恐怖心アフターケア
●○●
幻想郷に新しく造られた命蓮寺に、人の影が見えたのを空から見ていた。
今日こそ人間を驚かしてやると意気込んで、空から脅かす対象を捜していたのはからかさお化けの私、小傘。
最近誰にも驚いてもらえなくて困っている。
驚く人間を見るのが楽しみなのに最近それが失われつつあるのが悩みだった。
私は寂しさを紛らわすかのように勢いをつけて命蓮寺に降りた。
●○●
「今日もいい天気ですわね、星」
「そうですね」
空から見えた人の影が寺の縁側に座っていたのを見つけた。
二人の様子を窺うと油断している今が好機。
私は腹に力を入れて叫んだ。
「うらめしやぁぁぁ〜!」
「……ん?」
「……」
二人は目を丸くしてこちらを見つめた。
その様子を見るとどうやら私は「空から突然からかさお化けが急降下して大声で叫べば人間もびっくり間違いなし作戦」を成功させたようだった。
(やったわ……!驚いてこいつら声も出せないみたい!)
と、まさに歓喜していた最中。
黒い服を着た長い髪の人間が、私のことを指して話しかけてきた。
「あらいやだ!今日は雨が降るんですか?」
「へ?」
この人間は何を言っているんだ。
人間の横に座る獣耳を生やした奴も、不思議そうに空と隣に座る人間を交互に見ているじゃないか。
私も空を一応見てみるけど、今日はこんなにも天気が良く日が差していて、傘でも差してないと日差しが強くて敵わないというのに。
雨なんて降るはずのない天気なのに変なことを聞く人間だと私がジロジロ見ていると、隣に座る獣耳を生やした奴が私に話しかけた。
「ああ、気にしないでください。この方は貴女が傘を差しているのを見てこれから雨が降るとでも思ったんですよ」
「え?じゃあそっちの人間が驚いた理由って、雨が降ると思ったから驚いたの!?」
「そういうことになりますかね…」
「それじゃ私が人間を驚かしたことにはならないじゃない…」
がっかりした。
私の存在に驚いたんじゃなくて、雨が降るかもしれないと思ったことに驚いたなんて。
この人間の感覚がズレているのは言うまでもないけど、これじゃ私が人間を驚かせたことにはならない。
また失敗してしまったことに落胆の表情を隠せなかったことに、人間が私に窺う。
「大丈夫ですか?顔色が宜しくないですよ…」
「放っといて…私がいつも力不足なのは分かってるから。邪魔したね…それじゃ」
「あ、待ってください!」
命蓮寺に居づらくなり、二人に背を向けてとぼとぼと歩き出したところを人間に呼び止められた。
「私のせいで貴女の気持ちを台無しにしてしまったことを許してください。そのお詫びに喜んで私の力をお貸しします」
「え?」
「私は聖 白蓮。貴女方妖怪の味方です」
にっこりと微笑み、白蓮という女性は私を命蓮寺の中へ手招きした。
私は誘われるがまま縁側から寺の中へと上がった。
縁側からすぐの和室に私は座らされる。
何が始まるのだろうと、私は少し緊張しながらも好奇心にかられながら白蓮を見つめた。
「私は人を驚かす知識というのは無いものですから、人間を驚かすスペシャリストをお呼びしますね」
「え?すぺしゃりすと?」
「聖…もしかしてその者は…」
「ええ、貴女の想像している通りの妖怪ですよ」
「私はこの妖怪にあの者をお勧めできません…」
「なぜです?彼女なら適任でしょう。では私は彼女を呼びに行きますよ」
私は二人の会話についていけず首を傾げるばかりだ。
しかも星と呼ばれた獣耳の方の話を聞いていると、どうもそのスペシャリストというのは私にお勧めしたくないような奴らしい。
一体どんな奴を連れてくるつもりなのか、想像ができなくて背筋に悪寒が走る。
何も無い質素な造りのせいか、部屋の空気も冷たく感じる。
そんな私はさて置いて、白蓮は部屋を立ち去ろうとしていた。
白蓮は襖に手を掛けて部屋を出た。
「聖…待ってください!」
星も後を追って部屋を出るが、その時ちらっと見えた表情がとても不安そうに私は見えたから、一人部屋に残された私はもっと不安になった。
寺だというのに妙に落ち着かなくなってしまったこの部屋で私は待たされることになった。
●○●
胸騒ぎがする。
落ち着かなくてそわそわする。
そろそろ何かが始まる予感がした。
訳の分からない感覚のままじっと待っている私は急に襖が開いたことにものすごく驚いた。
「きゃあああ!」
「う…、びっくりさせないでよ。まだ何もしてないじゃない」
「あ……貴女は…」
