06-20
市場から戻ると、待ち構えていた千羽が優しいカミナリを落としてきた。
曰く、専属監視役を放って何をしていたのだ。晴天が戻るまで、自分は持ち場に戻れなかった、とのこと。
努めて優しいカミナリを落としたのは、抱っこをしている流聖が原因だろう。子どもの前ではつよく叱り飛ばず、口元を引き攣らせながら説教を垂れてきた。
幸い、鳥羽瀬と七蓮はいなかった。
晴天が不在の間、千羽が専属監視役を務めていたのだろう。
「あとで覚悟しとけよ晴天隊員」
耳打ちされた声はどすが利いていた。
それだけ持ち場から離れてしまっていたことに気づき、晴天は誤魔化し笑いを浮かべるしかない。やってしまった。
リビングキッチンでは菜月がレラーンズの生地を千切り、長い麺棒で生地を伸ばしていた。
千羽の怒りに苦笑しつつ、「おかえりなさい」と声を掛けてくる。
それはいつもの菜月であった。何事もなかったかのように受け答えしてくるので、少々さみしい思いをしたが想定内の反応であった。
千羽が持ち場に戻ると、晴天は専属監視役に復帰する。
罪びとである異例子を見張り、再教育するために聖界の常識を教えた。
その傍ら、レラーンズ作りを子どもと一緒に手伝った。大はしゃぎで生地にコクリの実をのせる流聖は、早く食べたいと菜月にねだっていた。出来立ては美味しいぞ、と晴天が声を掛けてやると、流聖は待ち遠しいともろ手をあげた。
レラーンズをオーブンで焼いている間、流聖は小さなあくびを噛み締めて鬼夜柚蘭の部屋に行くと申し出る。
どうやらはしゃぎ過ぎたようだ。
眠そうな目をこすり、レラーンズが出来上がったら呼んでね、と頼んでくる。眠たいのであれば、菜月のベッドの方が良い気もするのだが、曰く「柚蘭の部屋に入る許可は得ていますので」
しかし子どもは部屋で眠るのではなく、おりがみをしたいと口にした。
「菜月お兄ちゃん。おりがみで遊んでいい?」
「いいよ。柚蘭の部屋におりがみは置いてあったよね」
「うん、昨日もおりがみしたから置いてある。今日こそツルさんを綺麗に折るの」
おりがみは建前で、本当の目的は柚蘭の部屋に隠れているカゲっぴと遊ぶためなのだが、晴天はそれを知らない。
「菜月。おりがみってなんだ?」
「ああ、人間界の遊びなんですよ。紙を折って動物や星のかたちにして遊ぶんです」
鬼夜柚蘭の部屋に入って行く子どもを見送ると、晴天は後片付けをする菜月に目を向けた。
洗った型抜きやボウルを洗い終えた少年は、手早く珈琲の用意を始める。
ひと息つくための配慮だろう。人間界では店を開いていたこともあって、少年の淹れる珈琲はたいへん美味しい。いつも甘めに淹れてくれるので、なお美味しい。晴天は彼の淹れる珈琲が大好きだった。
「ほら」
テーブルにマグカップを置いた菜月が腰を掛けたところで、晴天は紙袋からユユの実を取り出した。
それは市場で買ってきたものであった。
晴天は目を丸くする菜月にそれを差し出すと、「食っとけ」と言って微笑む。
「お前は体調を崩しやすいからな」
「ユユの実……高かったんじゃ」
「レラーンズのお礼だよ。菓子を作ってもらってばっかりも悪いからな」
「じゃあ、お言葉に甘えて。ありがとうございます」
ゆるりとユユの実を受け取る、菜月の手は『ルーセントの呪病』のせいで氷のように冷たい。
早いところ『ルーセントの呪病』が完治してほしい、と願わずにはいられない。
新種族については、晴天がどうこうできるものではないし、異例子の肩書きだって菜月は生涯背負い続けるだろう。晴天にできることは少ない。そう晴天なんぞ兄姉に比べたら、やってやれることが少ないのだ。
それでも、それでもだ。
晴天は異例子と呼ばれた少年に恋をした。
父親に種族変異させられて、母親に捨てられて、兄姉と長い間不仲で。
聖界の誰からも見下されている天使から生まれた最弱種族の人間、異例子の鬼夜菜月。
悪魔と恋仲になったという大罪を犯した罪びとを、晴天は心から愛している。想いだけは誰にも負けない。傍にいたい、この想いだけは。
たとえ、菜月が晴天の気持ちを拒んでも、晴天は想い続ける。
(もう逃げないさ)
その覚悟はとっくにできている。強くなると決めたあの日から。
だから。
「菜月。いつか、お前の愛した悪魔のことを詳しく教えてくれよ」
「……え」
予想していなかった言葉だったのだろう。
