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09-05




「――38度2分か。また熱が上がっちまった。勘弁してくれよ」



脇に挟んでいた体温計を見た俺は熱帯びた吐息をつき、力なくそれをケースにしまった。

今朝は37度後半だったじゃないか。なんでまた上がるんだよ。一向に頭は痛いし体は重いし気分も優れねぇし……どーなっているの俺の体。地味で日陰男子でも体の丈夫さだけは自慢できる俺の“売り”だったのに。 

過去、日賀野にフルボッコされたことがあった。
その直後に利二と取っ組み合いの喧嘩をした。それでもあの時は熱一つでなかった驚異的記録を持っているのに。


「それだけ健太のことが堪えたってことかな」


ふっ、俺もガラスハートの持ち主だったみたいだ。

健太の件でこんなにも打ちひしがれちまうなんて。俺も弱いねぇ。

ただし体調を崩している原因は俺の精神面だけじゃなく、あいつが川に落としたせいもある。ただでさえショックだったのに風邪ひかせやがってもう。

「はぁ」

重たい溜息をついて、俺は横を向いていた体を仰向けに変える。

気だるいまま視線を持ち上げると、半開きになっている窓から心地の良い風が吹いて俺を慰めてくれる。

火照(ほて)った体には丁度良い熱さましだ。汗ばんだ前髪をかきあげ、その風を額に浴びる。窓の外から日差しが射し込む。

久しく見る日光だ。
俺はずっと前からベッドで暮らしている気分になり、暖かそうな日が妙に恋しくなった。


「喉が渇いたな」


なにか飲みたい。
机上に放置されている麦茶の入ったマグカップに目を向け、軋む体に鞭を打って上体を起こす。

のろのろと手を伸ばしたその時、

「兄ちゃん。大丈夫?」

無遠慮に襖が開かれる。
そこからひょっこり顔を出したのは学校に行っていた浩介だ。使い古したランドセルを背負ったまま、心配そうな顔を作って中に入ってくる。

俺の代わりにマグカップを取ってくれた浩介は「大丈夫?」同じ質問を繰り返した。
生ぬるい麦茶で喉を潤しながら、首を縦に動かす。今は偏頭痛もなく、吐き気もない。体がだるいだけだ。

「でもずっと熱を出しているよ。全然大丈夫そうじゃないやい」

浩介がベッドの縁に腰掛けてくる。
基本的に浩介はお兄ちゃん構って君だから、俺が相手しくれないことにつまんなさを覚えているのだろう。早く一緒に遊ぼうよ、とせがまれてしまった。

今は浩介を相手できるだけの余裕はないのだけれど。
内心で毒づきつつも、突き返せばきっと泣かせてしまうだろう。浩介の性格上。これだから五つ違いの弟を持つ兄は辛い。

「はいはい。お兄ちゃん、頑張って治しますよ。お兄ちゃんがいないとゲームする相手がいなくてつまんないんだろ?」

努めてノリよく返すと浩介が、無邪気に顔を綻ばせた。

「熱が出てたらつらいじゃん。兄ちゃん、早く元気になってほしいし」

意表を突かれた。
まさか浩介がそういう風に考えてくれているなんて思いもしなかったから……純粋に心配してくれていたのだと気付き、なんとなく照れくさくなる。お前も可愛いことを思うんだな。兄ちゃん、ちょっと感激だよ。

「お母さんは?」

鼻の頭を掻きつつ、浩介が話題を逸らしてくる。
弟も俺と同じ心境なのかもしれない。便乗してやるために、仕事だと教えてやる。

俺の家は共働きだ。
昨日は休んで俺の面倒を看てくれたけれど、今日は代わりの人間がいない理由で出勤してしまった。

薄情だと浩介が抗議の声を上げる。
馬鹿、俺はもう高校生だぞ。母さんがいなくても平気だって。しいて言えば食事の準備に困ってしまうくらいか。

「ご飯は食べたの? お盆にはお茶しか載っていないけれど」

机上に視線を流す浩介が質問を重ねてくる。
食べてないと返事した。居間に行ったらお粥が用意されているだろう。けれど、そこまで行く元気もない。

「温めてきてあげようか?」

浩介の優しさに感謝しつつも遠慮した。お粥は胃に入りそうにない。米すら今はヘビーだと思えるから。

「なら何か買ってきてあげるよ。僕、今から習字の先生に月謝を渡しに行くから」

なにこの子、天使なの? イケメンなの? 紳士なの?
少しでも心中で毒づいた兄ちゃんを許してくれ! 元気になったら目一杯遊んでやるからな!

「すっげぇ助かるよ浩介。じゃあ、ポカリとゼリー系を買って来てくれないか? 粥は無理そうだから。金は兄ちゃんが立て替えておく。通学鞄に財布があるから、持っていけよ。母さんに後で請求するからレシートは忘れずにな」

「うん、分かった。兄ちゃんのためにパシられてくるよ!」

ウィンクしてベッドからおりた浩介は俺の鞄から財布を取り出して中身を確認。

「世の中不景気ね」

余計なことを言って財布を閉じると、元気よく部屋を飛び出した。

うるせぇな、どうせ俺の財布は常に金欠の危機だよ。ヨウ達と合わせていたらマージ金がなくなるんだって。

笑声を噛み締めていると、閉められた襖が半開きになった。顔を覗かせる浩介が忘れていたと言って、おどけた顔を作る。


「行ってくるわぁ。ア・ナ・タ」


ちゅっと投げキッスして今度こそ出て行く浩介。つい声を出して笑ってしまった。あのノリの良さは俺以上だ。将来、きっと兄を超える調子ノリになるだろうな。

再びベッドに身を沈める。浩介のおかげで少しだけ元気を分けてもらった。

その気持ちで健太のことを考える。
中学時代いつも一緒にいた友人、毎日のように傍にいた親友と呼ぶべき同級生。級友だった友人が旧友となり、ついには絶交の道を選択せざるを得なくなるだなんて。


失友の痛みはやがて頭や胸まで浸透する。

折角弟に元気を分けてもらったのに霧散してしまった。どうしようもない。それは分かっているんだ。健太のことはどーしようもない。

だから早く踏ん切りを付けたい。俺はヨウの舎弟として、ヨウのチームメートとして頑張ると決めたんだからさ。


体内を駆け廻る血潮のように、痛みと切なさが全身を廻る。

外界から吹き込む風を浴び、日の暖かさに羨望を抱きながら俺は片腕に額をのせて目を閉じた。
火照った体の片隅で、じゅくじゅくと爛れたような痛みが宿り続けている。それは時間が経つに連れて化膿するばかり。



――遠のく意識の中で呼び鈴の音が聞こえた。

けれどそれは幻聴なのだと思い込む。少しだけ、痛みから休ませて欲しい。




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あきゅろす。
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