「ぬえよ。貴女は見たところ、からかさお化けのようね」
襖から登場してきた人物をようやく確認した私はまた驚いた。
そこにいたのは妖怪の鵺だった。
鵺は昔から人間に恐れられていて、その恐怖心から本当の姿を見た者はいなかったらしい。
だから皆その姿は猿のような虎のような蛇のような、といろいろな姿で伝えられていた。
人間を驚かせ、恐れられた存在。
白蓮が言っていた人間を驚かせるスペシャリストとしては最高の人物である。
まさか本物の鵺の姿を、こんな寺で見ることができるなんて奇跡でも起きたんじゃないかと思う。
「あの…私、小傘っていうの。人間を驚かせたくてこの寺にやって来たわ」
「ふーん、人間を驚かしにね…。だったらこの寺に来てもダメよ」
「え?」
「この寺に人間なんていないわ」
「ええ!?じゃあ、あの白蓮とかいう人間は…?」
「人間だったみたいだけど、あいつはもう人間の年齢を…ああこの先を言ったら法力で葬られそうだわ」
「そんなぁ…。それじゃ人間を驚かせることはできないじゃない…」
「ええ、そうね」
この寺に人間がいない。
ならぬえが来たところで、この寺にはもう用がない。
私はまた肩を落とすことになった。今日は良いことなんて一つも起きやしないな…。
「今日はもう人間を驚かすのは諦めるわ…」
さあ帰ろうと立ち上がろうとしたがそれはできなかった。
ぐっとぬえが近づいてきて止められてしまった。
私が下で、ぬえが上から見下ろす形になる。
「私がただで帰すと思ってるの?」
「…えっ…」
「私は鵺よ。人間を驚かすだけじゃない。私は貴女だって驚かせる」
「ちょっと…何言ってるの…?」
「人間だけを驚かしてるようじゃ、スペシャリストは務まらないってことよ!」
ぬえが台詞を決めたように言い終えると、なぜか脚に違和感を覚えた。
その感覚が伝わると、急に身体が固まったように動かなくなった。
何かが脚に絡まる感覚だ。
肌を通して冷たいと感じるそれがなんなのか、確認したくても恐怖心で見れない。
ぬるりぬるりと蠢き、脚は絡め取られ全く動けない。
力強く締め付けてくるそれに、悲鳴を上げることしか私にはできなかった。
「どう。正体不明のものに襲われる恐怖は?」
ぬえはにやりと微笑み、上から私を見下ろしている。
とても楽しそうに笑うぬえに、涙が出そうになる。
「なんなのこれ…気持ち悪いよ…」
「自分の目で確認してみれば?私には蛇に見えるけど貴女にはどう映るのかしら?」
「蛇…?」
恐る恐る脚を見た。
確かに蛇のような生き物が脚にしっかり巻きついているように見える。
蛇は脚に絡み、丁寧になぞるようにして上へと這い上がり、だんだん腿の方へ近づいてきた。
動くたびにぬるっとした感触がむき出しの肌から直に伝わって気味が悪い。
きゅうと締め付けられる苦しみと気味の悪い感触に襲われる。
耐え切れなくて私は床に這いつくばってしまった。
「いやだ…!蛇を取って…!こんなことされにここに来たんじゃないわ!」
懇願してもぬえは知らん顔。
彼女は蛇を取ることはできないと答えた。
「だって、貴女の脚に絡まってるのは“蛇ではない”もの…。蛇なんかどこにいるの?」
蛇ではないと言われても、さっきまで脚に絡まってたのは確かに蛇だった。
ぬえは変なことを言っている。
変なことを言って私を惑わして楽しんでいるのかもしれない。
「ふざけないでっ!さっき見たけど確かに蛇だっ―」
「そんなに蛇、蛇言うのなら、もう一度見てみれば?」
「え…?」
また恐怖心を与えられる。
訳の分からぬ恐怖に怯え始める身体はいうことを聞かない。
目線だけ、また脚に向ける。
「…!やだっ…!痛い!」
蛇だったはずなのに、脚に絡んでいるのは竹だった。
竹だと認識すると今まで感じていたぬるりとした感覚はいつのまにか竹の堅さに変わった。
理解ができない。蛇が忽然と姿を消して、さっきまで蛇がいたところに竹が出現した。
私がさらに混乱し衰弱していく様を、やっぱりぬえは楽しそうに笑って見ていた。
「いやだ…私はもうただの傘には戻りたくない…傘には戻りたくない!」
竹を見て思い出した。
元々私は竹から作られた傘だった。
あの頃は傘として、人間に使われる日を心待ちにしていた。
今はもう誰が私を使っていたかなんて憶えていないけれど、確かに傘として役目を果たしていたことがある。
でもある日、誰かに私は置き忘れられた。
それから私は誰に拾われることも、誰に使われることもなかった。
雨風に打たれ飛ばされ、時代が流れていくとともに忘れ去られた。
