01-16
「――取り敢えず、できる限りの応急手当は施したわ」
ポーションの入った瓶の蓋を閉め柚蘭は小さな吐息をつくと、呻き声を漏らしベッドシーツを握り締めている菜月を見下ろした。
上半裸になっている菜月はうつ伏せに横たわっている。
背中には生々しい火傷。赤く腫れ上がっていた。できる限りのことはしたが苦痛が取れた様子は無い。煮え滾っている液体を背に浴びてしまったのだ。応急手当で取り除けるレベルではない。
「私は医者じゃないけど」
柚蘭が診た限り、背中の火傷の重度、右腕の骨にヒビが入っている可能性が高い。完治にそれなりの時間を要しそうだ。
「それに打撲が目立つわ。菜月、私達が見ていないところで聖保安部隊と衝突していたのね。菜月、聖界人に対してはすっごく口と態度が悪いから。向こうも怒っちゃったんだとは思うんだけど」
柚蘭は溜息をつき、水の張った洗面器に入っていたタオルを絞って額に滲んだ汗を拭ってやる。
同感だと言うものの、螺月の表情は険しい。眉間の縦皺が増えるばかりだ。
成り行きで居合わせてしまった朔月は、あまりに酷い扱いだと意見した。
幾ら口と態度が悪かろうと、手を出して良いという話ではない。聖保安部隊は事前に分かっていた筈だ。異例子の聖界嫌いは。
そういう態度を取るということも分かっていた筈。
それに異例子は人間であり、魔術や武術を使えない。それを踏まえて手を出したというのならそれは一種の虐待ではないか。
「二人がいない時ってのが卑怯だよな」
四天守護家が誇る聖保安部隊がこんなことをするなんて。朔月は失望したと肩を竦めた。
「菜月くんも二人には言えなかったんだろうな。惨めだって思われないように」
ドンッ―!
部屋を満たす物音に朔月は首を動かす。
そこには壁を拳で殴りつけている親友の姿。怒りに身を震わせている。
「何が腹立たしいかって、聖保安部隊に『危害は加えねぇだろう』と、安易な期待を寄せて事に気付かなかった俺だ。菜月にとって聖界は住み難いし生き難い。それは重々承知していたがここまでだったなんてっ。甘かった。菜月に向けられる差別の眼の認識が甘かった」
荒々しく息をつくと螺月は柚蘭を呼び、朔月に弟を看てくれるよう頼んだ。帰って来るまで資料作成は弟の部屋でして欲しい。
そう付け足して頼んでくる螺月に、
「それは構わないけど」
二人は何処に行くんだと尋ねる。
怒りを露にしている螺月とは対照的に柚蘭はニコッと笑顔を向けた。
その笑顔が朔月の背筋を凍らせた。彼女の目がまったく笑ってない。優しい微笑みが怒気を纏っている。
たらっと冷汗を流す朔月は、もしかして郡是隊長のところに報告しに行くのかと質問を重ねる。
「報告?」
柚蘭の笑みが深まった。
「殴り込みに行くの。こんなやり方、私達は一切耳にしていないもの」
* *
―聖界西区(ウエスト・ブロック)―
西大聖堂、聖保安第五隊部部署。
第五隊の隊の長を務める郡是忍は本日、副隊の長の千羽司と共にジェラール・アニエス死亡の一件を洗い浚い調査しに人間界に降り立っていた。
やはりどう調査をしようと事故死には変わらず、逃亡の末の事故死。
と、報告書にまとめるしかなかった。
今一度、遺体を調べてみなければ報告書に詳しいことは記せないが、聖保安部隊直下の霊安室に保管されている遺体を何度調べても結果は同じだろう。
始終浮かない面持ちを作っている千羽は報告書を作りながら自責の念とは別の念に駆られていた。
ジェラール・アニエスの放った言の葉たちがどうも脳裏からこびり付いて離れてくれようとしない。聖界の現状を知れ、本当の弱者の存在を知り、正義を貫けというあの言の葉が。
上の空になっていると郡是から叱責を食らった。我に返った千羽は慌てて報告書に視線を戻す。
しかし胸の棘は取れず、痛みが増す一方だ。
千羽は羽ペンを握り締める。自分のクレイモアがセントエルフの胸を貫いた。
向こうの意思だったとしてもあの感触は忘れられない。命を貫くあの感触をどうしても忘れられない。
あれは事故死などで片付けて良いのだろうか。自分が殺したも同然だというのに。
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