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01-26





(――あ、溺れる)



本能がそう、警鐘を鳴らした。

案の定、倒れた二つの体は布団の海に溺れる。否、本当の意味で溺れているのはきっと俺だ。


荒呼吸を繰り返しながら彼女を見上げると、


「君は本当に可愛いよ」


こうして翻弄されながら僕を受け入れてくれるのだから、そう言って首に唇を落とした。

吸引と共に右手がゆらっと宙を浮く。

吸引の度に結んでいる彼女の手と一緒に宙を浮く。


この手によって溺死が免れている。


「もっとその顔を見せて」


溺れかかっている君の表情は最高に可愛い、御堂先輩が妖艶に口角を持ち上げて頬に手を添えた。


「ごめんね、君の男の矜持を傷付けて」


欲望の海で理性が浮き沈み。

膨らみのある唇が耳元に寄せられる。右耳は性感帯があると知っているくせに、その唇はわざと右耳に寄せてくる。


「君だって男」本能で女の子にあれこれ手を出したいと思う。

主導権も優越感も手に入れたいだろう。男として。


でも、どうしても譲ってあげられないのだと王子。

男に先導されたくない。主導権も優越感も与えたくない、見下されている気分になるのだと吐露してくる。


俺にその気持ちがなくても彼女の性別に対する傷心がそう思わせてしまうのだろう。


鈴理先輩の攻める気持ちが前向きな逆転思想からくるものだとしたら、御堂先輩は後ろ向きな逆転思想からくるもの。


何が何でも男に負けたくないのだろう。

そんな気持ちを抱かなくても、俺は負けてばかりなのに。


「今更じゃないですか。男の矜持なんてとっくに砕かれています。姫でいますよ。いつまでも貴方の姫でいますから」


「でもいつか」掠れ声を出し、「俺よりも優れている理想の人が現れたら」その時は迷わずに切って下さいね、相手に力なく綻ぶ。


射抜くような鋭い眼光が憤りを垣間見せた。

分かっている、今の発言は先輩の気持ちを蔑ろにするものだと。


でも、俺はどう足掻いても庶民出。

根っからのご令嬢である御堂先輩を守れるほどの実力は無い。


彼女のことは精一杯守るつもりだ。

望むことはしてやりたいと心の底から思っている。


ただ俺を生涯の人と定めるには早すぎる。

こんなにも先輩は格好良くて可愛くて素敵な人。


俺には勿体無いじゃないか。

もっと幸せになれるのにひとりの男に囚われる、それだけはして欲しくない。


「世の中には受け身になってくれる理解ある男の人もいますよ。貴方の良さを知ってくれる人だって」

「豊福、相変わらずだね。鈴理と付き合っていた頃からちっとも変わっていない。君は、自分自身を過小評価する癖がある――未だに実親のことを自責しているんだね」


自分のせいで両親の命を奪った、その現実が君自身の価値を小さくしている。

変わっていない、鈴理と付き合っていたあの頃からちっとも変わっていない君の愛おしい一面。守りたくなる一面。片や嫌いな一面。

その気持ちが君をうそつきにさせ、約束すら平然と破る人間にさせるのだと御堂先輩は微苦笑。


容易に俺自身を理解し、「逃がさない」そんな理由で君を逃がさない、自分の額を俺の額と合わせて全体重をかけた。

彼女の髪が顔に掛かってくすぐったい。


「君は女顔じゃないし、女装は似合いそうにないし、お世辞に格好いい類いとも言えない。並のルックスを持った男だ。
でもね、不思議なことに君が格好いいと思う瞬間(とき)がある。可愛いと思う瞬間がある。いとおしいと思うと瞬間がある。そして、そんな君を溺れさせたいと疚しく思う瞬間がある。どうしてだと思う? 答えは簡単、君が好きだからだよ」


君は人を好きになる意味、好意を寄せられる意味をもっと複雑に考えた方がいい。豊福が思うほど“好き”は単純じゃないよ。


「君に忘れられない人がいる意味もそれに含まれるのだから」


御堂先輩が子供に言い聞かせるように頭を撫でてくれる。

軽率だったと思い改め、俺は無言で彼女に左手を伸ばすと肩口に顔を埋める。俺なりの甘えだ。


何も知らなかったあの頃は女性の手に触れることすら羞恥を感じていたというのに、今や相手の体温を感じることが当たり前になっている。なんて贅沢なんだろう。


「俺はもう約束を破りません。ちゃんと傍にいますし、黙って消えません。約束しますから」

「信じてあげない。君はうそつきだから」


信じてもらえない。破らないと言っても信じないの一点張りだ。


「破りませんって。本当っす。今度危機が訪れたら、ちゃんと助けを求めますから」

「絶対に破るよ、君が自分自身を過小評価する限り。だから、こうして逃げないように抱きしめるんだ。いつまでも。大丈夫、君は一人じゃない。君を思う人間もいるんだ。それを忘れてはいけないよ」


君は僕が守るから、彼女の言の葉を正面から感受する。


「なら先輩も忘れないで下さい。俺は望んで貴方に攻められていることを。心許しているから、男の矜持も捨てているんっすよ」


だから気にしないで欲しい、なんだかんだで俺は攻め女の我が儘を受け入れている。

これからもあるが儘に自分の好きなように振舞えばいい。

俺はその度に逃げつつも受け入れていくつもりだから。


結局、俺も大概で攻め女に毒されている。相手の我が儘を聞いて喜ぶ顔が見たいんだ。


狙われたあの日から、今も、これからもずっと。


嗚呼、普通のカレカノ関係はもう築けないんだろうな。こんなにも中毒になってしまっているのだから。

普通の恋愛もできないと思う。


「そうやって我が儘を聞いてくれる君が好きだよ。誰でもない豊福、君じゃないと嫌だ。嫌なんだ」


俺よりも優れている理想の人が現れたら、だなんて寂しいこと言わずに、ずっと傍にいてよ。

新たな我が儘を口にして猫のように擦り寄ってくる王子。

大好きな短髪に触れたい一心で空いている左の手を伸ばす。


手前で頬に触れた。

滑りの良い肌、少しだけ冷たい頬、誰かに触れている悦び。


胸が満たれていく。


それは男として? それとも一婚約者として?


『――玲ちゃんは君が思っている以上に、荷の重い子だよ』


不意に蘇る楓さんの言の葉。

振り切るように守りたい彼女の頭を抱き、うんっと頷いてくしゃくしゃに髪を撫でる。

結び合っている右手はすっかり汗ばんでいた。


溺れた後のように、その手と手は湿っていた。




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あきゅろす。
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