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06-17




 こうして流聖と暮らす日々が始まったわけだが、子どもの引き取り先はまだ未確定である。

 菜月が誘拐する宣言をしたのだから、菜月自身が引き取るべきだろうが、生憎自分は悪名高き異例子。しかも罪びとである。見張られる立場にある菜月があれこれ子どもの身の上を決めることは難しかった。
 兄姉が引き取るとも言ってくれたのだが、やはり彼らも異例子の家族。見張られる立場なので、意見を押し通すことは難しい。

 かと言って、流聖の気持ちを無視することもできない。
 相変わらず、子どもは両翼のある天使や大人に怯える。片方しか翼のない自分を見下してくるのだと、罵ってくるのだと、嘲笑ってくるのだと強い不安に駆られている。だから外に出たがる様子もなく、部屋で過ごすことに不満を持つこともなく、いつまでも菜月たちの傍に居たがる。

 愛情に飢えた子どもは無条件に甘えさせてくれる菜月たちを慕った。
 お兄ちゃん、お姉ちゃんと呼び、抱っこをねだり、遊ぼうと手を引いてくる。
 それは今まで出来なかった子供らしい行動であり、流聖にとって夢のような時間だろう。が、将来的なことを考えれば、子どもの視野は広げるべきだろう。兄姉はともかく菜月は許可なしでは外出ができないうえに、交流も極端に狭い。
 異例子の保護下にいるとなれば新たに差別されるやもしれない。
 流聖の将来を潰してしまう可能性も十二分にある。

 ゆえに族長の菊代は、異例子の保護下にすることを快くは思わなかった。
 無論、子どものつらい境遇は理解しているので、少しずつ環境の変化に慣れていくよう訓練させるべきだと意見した。
 そこでまずは様子見で三ヶ月ほど菜月たちの下で暮らし、子どもの傷心を癒すことに注力すると方針を定めた。異例子と流聖をむやみやたらに引き剥がさないのは、菊代の慈悲であった。

 もちろんこれは流聖には内緒だった。
 子どもは自分を攫った天使たちとずっと暮らせると思っているのだから。


「菜月お兄ちゃん。なに作っているの? もうすぐ聖保安部隊のお兄ちゃんが来るよ」

 仕事に行く兄姉を見送った菜月は洗濯を終えると、キッチンに立って生地作りを始めていた。
 ひょっこりと手元を覗いてくる流聖は、ボウルに粉を注ぐ菜月を見上げると、「お菓子?」と尋ねてきた。
 菜月はうんっとひとつ頷くと、今日の専属監視役の好物「レラーンズ」を作るつもりなのだと微笑んだ。これを作ると彼は飛び切り上機嫌になるので、作り側としても作り甲斐があるのである。

 専属監視役については流聖にも簡単に説明している。
 未だ大人に怯えることが多い流聖だが、聖保安部隊とは少しずつ距離を縮めている。
 菜月と一緒に聖保安部隊が教える学びを受けることもしばしばだ。

 ちなみに流聖が最も心を開いているのは千羽副隊長である。
 流聖は彼が与えてくれた優しさを覚えており、司お兄ちゃんと呼んで懐いている。千羽も誰より流聖の身を案じているので、双方が仲良くなるのは必然であった。
 しかし今日ここを訪れる専属監視役は晴天である。
 流聖は少しがっかりするだろうが、晴天のことだって嫌いではない。
 晴天が部屋にやって来ると、しっかり挨拶をしていた。

「お、今日も元気そうだな流聖。ここの生活には慣れたか?」
「うん。ぼく、菜月お兄ちゃんと暮らせてすごく楽しい」

 カタテンだけど、怒ることもぶつことも無い。
 それどころか、菜月や兄姉は左翼しかない流聖が良いと言ってくれたので、いまの暮らしはとても楽しいと流聖。
 みんな遊んでくれるし、ご飯をくれるし、あったいお布団をくれる。大好きだと言ってくれる。夢みたいな毎日だと笑い、子どもは晴天の腕を引いて、「菜月お兄ちゃんがお菓子を作ってるよ」とキッチンを指さした。
 コクリの実の薄皮を剥いていると、隣に立った晴天が「レラーンズじゃないか」と上機嫌になる。
 大当たりだと笑みを返す菜月は、今日のおやつにしたいのだと言って、コクリの実の薄皮を一つ一つ丁寧に剥く。

「コクリの実を洋酒に浸ける際、お砂糖は多めに入れますね。晴天さんは甘味が強い方が好むでしょうから」
「ああ、そうしてくれよ。やっぱりレラーンズにはコクリの実だよ」

 子どものように喜ぶ晴天がコクリの実に手を伸ばす。
 そして一緒に薄皮を剥き始めたので、流聖も見よう見真似で薄皮を剥き始めた。
 上手に薄皮を剥くと流聖に「その調子だよ」と言って褒める。それだけで流聖は満面の笑みを浮かべて、一生懸命にコクリの実の薄皮を剥いた。認められてうれしいのだろう。

「お兄ちゃん。レラーンズはすぐ食べられる?」
「ふふっ、生地を寝かさないといけないから、おやつは三時過ぎかな。生地を寝かせている間、俺といっしょに晴天さんにお勉強を教えてもらおうね」
「うん。晴天お兄ちゃん、今日は何を教えてくれるの?」
「聖界の幻獣についてだよ。聖界には危険な幻獣もいるから、ちゃんと学んでおかないとな」

 幻獣という単語に目を輝かせた流聖は、ペガサスやグリフォンについて知りたいと笑った。
 西区の図書館に行く途中で見かけたことはあるが、じっくり見たり、触ったりしたことはない。お勉強がとても楽しみだ。そう言って流聖は張り切って薄皮を剥く。
 菜月はそれにひとつ微笑むと、コクリの実はふたりに任せて、レラーンズの生地作りに戻った。

