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09-12

 
 
「ごめん、なさい」


夜風と戯れてどれほどの刻が過ぎたのだろう?
二の腕に寒気を感じた頃、さと子ちゃんが俺の浴衣から手を放し、袂に入れていたハンカチで涙を拭った。

俺が好きでしたことだから。相手に一笑し、蔵を背もたれにその場に尻をつける。

長時間しゃがんでいたせいか、足が痺れた。
浴衣が汚れてしまうけれど、是非とも座らせて欲しい。

「すっきりした?」

俺と同じように地べたに座るさと子ちゃんはうんっと頷いた。
 
曰く、蘭子さんに叱られてしまったそうだ。

どんな失敗をしたかっていると、源二さんのお召し物を誤ってゴミ袋に入れてしまった。高価なグラスにヒビを入れてしまった。生けていた花を折ってしまったエンドレス。……とにかくたーくさん失敗したそうだ。


叱られたこともさながら、自分の不器用さにはほとほと嫌悪したそうな。

グズグズ泣いているさと子ちゃんは、「空さまにだって」初日から火傷をさせてしまいましたし、と鼻を啜る。

確かにあれはすっごい歓迎だったけどもう気にしてないよ。俺は肩を竦めた。


「それに七瀬さんにっ」


きゅーっと喉の奥を絞ったような声を出す彼女は、七瀬さんに呆れられてしまったと新たに涙を流す。

彼には一番にお世話になったのに。優しくしてもらったのに。とうとう彼にまでっ、彼にだけは呆れられたくなかったとさと子ちゃん。

おや? やけに博紀さんのことを熱弁するけど、もしかして。


「博紀さんのこと、好きなの?」

 
唇を噛み締める彼女の顔が見る見る紅潮していく。

「その、」誰よりも優しくしてくれた方で、その、と口ごもる彼女は片思いだけれど、と言葉を付け足す。年上で優しくて魅力的だから、なーんて好きなところまで教えてもらった。

なるほどね、一番の理由は怒られたからじゃなく、博紀さんに呆れられたことにあるわけか。
 
どういう経緯で呆れられたかは分からないけど、ショックだったんだろうなさと子ちゃん。
一生懸命やっているのは分かっているんだけど。

「さと子ちゃんって凄いよな。此処に住み込みで働いているんだろ? こういう仕事って大変だと思うんだけど。学校は?」

夜空を仰いで世間話を切り出す。
彼女は快く便乗し、身の上話を語ってくれた。

「通信制に通っているんです。私の夢……、舞台女優になることなんですよ」

へえ舞台女優。
意外だな、さと子ちゃんすっごいおとなしいから舞台とは無縁そうだけど。
 
さと子ちゃん曰く、御堂先輩と同じで芝居がとっても好きなんだって。
 
親の反対を押し切って上京し、舞台の勉強をしながら学校に通っているらしい。

既に劇団には入っているんだって。

凄いよな、感心しちまう。
でっかい夢を持っているさと子ちゃんが輝いて見えた。
 
「私、普段がドジばかりだからお芝居をしている時、違う誰かになれて凄く楽しいんです。いつか、お芝居をしている姿を人に観てもらって感動してもらったら、と夢を見てるんですよ。住み込みで働いているのも、此処のお給料が良かったからなんです。お住まいも頂けますし」

「それこそ大変でしょ。学校に劇団、此処のお仕事が重なって」

「辛くないと言えば嘘になります。だけど自分で決めた道ですから、弱音は吐きたくないんです。……お仕事では弱音吐いちゃいましたけど」
 
でもお芝居だけは絶対に……、熱弁するさと子ちゃんがハタっと我に返ってすみませんと小さくなる。
 
首を横に振る俺は、「羨ましいや」と彼女に笑みを向けた。俺は今までこの学校に入りたいから、親が楽できるから、この現状を打破したいからって目標を掲げてきたけど、さと子ちゃんみたいな夢は持ったことがない。だからこそ彼女が大きく見える。

