01-30
「さっきシフトを確認しようとここを訪れたら、例の客人とそこの通りで顔合わせになったんだ。
彼はぼくの顔を憶えていたみたいで、向こうから声を掛けてきてさ。『空くんが何時アップか知っているかい?』って聞いてきてっ、機転を利かせて今日はオフですよつったら、あいつなんて言ったと思う?
『それはないよ。彼のシフトは一ヶ月先まで把握済みだからね』だって!
しかもしかも『僕専用の接待にするには幾ら払えば良さそう?』とか言ったんだ! 絶句する僕に『店長さんに聞いてもらえる?』とか言うしっ、怖いって怖いってまじで怖いって! ガチでとよみんを狙っているんだぜきっと!」
これはもう市民の手に負えるものではない。警察を呼ぶべきだと中井くん。
感化されたように伊草店長も顔色を変えると、
「う、動いてくれるかしら」
ニュースではストーカーに遭っているにも関わらず警察の対応がおろそかになって事件になっているケースもあるくらいだから。
真剣に警察を呼ぶべきかどうか悩み始めた。
もう説明するまでもないだろう。
彼等が言っているのは電波青年改め、二階堂楓。先週の土曜日に職場を引っ掻き回した、あの二階堂財閥長男である。
できればほとぼりが冷めるまで職場には現れて欲しくなったのだけれど、俺の願いもむなしく彼は現れたようだ。
俺の知らぬ間に職場仲間に声を掛け、電波旋風を起こしているらしい。
嗚呼、俺の話を聞いている某先輩二人は玄米茶を誤って気道に流し込み盛大に咽ている。
片や俺の話を一切合財聞いていない某婚約者と女中は怖い顔をしているし。これは、どうすれば。
「あ、あの。俺は大丈夫なので」
当たり障りの無いことを言うと、「大丈夫じゃないだろ!」中井くんが一喝。
「相手は事務室まで押し掛けてきた男だぞ! あ、あいつっ、とよみんと水族館に行ったとかほざいていたんだけど……」
「あぁあ、行ったね。あの日に」
「う、嘘だろ?! まじで行ったの?! じゃ、じゃあその後夕飯を食べに行って、ホテルに行ったってのもっ……あいつ、とよみんを、とよみんをっ、お婿さんにいけない体にしちまったのか! ぺろりしたのか!
うわぁああごめんよ、とよみん! ぼくがあの時、躊躇せずにオトナに連絡しておけばっ、君だって傷心を負わずに済んだのにぃい!」
あぁああ中井くんが責任を感じて泣き始めた! 男泣きを始めたんだけど!
「ちょ、大丈夫だって」
本当に何も無かったとカウンターに出て、中井くんを慰める。が、しかし、「君の名誉のためを思って」どうしても男に拉致られたとは言えなかったんだよ! と言って中井くんが抱きついてきた。
ごめんと連呼してくるチャラ男の優しさに俺がごめんなさいをしたくなる。
うわぁあああ中井くん本当に誤解させてごめんよぉお!
チャラいくせにここまで心配してくれるなんて君は無茶苦茶いい子だよ!
なんか俺まで泣きたくなってきたよ!
「そ、空さまにそのような無礼講をっ! 空さまは時期御堂財閥のご子息ですよ! なのにっ、なのにっ……どこのどなたですかっ、そのクソ野郎は!」
向こうの席ではさと子ちゃんが怒りによって大興奮していた。
すぐさま蘭子さんに連絡すると言って携帯電話を取り出す彼女を必死に止めていたのは大雅先輩。
傍らで怒り心頭している御堂先輩にこそこそっと事情を話しているであろう鈴理先輩の姿が見受けられる。
ごめんと泣きじゃくるチャラ男、おろおろと戸惑う気弱な大学生に警察を呼ぶべきか悩んでいる店長。
状況は既にカオスだ。
そんな中、空気を打ち破るように再び店の扉が開かれた。どどーんと大げさに開かれた。
「そーらくん。お迎えに来たよ! 今日は映画にでも行こう親密度をあげよう! 」
静まり返る店内。
「あれ?」こちらの反応がないことに首を傾げているのは電波青年。
淡い橙のカーディガンを羽織っている彼は見るからに優男だ。が、店員達にはその優男が狼男に見えて仕方が無いんだろう。
言葉にならない言葉を発し、大パニックを起こしていたという。
そんな中、わなわなと体を震わせてこめかみに青筋を立てる男がひとり。
椅子を倒す勢いで立ち上がると、ずんずん電波青年に歩み寄り、次の瞬間。
「店の迷惑考えやがれっ、こんのクソ兄貴が―――!」
かくして二週に渡る二階堂電波旋風により、“いづ屋”も俺もいい迷惑を被られた。
大雅先輩直々の熱心な謝罪によって警察沙汰になることは免れ、楓さんと俺の仲も誤解が解けることになる。
伊草店長はこういった騒動は店は勿論、お客様の迷惑になるから本当に勘弁して欲しいと苦笑。
アルバイト組の鈴木さんはホッと胸を撫で下ろし、中井くんは良かった、誤解で本当に良かったとまだ泣いていた。
中井くんは本当に良いチャラ男だと思ったよ、うん。
そんな彼等に各々と大雅先輩が何度も楓さんの頭を下げさせ、謝罪していたことは余談にしておく。
さて先週のことが婚約者にばれてしまい、本来ならば何かしらお小言を言われる場面。
野郎相手とはいえ黙って夜の水族館に行ったり、夕食に行ったり、挙句ホテルに泊まったのだから誤解されてもおかしくなく、場合によっては仕置きが下るのだけれど、今回はそれすらなかった。
というのも。
「テメェって奴はまじ幾つだ? あん? 店の迷惑も考えず、客の前で堂々と豊福にセクハラまがいをした挙句、店の事務室に侵入するなんざ二十歳過ぎの男がすることじゃねえだろうが! 危うく警察沙汰になるところだったじゃねえかクソ兄貴! 二階堂財閥を恥さらしするつもりだったのか畜生が!
向こうの店長の慈悲で警察だけは免れたがっ、もし警察に突き出されていたらどうするつもりだったんだ!」
「ご、ごめんって大雅。僕はそんなつもりじゃ」
「百合子がいるのにゲイ疑惑を向けられやがってっ! テメェの頭は豆腐なのか? 脳みそがクラゲなのか? 電波だけじゃ済まされねぇぞこの騒動!」
「ぼ、僕はゲイじゃな「いのは知ってるんだ阿呆が! 疑惑を向けられるようなことをしたっつーことに俺は腹を立てているんだ!」す、すみません」
「すみませんで済むかー、いっぺん死んで来い!」
「うぇええっ、大雅が怖いぃいい!」
「ったりめぇだ! それだけのことをテメェはしたんだ! おいテメェ等、もっと食っていいからな。全部兄貴の奢りだ。破産させるまで食っていい。俺が許す。てか食え! 命令だ!」
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