05-08
玄関扉の開閉音が聞こえた。
二人が顔を上げれば、ようやく姉が支度を終えたようだ。両手を合わせながらこっちに歩んでくる。全員が揃ったところで出発、家を後にして近くの仮部署に向かう。そこで郡是と千羽に会わなければ、街に出掛けられないのだ。
お目付け役を迎えに行く、というのも変な話だが、二人には二人の仕事がある。
ギリギリまで仕事をこなし、自分達と共にお目付けとして付いて行く、という流れでいくらしい。
とはいえ、仮部署前まで来てみると既に郡是と千羽の姿を見つけた。
ある程度、仕事に目処をつけて自分達がくるのを今か今かと待っていたようだ。菜月と同じようにフード付きのベージュ色のローブを羽織っている(しかしフードは被っていない)。
自分達の顔を見るや否や郡是は盛大に溜息。
「こんな忙しい時に外出とは」しかし菊代さまからは許可が下りてしまったし、ブツクサと文句を垂れている。千羽は柚蘭と螺月に敬礼をして挨拶。菜月に対しては「よっ」と軽く挨拶。「お疲れ様です」菜月も軽く挨拶を返した。
「良かったな、晴れて。お前って日頃の行いが悪いからな、雨でも降るんじゃないかって思ってたんだぞ」
「失礼ですね、千羽副隊長。俺、最近は大人しくしてるじゃないですか。そりゃ千羽副隊長のせいで不審者扱いにされたことはありましたけど」
ピキ、千羽は片眉をつり上げた。
こいつ、思い出したくないことをペラペラと。
「るっさいな。お互い様だろ? 大体お前は笑い事で済むけどな、俺はっ、隊内で恥を…っ、あああっ、思い出しただけで腹が立つ! 異例子っ、お前、責任取って俺に謝れ! いっぺん恥掻いてこい!」
「責任も何も、元凶は千羽副隊長じゃないですか。俺が謝る意味、全然わっかりません。あっかんべーです」
べっと舌を出す菜月に、これまたピキッと千羽は青筋を立てた。
「こんのチビ助!」「なッ…俺はチビじゃありません!」「どう見てもチビだろ、ガキ!」「俺は成人迎・え・てますから」「あと十cm伸びてから言えって」「大人げないですよ!」「るっさいチビ!」「また言いましたね」「あー言ったとも」「とつてもガキですね!」「どつちがガキだろうな!」延々延々、ゴンッ、ゴゴンッ! ―――…子供染みた喧嘩の末路に待っていたのは痛い拳骨なり。
二人は揃って頭部を押さえた。
「馬鹿が」千羽に制裁を下したのは郡是、「張り合うなって」菜月に制裁を下したのは螺月、微笑ましそうに見ているのは柚蘭のみ。ある意味異様な雰囲気である。
取り調べ以来、二人は気軽に話し掛け合う仲にまで進展していた。
隊内では勿論、兄姉も不思議だと思うほど二人はまるで友人のような口振りで会話を広げるのだ。毎度二人が挨拶を交わす度、いつの間に仲を深めたのだ、と誰もが首を傾げる。
今もそう、まるで友人関係のように口論を繰り広げていた。
「千羽副隊長のせいですからね」「お前のせいだって」頭を擦ってる二人に、郡是は軽く目を細めつつ、改めて兄姉に注意事項を挙げた。
極力異例子の傍からは離れないこと。派手な行動は控えること。一般市民を混乱に陥れるような真似はしないこと。その他諸々。
注意事項を聞いている限り、かなり危険視されていることがよく分かる。一般市民を混乱に、とはまたご丁重な扱いをされているものだ。自分はそこらへんにいそうな小僧だというのに。
仕事熱心なことだと肩を竦める菜月に対し、柚蘭は分かっていると失笑交じりに相槌を打ち、「まるで猛獣扱いだな」螺月はフンとそっぽ向いて不機嫌そうに腕を組んでいた。
こうして聖保安部隊の注意事項をつらつらと述べられた三人は、話が終わるや否や聖保安部隊の隊長と副隊長を率いて街へと向かう。
前に菜月と兄姉が、後ろに隊長と副隊長が一定の距離を保って歩くという形を取っているため、前を歩く三人は気軽に会話を交わせた。
「聖界で買い物か」凄く楽しみだと綻ぶ菜月は、人間界には無い物が沢山ありそうだと期待に胸を寄せる。「文化が違うものね」柚蘭は相槌を打ち、何か欲しい物があれば遠慮なく言って欲しいと目尻を下げた。
「ま。高くなけりゃ買ってやれるけどな」螺月が余計な付け足しをするものだから、二人は笑声を漏らすしかない。
和気藹々とした空気が三人を包み込んだ。
三人の後ろを歩いていた聖保安部隊の隊長と副隊長は同じことを思っていた。あの三兄姉は随分と仲が良くなったな…と。
最初こそ異例子は聖界人である身内にまったく心を開こうとしていなかったというのに。今では平穏に会話を交わすまでになっているなんて。兄姉の親身な愛情が彼の心を開かせたのか、はたまた何か別の出来事があったのか。
どちらにせよ感情とは都合よくできているようだ。
どのように憎しみを抱いていても好意を向けられると憎悪も薄れ、一抹であろうとも親しみと好意を抱くようになる。憎悪を向けると抱いている憎しみは増大。嫌悪感が増す。
都合よくできているからこそ、人というものは他者と上手く付き合えるのかもしれない。逆を言えば、都合よくでき過ぎているからこそ他者と上手く付き合えないのかもしれない枷になっているのかもしれない。
「問題を起こさなければいいんだがな」郡是は三兄姉の後姿を見つめ、溜息。
「それはどういうことでしょう?」独り言を拾い上げた千羽は疑問を投げ掛けた。
「千羽、人の倫理観というものは一時の感情によって観方が変わるものだ。それを代表するものが愛情だと思う。俺は兄姉の倫理観に不安を抱いている」
郡是は一つの大きな懸念を抱いていた。それは兄姉の末弟に対する家族愛だ。
彼等の愛情の深さが時折周囲に刃を向くのではないだろうか。差別されている末弟を守るために、なりふり構わず異例子の前に立ち、愛情を刃と化して人々に猛威を振るう。異例子が彼等に心を開き始めたのならば尚更その傾向は強い。
ただでさえ兄と姉の間には強い家族愛が芽生えている。互いに支え合って生きてきた彼等の結束は強いだろう。
そこに復縁を願っていた末弟への家族愛が芽生える。末弟もまた彼等の愛情に応える。結束は更に強くなるだろう。
しかし強くなる故に…、ということもある。
現に兄姉は聖保安部隊が起こした事件を一件に、こちらに対して強い警戒心を抱いている。問題を起こしたのはこちら側。非はこちらにあり、それに対しては上司として申し訳なく思っている。
が、彼等の警戒心の強さには時たま溜息をつきたくなる。
ある時こんなことがあった。
その日、いつもと同じように異例子のボディーチェックをしようと部下を従え、廊下で掃除をしていた異例子に声を掛けた。なんてことの無い仕事だった。ただボディーチェックをするだけの仕事だったのだから。
しかし彼をリビングキッチンに入らせる際、部下が誤って異例子の背を強く押してしまった。
わざとではない。たまたま力んでしまい背を強く押してしまったのだ。水の入ったバケツを持っていた異例子は足を縺れさせ転倒。部下は慌てて謝罪し、手を差し伸べようとしたのだが、そこに偶然、姉が帰って来て現場は修羅場と化した。
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