ちる。どうして…」

独り言を淡々と呟く村紗が少し怖い。
ナズーリンは村紗を直視できなくなっていた。

「…っ…」

視線を逸らそうと俯いた瞬間、ナズーリンは不自然に固まった。
あまりにも不自然だったため村紗も一輪も様子が変なことに気が付かないはずがなかった。
ナズーリンの視線の先に目を合わせると。

チュー、チュー、チュー。

ナズーリンの足元からネズミが一匹、顔を覗かせていた。
ネズミはナズーリンをちらと見て、村紗の足元を通って逃げていった。

「ネズミいやー!」

大きな悲鳴を上げる村紗。
じつは村紗は大のネズミ嫌いだった。
そのエピソードはずっと昔の過去に遡るが、今はまだ語らないでおく。
ネズミの姿を確認した途端に飛び上がって驚く村紗。
驚いたときに村紗が肩を掴んでいた手を放した。
その隙にナズーリンは怖がる村紗の前に出て、一輪に向かって叫ぶ。

「一輪、そのネズミを捕まえてくれ!」
「捕まえる…?」
「そのネズミはこの船を沈没させようとして乗り込んだネズミなんだ!早く捕まえないとこれ以上に被害が…」

ゆらり。
ナズーリンの視界の隅で何かが動いた。
はっきりと確認した訳でもないのに、ずっしりと重たい物を感じる。

―…転覆『道連れアンカー』…―

ナズーリンはゆっくり背後を確認すると、思念や怨念のような禍々しい気が絡み付いた重たいアンカーを宙に浮かせて、狙いを定めている村紗の姿があった。
スペルカードを発動させた村紗が狙う先は逃げているネズミ。
村紗が勢いよく右手を上げて振り下ろすと大きなアンカーは狙った獲物に向かって真っ直ぐに突き進んだ。
進路も変えず、ただひたすら真っ直ぐにアンカーは木造の床に突っ込み、大きな音を立てて穴を開けた。
獲物は仕留めたかと思われたが、アンカーが突っ込んでいった場所とは大分離れたところで逃げたネズミの姿を見つけた。
一度狙いを定めたら進路の変更が不可能な為、素早い動きで逃げるネズミを仕留めるのは難しかったのだ。

「待ちなさい!許さないわ!」

ネズミも危機感を察知しているのか、一生懸命に逃げ続ける。
逃げるネズミを村紗の目が捉え、右手がまた振り下ろされそうになったところで。

「ちょっと…!何をしてるの!」

怒りで我を忘れている村紗を一輪が止めに入るが、それでも右手は止まらずに振り下ろされてしまった。
アンカーがまた、木造の床を突く。
一つ、二つ、三つ、四つ。
大きな穴は僅かな時間で開けられ、そこらが穴だらけのオンボロ幽霊船になってしまった。
床が大変な状況になっているのに村紗は気がつかないまま勢いよく右手を振り下ろした。

「あっ」

村紗以外の二人は同じ言葉を同時に口にした。
今まで床を突いていたアンカーだったが、最後の一振りだけ壁に向かって飛んでしまった。
勢いよくアンカーは壁を突き破り、床と同じ穴が開いた。
これが止めの一発だったと言えばいいだろう。
聖輦船は一気に降下を始めた。

「えっ…え、やだっ…!どうしよう…!」

船長である村紗はパニックに陥り指示ができないでいた。
落下していく内に船の向きは斜めになり、船は危険な状態だった。
このまま落下すれば地上で悲惨な光景を目にする。
回避する手段として、ナズーリンは一輪の名を叫んだ。
一輪は分かっている顔でナズーリンの声に頷いた。

「雲山!」

一輪の傍にいた雲山は穴の開いた壁から外へ出た。
雲山はとてつもなく大きな入道の姿に変わり、破壊された船を大きな腕でしっかり受け止めた。
なんとか助かった三人と一匹。
ネズミを捕まえることができず逃げられてしまったが助かったことに安堵する一輪とナズーリンの横で、村紗の船と心はボロボロになっていた。



●○●



白蓮の元へ帰った三人。
全ての訳を話した。
村紗の気紛れの運航に不幸が重なり、聖輦船はネズミと村紗によって破壊されてしまった。
叱られても仕方がないと村紗は思っていた。

「ずっと貴女方が帰らないことを心配していたのです。こうして無事に帰ってきてくれてよかった」

白蓮は叱ることなく笑顔を見せたのだった。
村紗は白蓮の言葉に涙を流した。

「あらあら、ムラサを泣かせるつもりはなかったのですよ…」

そっと手を差し伸べる白蓮。

「さあ、また命蓮寺を建て直しましょう。頼りにしている妖怪や人間が困ってしまいますわ」

後日、白蓮の仲間達だけで命蓮寺の建て直しが行われた。
すると今まで命蓮寺に通っていた妖怪や人間達が命蓮寺を建て直すことを知り、なんと皆手伝うと言ってくれたのだ。
種族関係なく、皆一生懸命に力を合わせていた。
村紗は仲間や手伝い始めた妖怪や人間に向かって言った。

「どうして。私が壊したんですよ…。責任は私にありますから皆さんは休んでてください…」

そしたら皆はきっぱり反対した。

皆でやる方が一人でやらせておくより気持ちがいい。
やらせてくれ。

と。
自分のせいで壊れた物を、皆が協力してくれた。
誰も、村紗のことを責めずに。

村紗は命蓮寺の皆に愛されていたことを感じた。
また一人、村紗は涙を流して白蓮に慰められた。

いつも笑顔が、ここ命蓮寺には溢れている。
皆が望む平和な世界は、いつもここに訪れていた。



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後書きという名の補足。



村紗のリクエストでした!
たくさんの投票ありがとうございました。
そして、遅くなってしまってすみませんでした…。

「誰からも愛されている村紗」というテーマで書いてみました。
一輪やナズーリンには心配されるし、白蓮には叱られずに済むし、仲間以外にも助けてもらえるし。
愛されてるからこそってことを、船長も理解したんじゃないでしょうか。

命蓮寺って聖輦船が姿を変えてお寺になったけど、寺から船にまた変われるものなのかな。
そこがちょっと謎ですが、この物語の中ではありということでお願いします←

聖輦船は木造そうなので簡単に穴が開きそうなイメージがあります。そしてオンボロなイメージも(まあ幽霊船なので)
結局ネズミが穴を開けたことよりも村紗が原因で壊れてしまいましたが。
我を忘れて聖輦船を壊しちゃうほど、村紗はネズミが嫌いだったら面白いなと思って取り入れてみました。
過去のトラウマとかでネズミのことを怖がっていたら村紗はかわいいんじゃないかなと思います。
ネズミが船底(今回は貨物室ですが)を齧るという話は、実際あるようなんですがどうなんでしょう。
調べてもなんかゲームの方の話が出てくるので真実かどうかは分からないです…。
そこがちょっと謎ですが、この物語の中ではありということd

最後、命蓮寺を建て直すというシーンがあります。
普通に読めばなんともない話なのですが、「建て直す」という部分にはちょっとだけ意味があります。
創作活動に気持ちがいかない今の自分を「立て直す」意味を込めています。
私もこうして立て直せたらいいなと思います。

ここまで読んでいただきありがとうございました!

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