00-03
微笑ましい気持ちを抱く胸に微かな翳(かげ)りが落ちる。
誰にも悟られないように表情を作り、「そうだ」ゼリーも用意していたんだ。
小皿をテーブルの上に置き、彼の髪をくしゃくしゃに撫でてやる。
「え。でも、うどんがあるのに」
豊福の戸惑いに、
「全部は食べられないだろ?」
それに甘い物は疲労を癒してくれるから。
目尻を下げ、腰を上げる。
火照った掌が手首を掴んできた。
男子らしい肉付いた腕を目で辿り、相手と視線を合わせる。
意味深長に見つめてくる彼が首を横に振り、「此処にいて下さい」ゼリーはまた今度でいいから。
物静かに伝えてくる。
豊福は察しているのかもしれない。僕の気持ちに。
「嬉しい申し出だけど、少しでもいいから食べるべきだよ。戻ってきたら、うんと甘えさせてあげるから」
掴んでいる手の甲に口付けして、そっと彼から離れる。
「先輩」
呼び声に手を振り、障子を開けて廊下へ。
爪先を目的地にあわせ、ゆっくりとした歩調で厨房に向かう。
確信を得た。
婚約者は気付いている。
僕の翳りある感情に。
だからこそ傍にいて欲しいと、らしくない甘えを見せた。
少しでも翳ある感情に支配されないように、豊福は気遣ってくれている。
嬉しいけれど、こればっかりは豊福でも止められそうにない。
だって、僕はもう少しで“好きな人”を失うところだったのだから。
彼のあどけない表情を見る度に心の底からホッとする。
反面、奪われたかもしれない恐怖心に駆られる。結果的に残るのは憎悪だ。
(いつだって。それこそ生まれたその瞬間から、奴の手によって人生を引っ掻き回されてきた)
奴のせいで男嫌いになり、女の自分を受け入れ難くなり、肩身の狭い思いをしてきた。
挙句、あいつは僕達を駒のひとつとして辛酸な日々を味わわせた。許せるわけがない。
既に御堂財閥の一件は財閥界に事は知れ渡っている。
派閥争いは避けられないだろう。
勿論、激化していくであろう御堂財閥の内紛も。
はっきり言えば御堂財閥はかつてない危機に追い込まれている。
けれど同時にチャンスだと思えてならない。
(奴は父と敵対している。それはつまり、僕とも対峙していることを示している。―――…いつか必ず、余す感情をあいつにぶつけてやる)
奴がいる限り、僕達に真の幸せは訪れない。
一時の幸せを得ようとも、それはすぐに脆く崩れるだろう。
あいつの手中にいる限り、僕達は幾度も“駒”として利用される。明言できる。
だからいつか。いつの日か。
足を止めて庭園に視線を流す。
静寂を保っている庭から、微かに水音が聞こえた。
池に身を置いている鯉が跳ねたのだろう。
嗚呼、平和だ。
本当に平和だ。
いつまでもこの平和な日常が続けばいい。
「やっと純粋な関係になれたんだ。豊福にはずっと傍にいて欲しい」
散々な目に遭っても、あの頃と変わらず、平日は僕の家で居候をすると決まっている彼(居候という表現は不適切かもしれない。花婿修行にしておこう)。
まだ事件のことを引き摺っている節は垣間見えるけれど、僕の傍にいてくれる選択肢をしてくれた。
好きな女ではなく、守りたいと位置づけている僕を選んでくれた。
なら僕もそれ相応の行動を起こそう。
これは僕の、彼に対する好意の表れだ。
なにより、はやく好きと言ってもらいたい。
彼に好きな人と言ってもらいたい――。
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