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聖界の暮らし




「―――…また、朝が来た」
 
 
 重たい瞼を持ち上げた菜月は開口一番に沈鬱な念を口に出した。
 窓辺に差し込む朝日の眩しさに目を細めながらも、ふてぶてしく見下ろしてくる魔法陣を見上げ、溜息と共に一つ欠伸を噛み締めた。

 そっと寝返りを打つ。
 まだ見慣れぬことのない白い壁が視界に飛び込んできた。
 触れてみると無機質の壁がじんわりと指先の体温を吸い取っていくよう。熱が奪われていくのを肌で体感する。

 さらさらっと壁を撫で、菜月は一つ溜息をついた。

 また朝が来てしまった。
 朝日を目にする度、億劫の念を抱いて仕方が無い。

 少し前の自分ならば、やって来る朝になんの感情も抱かなかったのだろうけれど、今は朝が酷く嫌いだ。一日が始まる。そう思うだけで気鬱になる。
 

 未練がましく思ってはいけないかもしれないが、どうしても少し前の生活を想い焦がれてしまう。
 あの頃は朝を迎えると、まず始めに顔を洗って、着替えを済ませて、一階に下りて珈琲を飲みながら朝刊に目を通して。
 時間が迫ると台所に立って同居人の朝食作りに掛かる。それを終えると寝ているであろう同居人を起こしに行く。

 そういう有り触れた(でも幸せな)生活だったというのに。此処にはもう同居人の銀色の悪魔はいない。

 “何でも屋”という店でもないし、友人達もいないし、人間界と呼ばれた世界でもない。

 長く重々しい溜息をついて上体を起こす。


(ウダウダ考えても始まらない)


 どんなに願ったって戻って来る日常ではないのだ。
 悪魔を愛した日々も友人達と笑い過ごした日々も諦めたではないか。

 自分は聖界(此処)で生きていくと決めたではないか。
 自分が聖界で生きることで、人間界にいる悪魔にはもう危害が及ばない。
 そう思えば毎日を乗り越えられるではないか。気持ちを入れ替えて今日も気鬱な一日を乗り切らなければ。
 
 また二つほど欠伸を零し、菜月は枕元で寝ている小さな影鬼の子供に微苦笑を零す。

「今のパートナーはこの子だけか」

 誰もいないだけマシだと思いながら菜月は小鬼ぃズのカゲっぴを揺すり起こす。鬼のカゲっぴは恐いが話す分に関しては恐くない。

 だから菜月はそっと揺すり、「カゲっぴ。朝だよ」小鬼を優しく起こしてやる。
 それが鬼夜菜月の一日の始まりだった。



 異例子と呼ばれた少年、鬼夜菜月が故郷の聖界に戻って早二週間と三日が経った。

 聖保安部隊の監視下に身を置かれ、さらに兄姉と同居する状況に置かれてしまった菜月は毎日を気鬱に過ごしている。

 掟を破った菜月に監視下の拒絶も同居の拒絶も赦されず長の命の下で、おとなしく日々を過ごしてはいるのだが聖界に帰ってからというもの菜月は何かと気鬱だった。
 
 特に兄姉との同居は菜月を毎日のように気鬱にさせて仕方が無い。

 同居を始めて分かるのだが、彼等と一つ屋根の下で暮らす日々は嫌でも子供の頃の同居していた時代を思い出し比較してしまう。 

 昔と百八十度違う接し方に戸惑いも多く、菜月はどうすれば良いか分からない。
 憎んでいると分かっている筈なのに積極的に自分に話し掛けてくる兄姉の気持ちがまったく読めないのだ。入院した母親のため、もしくは仕打ちに対する罪悪感からなのだろうけれど。

 それらを感じさせず、極自然に弟扱いしてくる兄姉に菜月は疎ましさと同時に困惑の念を抱いてしまう。

「何を目論んでいるんだか」
 
 兄姉の心情をまったく読めず、菜月は長ったらしい溜息をついた。

 寝巻きからローブへと着替え、紐ベルト結んでいると起床したカゲっぴが欠伸を零し、目を擦りながらお腹減ったと腹を擦る。

「カゲっぴ、何か食べたい」
「はいはい。ちょっと待ってね」

 菜月は微苦笑を零し、紐ベルトをしっかりと結んだ。 
 小鬼ぃズのカゲっぴはうっかりと聖界に戻ってしまう菜月の影に入ってしまい、ここ聖界にやって来てしまった。

 影鬼の子供といえどもカゲっぴは魔物であり魔界人。聖界人に見つかれば殺されかねない。

 慌てた菜月はカゲっぴを人間界に帰せる方法が見つかるまで匿い、極力自分の影、もしくは自室にいるよう指示した。

 自室ならば魔力が使えないよう封じられているため、カゲっぴの魔力が外に漏れることはない(魔界人と聖界人の魔力は異なるのだ)。
 



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あきゅろす。
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