自分で決めたから、か。
 
分かるよ。
俺も周囲の反対を押し切ってエレガンス学院を受験した。

バイトだってそうだ。
誰に言われたわけじゃなく、自分で決めたんだ。

自分で決めないと、人生虚しいもんな。

後悔した時、きっと誰かのせいにしちまう。


「お芝居はともかく私はこの仕事に向いてないのかもしれない」

しゅんと落ち込むさと子ちゃんはドジばっかりだから、と自分の不器用さを嘆いた。

けれど普通のバイトをできる気もしないらしい。以前、地元の飲食店でバイトをしてドジすぎるゆえにクビになったそうだ。


なにより住まいと給料の良いこの仕事を失うのは手痛い。

上京してまだ三ヶ月。
実家に帰ることだけはしたくない。

頑張るしかないのだけれど……、鬱々と吐露するさと子ちゃんはすっかりしょげ返っている。
 
シビアな現実に打ちひしがれているさと子ちゃんは、きっと生活が安定せず、気張ってばかりなんだろうな。
 
そりゃそうだ。新しい土地で、新しい生活、学校、仕事に劇団。東京での暮らしは不慣れなことばかりだろう。性格上、積極的に友達を作るタイプでもなさそうだ。

さと子ちゃんは頑張りすぎている。どの仕事にも気合が入っているっている感がするんだ。
 
自分で決めた道だからって必要以上に頑張っているんだろうけど、たまにはリラックスもしなきゃな。
 
「さと子ちゃんは和菓子、好き?」

前触れもない問いに「へ?」間の抜けた声を上げるさと子ちゃん。

大好きだと返事を貰うと、「なら良かった」俺のバイト先は和喫茶店なんだ。遊びにおいでよ、サービスするから。彼女に微笑した。

申し出に目を白黒させるさと子ちゃんに、「俺と君は家内では主と女中だけど」外に出たらただの一同級生だよ。

「今度地元を案内してあげるから、楽しみにしててね」

そう言って俺は遠まわし、新たな申し出をした。それは友達になりませんか? という、ありきたりな申し出。


意図を察したさと子ちゃんの泣きっ面に少しだけ晴れ間が見えた。
 

「携帯持っている?」「はい」「じゃあアドレスを後で交換しよう」「はい!」「あ、でも。俺、赤外線とかわっかんないんだ」「そうなんですか?」「機械音痴なんだよ」「なら私がしてあげます」「ありがとう」
 

その時、さと子ちゃんの腹の虫が鳴った。
 
沢山泣いて、安心したせいだろう。キュルルッと可愛らしく鳴いている。気恥ずかしそうに頬を染めて腹部を押えるさと子ちゃん。直後、俺の腹の虫も鳴った。


「あははっ。俺も腹減ってたんだった。なんか食べたいや」

「厨房に行けば何かあるかもしれませんけれど、新人の私が勝手に入ったら怒られてしまいそうです」
 

コンビニに買出しに行きましょうか? それなら新人の私でも許可されていますし。

さと子ちゃんの申し出に、「いいよ」なんか悪いし。俺は全力で遠慮した。

それより、もっと手っ取り早い方法があると指を鳴らして立ち上がる。


「さと子ちゃん、お仕事は終わっているんでしょう? ちょっと付き合ってよ」


パッパッと土を払い、頭上にハテナマークを浮かべるさと子ちゃんを立たせた。

「あ、あの」戸惑う彼女の腕を引いて、「御堂先輩のところに行こう」家の人の許可が下りれば気軽に入れるじゃんか。

満面の笑みを浮かべ、きっとさと子ちゃんと先輩は気が合うと足を動かす。

「ええっ!」滅相もないと遠慮するさと子ちゃんに、彼女と話したことないでしょ? と振り返る。


「あの人、演劇部なんだ。きっと舞台女優を目指すさと子ちゃんと話が合うよ。女の子にはとびきり優しいしね」




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