06-16
このように少しずつ兄姉達に心を開いた流聖だが、一番はやっぱり菜月が良いようだ。
食事の用意をしていたり、掃除をしていたり、洗濯物をしていると、ひょこひょこと菜月の後ろをついて来る。
「菜月お兄ちゃん。あのね、えっとね」
その日、風呂に向かっていた菜月は流聖から声を掛けられ、廊下で足を止めていた。
言いたいことは分かっていたが、菜月はしゃがんで気長に流聖の言葉を待つ。子どものペースに合わせて、気持ちを伝えさせた方が良いと思った。これは祖父が自分にしてくれたことだ。
もじもじと指遊びをして、自分なりに言葉を探す流聖は菜月をちらちらっと見た。
「ぼく、お兄ちゃんとね」
「うん」
「お風呂……いっしょに入りたい」
「ふふ、俺も流聖といっしょにお風呂に入りたいと思っていたんだ。いっしょに入ってくれる?」
「うん! 入ってくれるよ!」
抱っこしてやれば、嬉しそうに抱きついてきた。
すっかり甘えん坊さんになっている流聖だが、菜月はそんな流聖が可愛くて仕方がなかった。
こんなにも慕ってくれる子どもを邪険に誰ができようか。螺月が弟バカになる気持ちが少しだけ分かった。できるだけ流聖が求めている愛情や優しさ、ぬくもりを与えたいと思った。
けれども。
悲しきかな、菜月の体がついていかないことがある。
菜月は『ルーセントの呪病』を患っており、体調を崩しやすい体はすぐ熱を出してしまう。
どんなに気持ちをつよく持っても、体がついていかず、眩暈と頭痛に悩まされることがしばしばあった。
ようやっと流聖が生活に慣れてきた頃、菜月は高い熱を出してしまった。
ベランダで洗濯物を干していると、立てないほどの眩暈に襲われ、その場が動けなくなってしまったのである。一生懸命手伝ってくれていた流聖は菜月の異変に気づき、大慌てで中にいる兄姉を呼んだ。
「螺月お兄ちゃん、柚蘭お姉ちゃん。菜月お兄ちゃんが立てなくなっちゃったっ」
たまたま休日だった柚蘭と螺月は血相を変え、菜月をベッドに押し込んだ。
そして揃って耳が痛くなるほど注意した。
「テメェ、また薬を飲まなかったなッ?! あれほど毎日飲めって言っているのに」
「自分のことを後回しにする癖はやめなさい菜月。今日はベッドから出たらダメよ」
「ごめんってば。これから気を付けるよ」
「何度目だよ。その言い訳」
「いい加減、約束は守ってほしいわ菜月」
あれこれ菜月を叱り飛ばす兄姉を目にした流聖は、ふたりに聞いた。
「菜月お兄ちゃん。ご病気なの?」
「ええ、そうなの。ちょっとしたことでもお熱を出しちゃうから、お薬は毎日飲んでほしいのに」
「菜月の奴、すぐ薬をサボっちまうんだぜ? 流聖からも叱ってくれよ。菜月お兄ちゃん、ちゃんと薬飲んでよってさ」
流聖は苦しげに呼吸を繰り返す菜月を目にして思うことがあったようだ。
画用紙に日付と朝昼晩の枠を作ると、熱が下がった菜月に、「今日からぼくがお水とお薬を持ってくる」と言ってそれを見せた。
お手製の薬管理表を作った流聖は、根っからの優しい子なのだろう。
お薬を飲んだかどうかはこれで分かるよ、と言った。お兄ちゃんが熱を出したら、ぼくが看病する、と言葉を添えて。
流聖を失望させるのは本意ではないので、その日から菜月は流聖の薬管理表に世話になることになった。
薬を飲んだら、枠内に〇をつけるだけの簡単な表であったが、流聖は薬管理表を使ってくれることに嬉しそうであった。
ただ。
「菜月お兄ちゃん。お薬の時間過ぎてるっ!」
「ごめんごめん。洗い物を終えたら飲もうと思ったんだけど」
「だめだよ。お兄ちゃんはお病気なんだから、決まったお時間に薬を飲まなきゃいけないよ。螺月お兄ちゃんが言っていた!」
「うーん、いま飲まないとだめ?」
「だめ! 柚蘭お姉ちゃんと螺月お兄ちゃんに言っちゃうよ」
「うう、それは困るな。二人ともお説教が長いんだよ」