ユユの実を両親指で撫でていた菜月は弾かれたように晴天を見つめる。
晴天は繰り返す。菜月が心から愛した悪魔のことを、いつか詳しく教えてほしい、と。
菜月にとってどのような存在で、どのように出逢い、どのように過ごしていたのか、晴天はそれを知りたい。
知ったところで末路は「盛大に嫉妬する自分」なのだろうが、それでも菜月のことを知りたい晴天は言うのだ。悪魔を愛した異例子のことが知りたいから、どうか詳しく教えてほしい、と。
そして悪魔に想いを寄せた異例子ごと、どうか自分に託してもらいたい。
晴天はそれだけの覚悟を決めている。
たとえ、菜月が振り向いてくれなくとも。手を取ってもらわなくとも。選ばれなくとも、晴天は異例子を想う。
想う、それは晴天の自由なのだ。菜月にだって止める権利はないのだから。
その一方で伝えたい。
どうか好意を抱くことに対して恐れないでほしい。
菜月がふたたび誰かを好きになっても、誰も咎める権利はない。ないのである。
真摯に想いを伝えると、菜月はぎこちなくユユの実に視線を戻して返事する。
「晴天さんはやさしくて強い。思いやりがあって、こんな異例子にも親切にして下さる。それは貴方の魅力だと思います」
ちがう。
菜月が言うほど、晴天はできた天使ではない。
「だからこそ言います。晴天さん、もう責任を取る必要はないんですよ」
菜月の言うやさしさ、思いやり、親切はすべて下心からだ。
晴天は聖保安部隊のために行動をしているのではない。一個人の私情から異例子に接している。
やんわりと晴天の気持ちを拒絶する菜月に向かって吐露する。ずっとずっと、自分は後悔していた、と。
目を丸くする菜月に、「俺はいつも土壇場で臆病風に吹かれていた」と力なく微笑んだ。
「リャード山脈に飛ばされて、お前と彷徨ったあの三日間。俺はお前に言ったな。どうしても必要なら、情を通わせる相手に選んでほしいって」
言い放った言葉を晴天はずっと後悔している、と菜月に告げた。
どうしても必要なら、なんて、どうしてまどろっこしい言葉で伝えてしまったのか。
必要であってもなくても、情を通わせる相手に選んでほしい。それが本心だったくせに、晴天は臆病風に吹かれて、うやむやにしてしまった。菜月に選択肢を与えてしまった。
そのようなことを言えば、菜月は「選ばない」選択を取ると分かっていたのに。
「俺『が』選んでほしかったのにな」
だからというわけではないが、晴天は今の自分を打破したくて、武の勲章を取ろうと思い立った。
鬼夜螺月を目標にしたのも、彼のように頼り甲斐のある天使になりたいがため。
心身強くなれば、いつか異例子は晴天望を頼ってくれるやもしれない。選んでくれるやもしれない。手を取ってくれるやもしれない。
それが夢であっても、晴天は真っ直ぐ鬼夜菜月に想いが告げられる。臆病風に吹かれない自分が得られる。そんな気がした。
「いまの俺は未熟だ。何を言ったところで着飾った言葉しか送れない」
ゆえに心の底から送りたい言葉を送れない。
「だけど。いつか俺が『星』勲章を取ったら、その時はチャンスをくれないか?」
異例子と呼ばれた少年を見つめ、気持ちと実力が伴ったら告白させてほしい、と面と向かって気持ちを伝える。
たとえイエスをもらえなくても、異例子の支えになれなくても、見下され続けている異例子を想う者もいる。それを菜月に伝えたいと真っ直ぐ告げた。
くしゃり、と菜月は顔を歪める。少年は晴天の願いを拒んだ。
「晴天さん。俺は男であり、化け物であり、新種族です」
「知っているよ」
「悪魔に恋をした罪びとです」
「それも知っている」
「異例子は壊すことしかできない。晴天さんの努力してきた道を、愛した聖保安部隊を、積み上げてきた関係を、しあわせある未来を壊すことしかできない――俺は貴方を自滅させるような道に進んでほしくない」
それだけ異例子に向けられる眼は冷たい。
異例子は壊してきた。自分を生んだ母を、平和に生きてきた兄姉の日常を、安らかな祖父の生涯を。
偶然人間界で出会った悪魔に聖界人であることを隠して傍に居続けた結果、大けがを負わせた。心身に深い爪痕を残して、人間界に置いてきてしまった。しあわせにしたい者達はみんな不幸になってしまった。
分かっているのだ。不幸にしてしまうのは。
だから、いつも心がけておかなければならない。
