買い物日和、中央区(セントラル・ブロック)
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聖界暦××年
水の祈り 風の拝 快晴
末子の菜月と暮らし始めて二ヶ月が経った。
相変わらず聖保安部隊の監視付きの暮らしだけれど、暮らし始めた頃と比べて随分暮らしが変わったと思うわ。
暮らし始めたばかりの頃は菜月に嫌悪感や憎悪感ばかり抱かれて、私達が歩み寄る度に警戒ばかりされていたけれど、最近ではそれが無くなりつつあるの。話し掛けても表情は穏やか。自分から積極的に話し掛けてくれることもあるわ。
一週間前にこんなことがあった。
「ねえねえ、柚蘭、螺月。あのさ、そのさ、ちょっとだけお願いがあるんだけど」
それは夕食中の時のこと、菜月が話題を切り出してきた。
凄く決まり悪そうに話題を切り出してお願い、なんていうものだから、とんでもないお願いをされるのかと思ったんだけど、菜月のお願いを聞いた瞬間、螺月と笑っちゃった。菜月ったら私達に「本を貸して下さい」って、畏まって言ってきたの。
菜月、あらかた持ってきた本は読み終えちゃって手持ち無沙汰になりがちみたい。だったら本を買ってって強請ればいいのに、菜月は私達に持っている本を貸してって頼んでいる。謙虚だと思ったわ。
「小説なら柚蘭が結構持ってるぞ。俺は昔使ってた教科書とか、勉強関連しかねぇ。あと仕事関連か」
「教科書とかでもいいよ。聖界の教科書って見てみたいと思ってたし」
そんなことを言う菜月に、翌日私達は本屋で暇潰しになりそうな本や問題集を買った。
菜月、聖界の勉強にとても興味があるみたいだったから。買った本や問題集を菜月にプレゼントすれば、「凄いや!」菜月は満面の笑顔で喜んでくれた。早速問題集を開いて、問題を眺めたりもしていたっけ。子供のように喜ぶものだから、私達も一緒に喜んじゃって。
お古の教科書と見比べながら問題を解き始める菜月と、一緒に問題を眺めたわ。お茶とクッキーでお腹を満たしながら。
「んー…えーっと、火の魔法陣を召喚する時間を計算せよ。尚、ルーン文字は既に唱えていることにする。昔やったような問題だけど、数魔術、忘れたなぁ」
「あら、懐かしいわね。ここら辺は螺月の得意分野じゃない」
「どれ? ああ、そりゃ実践しながらやった方が覚えるぞ。まず公式が(α+2α)αy。αは魔力指数を指すんだが、まずこの魔力指数まで高めてみる。んでもって」
「はい、先生。此処で魔法は使えません。というか俺、魔法使えないですけど、そういう場合はどうすればいいんですか?」
挙手する菜月に、「……」螺月はピシっと固まって、腕組み。そして身悶えた。
「お…俺としたことが、弟の魔力のことを念頭に入れてなかったとか。入れてなかったとかっ、あ、兄貴失格。何年、兄貴を夢見てたんだよ俺っ〜〜〜! 此処で夢を霧散させちまうとかっ、させちまうとかっ!」
「……、菜月。数字を扱うのが得意なら、公式どおりに当て嵌めてみなさい。実践しなくても解けるから」
「あ…、うん、わ、分かった」
そんな小さなちいさな騒動も笑い話。談笑の時間としてはとても楽しい時間を過ごした。
あんなに忌々しそうに私達を睨んでいた眼光が暖か味帯びているなんて、夢のよう。螺月も喜んでいるわ。「また一歩、距離を縮めることができた」って。
最初の頃こそ、私達が家にいる間は家事以外のことになると自室に引き篭もってしまうことが多かったのだけれど、最近ではリビングキッチンで読書や新しい料理の挑戦、観葉植物なんかの世話をする姿が見られるようになった。
私達が買ってあげた問題集をしていることもあるし、教科書を只管熟読している姿も目にする。
そうそう、こっそりと影の中に飼っている小鬼ちゃんの相手をすることも多々見受けられるわ。
いつ聖保安部隊に見つかるかと思うと冷や冷やするけれど、魔界人で魔物の小鬼ちゃんは悪い子じゃない。聖保安部隊の目を盗んで人間界に帰してあげようって話し合ったわ。
人間界という単語を聞くと、菜月はやっぱり北風さんのことを忘れられないのか表情が曇ることが多い。
私達の前ではけっして言わないけれど、菜月は北風さんに会いたくて仕方が無いんだと思うわ。二ヶ月足らずで忘れられるような人じゃないのね。それだけ菜月は北風さんに想われていたのね。
姉として少し胸が痛くなったわ。せめて北風さんが人間だったら…、でも北風さんが悪魔だったからこそ私達は同居という契機を掴めた。複雑な気持ちだわ。
菜月は父上との一件で私達に大きな信頼を寄せ始めてくれている。
私達はそれを大事にしていきたい。あわよくば母上と…、まだまだ無理よね。
とにかく慎重に、焦らずに、ゆっくりと末弟と距離を縮めていこうと思うわ。異例子と呼ばれている菜月のことを、私も螺月も深く愛している。その想いをゆっくりあの子に教えていこうと思うの。心に深い傷を負わせてしまった可愛い末弟に、ゆっくり、と。
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