[携帯モード] [URL送信]
06-15




「――柚蘭、流聖はどう?」


 流聖を攫うと宣言した菜月は、宣言通り、子どもをアパートに連れて帰った。自分のベッドに寝かせ、子どもを休ませた。
 真実を言うと、聖保安部隊が流聖を保護しようとしたのだが、子どもが大層怯えてしまい、菜月に縋って離れようとしなかった。
 無理に引き剥がしてしまえば、子どもがパニックを起こして過呼吸を起こす。そんな状況に陥っていたのである。
 菜月の宣言は周りを呆れさせたり、ため息をつかれたりしたものの、咎める声は殆ど上がらなかった。

 一連の事件は聖保安部隊、力天使に昇格した螺月を中心に慌ただしくなった。
 まず流聖を追った初老の天使は現行犯逮捕された。未遂であろうが、子どもを斧で傷付け、殺そうとしたのだ。
 つよい殺意があると判断された男は、問答無用で聖保安部隊に連行された。

 事情聴取に同行した力天使のこと螺月によれば。
 初老天使のこと叔父は、流聖を殺害し、その翼をもいで闇市に売る予定だったと自白したそうな。
 表向きは“聖の裁き”を受けさせて、正しい天使にしようとしたが、その目的は正しい天使にしたうえで両翼を売り捌くことにあった。天使の翼は高価な魔具の材料になるので、カタテンと呼ばれた流聖を金にしようと目論んだらしい。
 もちろん引き取った当初はそんな気持ちなど、さらさら無かったが、周囲の差別的な眼が次第に叔父伯母の心を歪ませ、迷惑料として流聖を金にしてやろうと思い立った。

 これが事件の真相だという。
 ひどい話だ。流聖だって好きでカタテンになったわけではないのに。
 叔父伯母はその後、罪に問われて両翼をもがれる刑罰を受けるのだが、それを菜月が知るのはずっと先のことである。

 流聖は虐待に近いことをされていたようで、医者に診せると栄養が足りていない、と顔を顰められた。
 ろくに食事を取らせてもらえなかったのだろう。
 菜月と千羽が流聖に出逢ったあの日も、お腹を空かせていたのだから。

 本当は大きな病院に入院させた方が良いと助言されたものの、事情を聴いた医者は子どもの待遇を聞くと、最低でも目覚めるまでは異例子の傍に置いた方が良いと判断した。

 大人に暴力を振られていた少年にとって、見知らぬ場所は恐怖でしかない。
 病院に置いておけば最後、目が覚めた瞬間、気が動転するやもしれない。
 ゆえにせめて気が落ち着くまでは異例子の傍に置いた方が良い。異例子の傍には治療魔法に長けた四天守護家の天使や、医療の知識をかじっている聖保安部隊もいるので、その方が良いだろう、と厳かに伝えてきた。

 流聖は酷い怪我を負っていた。
 左翼は根元から折られており、頭は八針縫う怪我を、右腕の骨にはヒビが入っていた。
 それに伴って高熱を出してしまい、三日ほど熱に魘されている。

 献身的に看病していた菜月は一向に目を覚まさない流聖を心配し、治療魔法に長けている姉に容態を尋ねた。
 それが冒頭に繋がる台詞なのだが、柚蘭はすり潰した薬草を流聖に呑ませながら、「大丈夫よ」と菜月を励ました。

「衰弱しているけど、命に別条はないわ」
「ほんとう?」
「ええ。大丈夫。なかなか目が覚めないのは、体が休息を求めている証拠ね」
「……医者は栄養失調だと言っていたよ。目が覚めたら、クミン粥を食べさせてあげたいな」

 子どもの頭を撫でると、ぬくもりを求めるようにすり寄ってきた。
 ああ、本当のこの子は孤独だったのだろう。菜月は流聖の腹を優しく叩いてやる。

「勝手に子どもを攫ったこと、柚蘭は怒ってる?」

 菜月は柚蘭に尋ねる。
 異例子の思いつき行き当たりばったりは、兄姉の負担を増やすだけだと頭では分かっていた。
 それでも流聖を連れて帰らない選択はなかった。どうしても見逃せなかったのだ。この子は昔の自分によく境遇が似ていた。

「貴方が攫う宣言をしなかったら、私か螺月がしていたと思うわ」
「え」
「似ていると思ったの。昔の菜月に……境遇も、差別も、ひとりで孤独に闘っているところも」

 確かに似ている。
 だから菜月は流聖を連れて帰る決断をした。

「菜月が母から暴力を振られていたことを、ふと思い出したわ」
「昔のことだよ」
「私達は見て見ぬふりをしていた」
「それも、昔のことだ」

「ごめんね菜月」
「ばかだな。柚蘭と螺月はどうしようもない異例子を愛してくれているじゃないか」

 過去を清算すると決めたのだから、菜月は昔のことをとやかく言うつもりはなかった。
 菜月は決めているのだ。今の柚蘭と螺月をしっかり知って、見て、いっしょに生きようと。
 だから、そう、だから。ふたりには責任を感じてほしくない。