「しあわせ」はいつか終わる。
「しあわせ」な内に異例子はみんなと距離を置くべきだ。家族として受け入れてくれる兄姉だって、ほんとうは距離を置いてやるべきなのに、自分は「しあわせ」の味を覚えてしまった。ああ、兄姉の母が退院するまでには離れないといけない。いけないのに、自分ときたらちっとも「しあわせ」が手離せない。
イケナイことだと分かっているのに。手放さないとイケナイことは分かっているのに。全部分かっているのに。
苦しそうに吐露する菜月を、見つめ、見つめて晴天はひとつ彼のことを知る。
異例子の心に負った傷は本当に根深いのだと。
あれほど仲良くしている兄姉ですら、いっしょに生きたいと願っている一方で、離れなければいけないと思っているのだから、まこと異例子の心の傷は深いのだろう。
恋愛であれ、家族であれ、誰であれ、好きになることに怯える少年に目を細めると、晴天は菜月の腕を力強く掴んだ。
泣きそうな声で懺悔する少年を見据え、「そんなんじゃ諦めないからな」と声を荒げた。
「誰かを不幸にする。傷つける。だから諦めろって言うなら俺は諦めない。ひとりになろうとするなよ」
「晴天さんは異例子のことを知らないんです。異例子は貴方が思っている以上に他人を傷つけている」
「お前は異例子のことを知らないんだよ。異例子はお前が思っている以上に他人を魅せている」
自分もそのひとりだと熱を入れて主張すると、菜月は途方に暮れたように晴天を見つめた。
無防備となった菜月に向かって晴天は繰り返す。
異例子と呼ばれた少年、鬼夜菜月は本人が思っている以上に他人を魅せている、と。
晴天の知る異例子は、純粋無垢で世間知らずの少年であった。
料理が上手で、意外と雑学に知識があって、動物や幻獣が大好きで。
いつも晴天の話を楽しそうに聞いてくれた。何回も繰り返し聞かせているツマラナイ仕事の話ですら、菜月は楽しそうに耳を傾けてくれた。だから晴天も嬉しくなって、もっと多くのことを話そうと心を弾ませた。
立場は監視役と監視対象。
聖保安部隊と罪びと。
天使と人間の皮をかぶった新種族。
何ひとつ折り合わない自分達だけど、それでも晴天は惹かれている。菜月の存在に。
「人間界で何が遭ったのか、俺には分からない。悪魔とどういう理由で恋仲になったのか、俺には知る術もない。過去に何が遭ったのか、俺には知る由もない。それでもこの半年で、お前がどういう奴か知ったつもりだ」
「せい、」
「しあわせに怯えてもいいさ。その分、俺が傍にいて、それを逃がさないように掴み続けてやるから」
しあわせが手離せない? 当たり前ではないか。
みんな「しあわせ」になりたいものだし、それを手離して「不幸」になりたい奴なんていない。
他者を不幸にしてしまった負い目があるのか、菜月はどうも自分は「しあわせ」になってはいけない、と無自覚に思っているようだが……冗談ではない。
晴天は菜月が「しあわせ」になってもらわなければ困る。不幸に傷付くだけの菜月を見るなんてごめんである。
顔をくしゃくしゃにする菜月に微笑むと、「いまの俺じゃやっぱりだめだな」と言って、少年の前髪をかきあげる。
「俺はもっと強くなる。お前の不安が拭えるくらいに」
その不安をすべて取り除くことはできないだろうが、支えられるくらいの天使になれたらいいと思っている。
誰かの未来を壊すことしかできない、と怯える少年の額と、己の額を合わせて、晴天はいま伝えられる想いを菜月にぶつけた。
「菜月、俺はお前にしあわせになってほしい。誰よりもさ」
一粒、二粒、三粒、晴天のローブに水滴が落ちてきたが、晴天は見て見ぬふりをした。
この気持ちに対する答えはまだ出さなくていい。
まだまだ未熟で臆病風に吹かれることが多い自分だから、答えを聞ける立場ではないと思っている。それこそ想いを伝えることだって。
だけど、いつか『星』勲章を取ったら、今よりもずっと強くなったら――その時は。
オーブンから香ばしい匂いが漂ってくる。
そろそろレラーンズが焼ける頃合いだろう。
晴天はオーブンに目を向けると、明るい声で菜月を口説いた。
「必ずお前の罪が許される日が来る。そしたら、俺の家でレラーンズを焼いてくれよ」
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