01-07
『豊福はバイト上がりだろ? どうだったバイトの方は。女に口説かれていなかったかい? お触りはなかった? 豊福はエロイから狙われやすいから心配だよ』
「……誰がエロイんっすか。誰が」
『だって君を見ていると、いつでも欲情するから』
それは攻め女であるアータと鈴理先輩だけですよ。マジで。
『大体豊福は無防備すぎるんだ。もっと警戒心を持つべきだと思う。ああ、僕の前ではそれでいいんだけどね。昨日も何度不意打ちのキスをしたか。一番燃えたのは、やっぱり玄関先でのキスかな。誰彼に嬌声を聞かれたら困ると、必死に我慢する豊福はとても可愛かった。下品な言い方だけど大興奮だったよ』
ああ、それは昨晩の出来事じゃないっすか。
部活で遅くなった御堂先輩を出迎えようと玄関に足を運んだら、有無言わせず彼女が唇を食んできたという。
お帰りのキスだと彼女は笑っていたけれど、えらく濃厚なキスでしたよね!
まさか浴衣を肌蹴させられるとは思いもっ、ゲホグホッ!
……玄関先で浴衣の帯を締めなおす事態になろうとは思いもしなかったよ。ほんと。
シクシク泣きながら帯を結びなおしていたら蘭子さんがやって来て、「ふふっ、ふふふふふ」意味深に笑われたし。
廊下では待ち構えていたようにさと子ちゃんが、
「お食事にしますか! お風呂にしますか! それともここはやっぱり空さまにしますか!」
とか言ってくるし。
なんで選択肢に俺が入っているのさと子ちゃん。
しかも、やっぱりって……まさか見ていたんじゃ。
若干頬が赤かったような気がしたけれど、見てみぬ振りをして羞恥に耐えたよ。
『やはり誰かに見られるかもしれないスリルある行為は燃えるよな、豊福。これからも僕は羞恥と葛藤する豊福を見ていきたい』
直接言われている本人はどうリアクションをとれと?
途方に暮れていると隣から、「えげつねぇ」ククッと喉を鳴らすように笑う中井くんが必死に声を抑えている。この会話は丸聞こえのようだ。
こめかみに手を添えて羞恥の唸り声を上げていると、
『安易に体は触らせては駄目だよ』
自分の前では無防備でも良いけれど他者の前で無防備を曝け出し、お触りでもさせたら、それなりのことをすると御堂先輩。
困るのは豊福だろうね、と意味深長なことを言われ、俺は千行の汗を流してしまう。
“それなり”のことを想像してしまったのですが!
『あれ、もしかして豊福。急に口数が減ったけれど、“それなり”のことをされる身に覚えでも?』
!?
笑声を含む疑惑を向けられ、電話相手に対して大きくかぶりを振った。
こっちの姿が見えるわけないのに何度もかぶりを振ってしまったり、頭を下げたりしてしまうのは日本人特有のジェスチャーだと思う。
必死に身に覚えなんてないと言えば言うほど俺の首は絞められる。
何故ならば俺の婚約者はうそつきの嘘は見抜ける数少ない人間のひとり。
彼女は一呼吸分間を置くと、『月曜日が楽しみだよ』帰ってきたら徹底的にお話を聞くから覚えておいて、爽やかに死刑宣告をしてきた。
「せ、先輩!」本当に何もなかったっすから! 逃げ腰ながらも食い下がって異議申し立てをすると、『豊福は嘘つきだから体に聞くんだ』だそうな。
ははっ、日頃の行いが祟ったね!
ネクストマンデー死亡フラグオーイェーイ!
『あ、そろそろ休憩時間が終わる。じゃあ豊福、僕は部活に戻るよ』
「ちょ、先輩!」
『今日が休日じゃなかったら君が家にいるのにな。残念だよ。とにかくバイトお疲れ様、月曜を楽しみにしておくからね』
ああっ、人の話をろくすっぽう聞かず切りやがった! わざとだろこれ!