「俺だって柚蘭や螺月をたくさん傷付けてきた」
「そうだったかしら」
「そうだよ。でも二人とも俺を許してくれた」
「貴方もそうよ。私達を許してくれた」

「ねえ柚蘭――俺が柚蘭や螺月を愛している、と言ったら笑う?」

 柚蘭に問う。
 姉はひとつ笑うと、「いっしょに笑いましょう」と言って額を合わせた。
 うん、これでいいのだ。自分達は過去を踏み台にして前を向こうと決めた。だから昔のことは言いっこなしだ。


 翌日の夕方、流聖は目を覚ました。
 目が覚めたばかりの子どもは状況が呑めていなかった。
 見知らぬ天井、ベッド、風景に戸惑い、痛む体を無視して起き上がった。部屋から出ようとした。逃げようとした。
 丁度、夕飯の支度を終えた菜月が部屋に入ると、流聖は慌てふためきながら頭を抱え、その場にしゃがんでしまった。大人にぶたれると思ったようだ。そこで菜月は「捕まえた」と笑いながら、流聖を抱っこした。

「流聖。おはよう」

 ひっ、小さな悲鳴を上げる流聖は身を小さくする。
 構わず菜月は言葉を重ねた。

「お家には帰さないって言ったでしょ。ベッドに戻ろうね」

 捕まった流聖は大人の正体が菜月だと気づくと、ぐるりと周りを見渡して「ゆめじゃない」と呟いた。
 攫われたことも、異例子に再会したことも、叔父から逃げ切れたことも、ぜんぶ夢じゃない。

「それともこれもゆめ?」

 流聖が菜月に問うと、「逃げられなかったから夢じゃないね」と笑った。

「流聖は異例子に攫われた。今日から君は俺の弟だ」
「おとうと……ぼくカタテンだよ」
「俺はカタテンの流聖が良いよ。カタテンだから攫ったんだ」

 頭を優しく撫でてやれば、それだけで流聖は涙目になった。
 そっと頬を寄せてやると、大声で泣きじゃくり始める。ゆめじゃない。これはゆめじゃない。攫われたことが嬉しい、こんなにも嬉しい。もうあの冷たいお家に帰らなくていいんだ。怖い思いをしなくていいんだ。
 そう言って子どもは声を出しながら泣いた。
 そんな子どもを、菜月は優しくあやすことしかできなかった。痛いほど子どもの孤独が伝わってきた。


 日が暮れる頃。
 泣き止んだ流聖のために菜月はクミン粥を皿に盛って運んだ。
 食べやすいように蜂蜜を入れて甘粥したところで、匙でそれを掬って、小さく息を吹きかける。

「はい、流聖。口を開けて」

 流聖は物心ついた頃から優しさを与えられずに生きてきたようだ。
 菜月の差し出した匙に目を見開き、何度も自分と粥を見比べていた。
 当たり前のように自分で食え、と言われることを想定していたようだ。
 子どもが口を開くまで辛抱強く待っていると、流聖が恐々と口を開けて、それを食べる。

「お兄ちゃん。おいしい」
「良かった。このクミン粥は流聖のために作ったんだ」
「ぼくの、ため?」
「そうだよ。早く流聖の熱や怪我が治りますようにって願いを込めて作ったんだ」

 匙で粥を掬い、少し冷まして、流聖に差し出す。
 何度かそれを繰り返していると、流聖の方から口を開けるようになった。
 無条件に甘えても良いのだと気づいたようだ。子どもが菜月を試すようにそっと「お水が飲みたい」と言ってきた。顔色を窺ってくる流聖は、本当に昔の自分によく似ている。
 菜月は水差しを持つと、流聖の口元に運んだ。

「流聖。ゆっくり飲むんだよ。いきなり飲むとお腹がびっくりするからね」

 子どもに水を飲ませ、クミン粥を半分ほど与えたところで、ベッドのうえに寝かせる。
 ポンポンと腹を叩いてやると、流聖は毛布に包まったまま菜月にすり寄ってきた。頭を撫でると、気持ちよさそうに目を細めて笑う。

「お兄ちゃん。お傍にいてね」
「いるよ。流聖が眠っても、目が覚めても、ここに俺はいる」
「ほんと?」
「うん、ほんと」
「おまじないがなくても、お兄ちゃんはぼくの傍にいてくれる?」
「異例子に攫われたんだから、流聖は俺の傍にいてくれないと困るなぁ」