薬管理表を作ったことで、流聖から熱心に薬を飲むよう言われるようになってしまった。
少しでも飲むことをサボれば、流聖はだめだよ、と叱ってくる。それだけならまだしも、柚蘭や螺月に告げ口してしまう。
兄姉にばれたら最後、耳が痛いお説教を食らうので、黙っておいてほしいのだが、残念なことに流聖は兄姉の味方になってしまった。
そう仕込んだのが螺月なのだから、たいへん頭が痛い。
「流聖。菜月は薬を飲んでいたか?」
「うん、ちゃんと飲んでた。〇も付いているよ」
「おー、飲んでる飲んでる。流聖のおかげでサボらなくなったな」
「朝は飲むのサボろうとしていたけど、ぼく叱ったんだ」
「まあ菜月お兄ちゃん。またサボろうとしたの? いけない子ね」
「弟に怒られちゃあ、兄ちゃんの立場がねえな?」
「はああ。みんなして叱ってくるの、どうにかならない?」
「テメェが悪い」
「菜月が悪いわ」
「お兄ちゃんがお薬を飲んだらいいんだよ」
夕飯の恒例行事となってしまっているので、まったくもって、もう肩身が狭い。
『ルーセントの呪病』に伴う「暖」のぬくもりの共有も、流聖は進んでやってくれた。
朝は姉が、平日の昼間は聖保安部隊が、そして晩は兄がぬくもりの共有をしてくれるのだが、流聖も引っ付いてぬくもりの共有をしてくれる。『ルーセントの呪病』は他人のぬくもりを求めて奇行に走ることもあるので、ぬくもりの共有をしている間は、流聖と距離を取りたかったものの、菜月は子どもの気持ちを汲んで好きにさせた。
下手に距離を置いてしまえば、きっと子供は傷ついてしまう。それは避けたかった。
もし自分が奇行を起こそうものなら、傍にいる者達が止めてくれるだろうと判断してのことだった。
ああ、早いところ、『ルーセントの呪病』を治したい。
これのせいで菜月は子どもの願いをひとつ叶えられずにいる。
「流聖。そろそろ寝ましょう。おいで」
夜になると、柚蘭が流聖を手招いて、自分のベッドに子どもを入れる。
最初の頃は菜月のベッドに子どもを入れていたのだが、いつの間にか『ルーセントの呪病』が悪化してしまったので、やむを得ず柚蘭に流聖を任せている。流聖は誰よりも菜月を慕っているので、いっしょに寝たい気持ちが強くあるようだが、病を患っている菜月を気遣い、柚蘭と一緒に眠るようになった。
柚蘭と眠ることに抵抗はないようだ。きっと手に入らない母親のぬくもりを噛み締めているのだろう。
「おやすみ。螺月お兄ちゃん、菜月お兄ちゃん」
手を振ってくる流聖に手を振り返した菜月は、子どもが扉の向こうに消えると強い寒気に顔を顰めた。
顔を真っ青にして咳き込むと、同室の螺月が背中をさすってぬくもりの共有をしてくれる。
「ったく、ちとは自分の体を大事にしろよ。悪化しちまっているじゃねえか」
「無理をしているつもりはないよ。だけど、ちょっと張り切っているのかもしれない」
「ンなの見てりゃ分かるっつーの。それに叱るつもりはねえが、もう少し、俺達を頼ってもいいんじゃねえか?」
菜月にとって流聖はカワイイ弟だろうが、螺月にとっては菜月も流聖もカワイイ弟なのだから。
当たり前のように流聖を弟として受け入れる兄に頬を緩めると、「螺月や柚蘭には甘えてばかりだよ」と返した。
「ふたりが俺にたくさん世話を焼いてくれるから、俺も真似したくなっちゃってるのかもしれないね」
「真似た結果、お前が倒れてみろ。俺はもっと世話を焼き始めるぞ」
「螺月の弟ばかが少しわかったよ」
「ばーか。こんなもんじゃねえよ、俺の弟ばかは」
「それ自慢して言うことじゃないと思うけど」
苦笑いを零す菜月に、覚悟しておけよと笑い、螺月は菜月が眠るまでぬくもりの共有をしてくれた。
どこまでも螺月は菜月の兄であった。
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