力なくスマホを見つめ、「同性は対象外だよな」幾らなんでも今回の事件は一方的な被害者だから、“それなり”も軽減してくれる筈。
いやでも相手は攻め女。対象が男だろうとなんだろうと、気に食わないことがあれば“それなり”のことはしてくるに違いない。
つまるところ、攻め女は受け男を攻め倒したい弄びたいだけなのである。
な、泣きたいんですけど! どっちにしたって回避はできないじゃないか!
「終わった」
テーブルに伏して嘆いていると、横から手が伸びて肩をポンポンと叩かれる。
「とよみんがどれだけ彼女に敷かれているか分かったよ。心中お察ししました」
同情すると言ってくれるわりには声が笑っているよい中井くん。
「でも、これで分かったよ。とよみんが男受けする理由が。きっとあのお兄さんは君の押し倒されている姿を見たんだね。それできっとムラムラっと」
もういいよ、その話題。
こんなことになったのも全部大雅先輩のお兄さんが悪いんだよ。俺は単なる被害者だよ。なんでこんなことに!
……あ、大雅先輩のお兄さんのことを忘れていた。
そろそろ彼の下に行かないと、向こうも待ちくたびれていることだろう。
この状況がいかなる理由で楓さんに非があろうと、相手は俺を待ってくれているのだから。
きっと俺に直接話したいことがあるに違いない。
服掛けのハンガーから俺のブレザーを取ると、それを羽織って鞄を肩に掛けた。
中井くんにお疲れの挨拶をして片手を挙げる。「おっつー」イケメン彼女によろぴく、ひらひらと手の平を振ってきた。
「くれぐれもお兄さんには気を付けてな」
喉を鳴らすように笑う中井くんに片眉をつり上げ、「人の不幸を楽しんでいるでしょう」と指摘。
見る分には楽しいのだからしょうがないと正直に答えてくれる同年に溜息をつき、ドアを開ける。
早く楓さんのところに「やあ」……行かないと、とぉ? お?
ドアノブを持ったまま俺はカチンと硬直。
背後でスマホを弄っていた中井くんも硬直。
扉の向こうに立っていたのは、にこやかな笑顔で手を振っている噂のお兄さんでした。
ついでに俺達はそんじょそこらのB級ホラー並みに肝が冷えました。
「迎えに来ちゃった」
なに、そのカレカノ的ノリ。
俺は間違ってもありがとうなんて言ってハニカミを見せるつもりはないよ。
その前にどうして楓さんが事務室の前にいるんでっしゃろう? 此処、関係者以外立ち入り禁止なんだけど。
石化するバイト達を余所に、「よし行こう」彼は俺の腕を取って事務室のドアを閉めると早足で廊下を歩く。
「待ちくたびれたよ」
メールをしても返信が来ないし、電話しても繋がらないし、何をしていたのだと楓さんが鼻を鳴らした。
ぷうっと脹れる姿は大変可愛くない。
野郎がしてもトキメキなんぞ覚えない次第でありまする。
従業員用のトイレを横切り、楓さんは勝手口の扉を無造作に押し開ける。
彼は勝手口から中に侵入してきたようだ。
普段は開閉する度に内鍵が掛かり、外からは鍵がないと入れない仕組みになっているのだけれど、此処の鍵は扉の締まりが緩いと鍵が掛からないんだ。
それを知ってか知らずか楓さんは堂々と店内に侵入し俺を迎えに来たという。
常識的に考えても関係者以外立ち入ることのできない事務室にまで、普通足を伸ばすか? お金持ちの思考はまったく読めないや。
「と……とよみんがガチでお持ち帰りされたっ。ど、どうしようっ! マジかよ、此処まで来るか普通?! ストーカーか?!」
取り残された中井くんが事務室で大パニックになっていたのだけれど、それはまた別の話としておいて置く。
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