使い物にならなくなった私は妖怪になった。
でも時々、自分が竹から作られた傘だということを思い出すと、また竹に戻りたいと思うことがある。
竹に戻って骨組みや柄から枠からまた作り直してもらえば、また誰かに使ってもらえるかもしれない…。
あの頃とは違って、置き忘れられても、誰かが必要として拾ってくれる傘になれるかもしれない。
もう一度やり直せば、誰かが必要として使ってくれる―。
そんな希望にすがりたい時もあった。
でも、そんな綺麗事は言ってられないんだ。
そんな理想が現実になる可能性に掛けるのは、やっぱりごめんだ。
「私はもう、妖怪のままでいいの…からかさお化けで、生きていくの…―」
意識が途切れそうになる瞬間、ぬえの顔が見えた。
表情にさっきまでの笑顔がなかったのがとても不思議で、どこか切なくて。
そこまでで記憶は閉ざされてしまった。
●○●
次に目が覚めたとき、横になっていた私は初めにぬえの顔を見ることになった。
「小傘、大丈夫?」
さっきの不思議な彼女だ。
私を困らせて楽しんでいた彼女が目の前にいる。
でも、私を困らせて楽しそうに笑っていた彼女ではもうなかった。
「ねえ小傘、しっかりして…」
今はすごく心配そうな瞳で私を見つめてる。
「さっきまでのぬえとは大違いね…どうしたの…?」
「小傘を初めて見たとき、なんだか面白そうな子が来たと思ってイタズラしたくなったの」
「そうだったんだ…」
「いつものように脅かして、それで終わりにしようと思ったの。でもまさかあんなに怖がられるなんて思わなくて……」
ぬえのイタズラで泣きそうだったのは私だったのに、今じゃぬえが泣いちゃいそう。
そっとぬえの頬に手を伸ばす。
横になっているせいで上手く彼女の頬に届かず触れることはできなかったけれど、ぬえがその手をしっかり握り返してきた。
「小傘をここまで追い詰めるつもりはなかったの………ごめんなさい…」
握る手に力がこもる。
恐怖心に怯えていたのを楽しそうに見て笑っていた彼女が印象強くて、弱々しくなってしまった彼女を見るのがなんだか辛かった。
だからぬえにこんなお願いをしたのかもしれない。
「ねえ、ぬえ。お願い、笑って」
「……え?」
「貴女の本当の笑顔が見たいの」
恐怖心に襲われる中で見た、ぬえの笑った顔は好きじゃなかった。
だけど、今のぬえが見せる笑顔なら……きっと本当の笑顔なんじゃないかなって思う。
私のことを心配してくれているぬえの、優しい笑顔が見れると信じて。
「私は貴女のことをイタズラして楽しんでた奴なのよ?そんな嫌な奴の笑顔なんて見たくないに決まってるでしょ…」
ここ数分のやり取りで、ぬえのイメージは結構変わった。
誰かを驚かした後のぬえは、意外とネガティブだったのかも。
人間を驚かせるスペシャリストとして呼ばれた彼女だったけど、もしかしたら今まで人間を驚かして楽しんでた裏で、こんなふうに心配とかずっとしてたのかも。
そう思うとなんだか目の前にいるぬえが急に可愛いなんて思えてきて、私の方から自然と笑みが零れた。
「小傘……貴女は怒ってないの?」
「うん。逆にぬえのことを可愛いって思ってるの」
「え?可愛い…?」
「誰かを驚かせたあとにその人のことを心配してるような貴女がとても可愛らしいな」
「変なこと言わないでよ!」
「さっきまで私に変なこと言ってたのはぬえじゃない」
「そうだけど…」
顔を真っ赤にするぬえ。私の手をまだ握ってたぬえの手に力が入る。
私も不思議な奴ね。
恐怖を与えられた彼女に、今じゃこんなにも心を癒されてるなんて。
もうぬえに抱いてた恐怖心なんてどこにもない。
今あるのは―。
「イタズラ好きなぬえより、私はこっちのぬえの方が好きかも…」
「―っ!」
「……なーんて。驚いてくれた?」
「あっ!まさか今の…!」
「ぬえへのお返しだよ」
「ゾゾゾ…気持ち悪っ」
「酷いっ…!」
●○●
「あんな脅かし方じゃまだ甘いわね」
「えー。じゃあこれからはもっと人間に怖がられるような驚かし方を学ぶために、ぬえから離れないことに決めた」
「なんでよ!他を当たりなさいよ!」
「貴女は人間も妖怪も驚かせる“スペシャリスト”なんでしょ?だからいろいろ教えてね」
「厄介な奴に絡んじゃったのは間違いだったわ…」
一度恐怖で傷ついた心はもうどこにもない。
あるのは好奇心だけ。
●○●
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