「菜月。最近ちゃんと薬を飲んでいるんだってな」
「うっ……なんでその話を知っているんですか」
「さあ。なぜでしょう」

 ぎこちなく振り返ると、晴天がいたずら気に肩を竦めてくる。
 心当たりがあるとすれば千羽だろうか。彼は流聖とたいへん仲が良いので、流聖が自慢したのだろう。
 視線を落とすと、誇らしげに見上げる流聖が「今朝もちゃんとお薬を飲んだよ」と晴天に報告した。

「菜月お兄ちゃん、すぐ洗い物とかお洗濯物をやろうとするんだ。お薬を飲んでからでもできるのに」
「それは菜月お兄ちゃんが悪いな。お薬を飲むお約束は守らないと」
「うん、ぼくがしっかり教えてあげるの」
「はは。言われてるぞ菜月お兄ちゃん」

 からかってくる晴天に軽く舌を出すと、菜月は手早くレラーンズの生地をボウルから取り出してそれを丸める。

 その横顔を優しく見つめる晴天に菜月は気づかなかった。
 レラーンズの生地を寝かせる間も、コクリの実を洋酒と砂糖に浸ける際も、使用した調理器具を洗っている時も。
 学びの時間も晴天の視線は柔らかいものであったが、菜月は流聖に声を掛けたり、いっしょに本の挿絵を眺めたり。けれど時折、晴天の視線に気づくと、菜月は彼に微笑んで話し掛けた。それによって晴天の眼に宿る優しい光が強くなる。
 やはりそれに気づけない菜月であったが、傍で見ていた子どもは敏感にその空気を感じ取っていた。

 だから、子どもはとんでもない発言を口にした。

 それは正午過ぎのこと。
 菜月は晴天と流聖に見守られるかたちで、午前の巡回に訪れた聖保安部隊に異常がないかどうか検査を受けていた。
 午前の巡回メンバーは流聖が一番慕っている千羽副隊長と七簾、そして鳥羽瀬の三名であった。いつもは二名なのだが、野暮用があるらしく今日は三名が部屋を訪れた。
 なんてことのない検査の時間だったが、流聖はそれぞれ聖保安部隊に目を配った後、晴天にこのようなことを尋ねた。

「ねえねえ。晴天お兄ちゃん」
「んー?」
「どうして菜月お兄ちゃんは、いつも検査を受けているの?」

 丁度、晴天は流聖が書き写していたノートに目をやっていたのだが、子どもの疑問に困った顔で目を泳がせる。

「……それは菜月お兄ちゃんが悪いことをしたからだよ」
「菜月お兄ちゃん優しいよ? それでも悪いお兄ちゃんなの?」
「ああ、そうだよ」
「異例子だから悪いの? じゃあ、ぼくも悪い子だよ。片方しか翼がないんだから」

 素朴な疑問を投げる流聖は、自分は完璧な天使ではない、と訴えた。
 だから検査とやらを受けないといけないのでは、と意見するが、晴天は流聖はカタテンでも良い子だと返事した。
 まったく納得していない流聖は「菜月お兄ちゃんはお外に出られないんだよね?」と続けざまに疑問を投げる。
 それは異例子だから悪いの? 異例子は天使から生まれた人間、だから外に出てはいけないの? だったら自分も一緒だよ、と悲しげに眉を下げる子どもの言葉に敏感に反応したのは、副隊長の千羽であった。

 千羽は部下に菜月を任せると、流聖の前で片膝を折った。

「流聖。異例子はな、やっちゃいけないことをしちゃったんだよ」
「やっちゃいけないこと? 菜月お兄ちゃんは何をしたの?」

 間を置いて、千羽は答える。

「悪魔を好きになったんだよ。流聖も知っているだろう? 魔界人と聖界人は繋がっちゃいけないって」

 うんっとひとつ子どもは頷く。
 教科書にも書いていた、と言って流聖は菜月をじっと見つめる。
 ローブを着直す菜月は何も答えず、ただ微笑みを返した。聖界の掟を破ったのは本当のことである。
 ただ、それに対して罪の意識はない。どのようなことを吹き込まれても、やはり菜月は悪魔と繋がったことに感謝したい。彼女のおかげで、自分は生きる意味を持てたし、他人と生きる楽しさを知ったのだから。
 子どもは菜月から千羽に視線を戻すと、「それは悪いことなの?」と首を傾げる。

「悪魔を好きになる、それは悪いことなの? ぼくは菜月お兄ちゃんが大好きだよ。これも悪いことなの?」
「流聖が異例子を好きになることは良いことだよ」

「じゃあ、どうして悪魔はだめなの? お兄ちゃんは悪魔を好きになって誰かを傷つけたの?」

 ちっとも分からない、と子どもは眉を顰めた。
 誰かを好きになることは良いことじゃないのか。
 自分は異例子や異例子の兄姉、聖保安部隊のみんなが好きだ。優しくしてくれるみんなと、いっしょにいてふわふわと楽しい気持ちになる。叔父伯母の家にいるよりもずっと、ずっと幸せだと思える。
 好きになる。それはとても素敵なことではないのか。子どもが首を右に左に傾げた。
 千羽はそうだな、と相づちを打ち、きっと誰かを好きになることは素敵なことだと返事した。

 それでも悪魔や魔界人を好きになったり、繋がりを持つことは大罪なのだと聡して、千羽は子どもの頭を撫でた。それが聖界の掟なのだから、と言葉を添えて。




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あきゅろす。
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