 もうお家に帰さない、絶対に帰さない、と宣言すると、流聖は幸せそうにひとつ頷いた。

「お兄ちゃん。手を繋いでいい?」
「異例子と手を繋いでくれるなんて、流聖はいい子だね」
「どうしていい子なの?」
「悪い子のお兄ちゃんと手を繋ぎたいと思うひとは、なかなかいないからね」
「そんなことないよ。ぼくはお兄ちゃんと手を繋げて、すごく嬉しいもの」
「ふふ、やっぱり流聖はいい子だね」

 流聖を優しく褒めて、小さな右手を握る。
 子どもは両手で菜月の左手を掴むと、「ぼくお家に帰らない」と言って、ふたたび眠りに落ちた。
 それは、とても、とても安心しきった寝顔であった。菜月はあどけない顔で眠る子どもに微笑み、そっと毛布を引き上げて肩から掛けてやった。


 流聖の目が覚めたことは大きな前進であったが、大きな壁にもぶつかった。

 どのような壁にぶつかってしまったのか。
 それは流聖が菜月以外の大人に過剰な怯えを見せることであった。
 流聖は度重なる暴力や差別に独りで耐えて過ごしていたようで大人、特に両翼のある天使に恐怖していた。左翼しかない流聖は両翼ある天使たちから何度も比べられ、見下されていたのだろう。
 兄姉の柚蘭や螺月はもちろん流聖を保護したい聖保安部隊を恐れ、震え、狂ったように菜月に助けを求めた。近くに寄るだけで大パニックとなった。

 聖保安部隊が保護したい旨を知ると、部屋を割る勢いで大泣き。
 ぼくはここにいたい。異例子に攫われたんだからここにいる。ずっとここにいる。悪い子になってもいい、と赤子のように泣いた。
 出逢った頃は物分かりの良い子であったが菜月の優しさに触れ、甘えられる居心地の良さを知ったことで、飢えていた幼い心がむき出しになってしまったのだろう。
 菜月もその昔、祖父に向けて似たことをしたことがあったので、流聖の我儘には理解ができた。

「ははっ。怪獣みたいな泣き声だな」
「元気になっている証拠だろう。しかし困ったな。聖保安部隊より異例子が選ばれてしまうなんて」

 軽い口ぶりで話す郡是と千羽はあまり困っている様子はなかった。
 おおよそ、こうなることを予知していたのだろう。
 事件の対応もあるので、そちらを優先にしつつ、流聖の身の上はこれからゆっくり話し合おうと提案した。

 兄姉もまずは自分達の下で過ごした方が良いだろう、と判断して流聖を歓迎した。

「こりゃまた手の掛かりそうな弟ができちまったな。どうするよ柚蘭」
「やんちゃな螺月や菜月を看てきたんだもの。一人増えたくらい、平気よ」
「へえへえ。どうぞ俺達を世話してくださいな。お姉さま」
「ふふ、お任せくださいな」

 そのような会話をしていた。
 完全に熱が下がっても、流聖は両翼のある天使に怯え、自分の未熟な左翼を隠すように毛布に包まっていた。
 ほとんど菜月のベッドのうえで過ごすことが多く、菜月の姿が見えなくなると、不安のあまりに泣くことが多々あった。
 しかし、そんな流聖を柚蘭も螺月も咎めることもなく、何かあれば遠慮なく言えばいい、と声を掛け続けた。どのような態度を取っても、優しい微笑みを向けられるので子どもは怯えから、少しずつ戸惑いに変わった。

「どうして、ぼくに優しくしてくれるの? ぼくはカタテンだよ」

 初めて流聖から兄姉に声を掛けたのは、純粋な疑問であった。
 子どもの問いに、螺月は「兄ちゃんだから」、柚蘭は「お姉さんだから」と答えた。

「俺達は異例子の兄姉だ。つまり、お前の兄姉になるってことだよ」
「異例子は化け物だと呼ばれているけれど、私達も化け物なの」
「お前は片方しか翼がねえ。俺達は翼こそあるが化け物。お互いに不完全な出来損ないだ」
「だけど、出来損ないを恥ずかしいと思わないでね流聖。貴方は素敵な子よ」

 流聖が柚蘭と螺月に心を開くまで、そう時間は掛からなかった。
 子どもが初めて自分の意思で菜月のベッドから下りた日、意を決してリビングキッチンに足を向けた流聖は仕事の支度をする兄姉に挨拶をした。恐々と、恐る恐ると、けれど勇気を持って声を掛けた。
 ふたりは当たり前のように「おはよう」と返事をして、「夕方には帰って来る」「いっしょにご飯食べましょうね」と笑った。

 流聖は有りの儘の自分が受け入れられたのだと理解し、それがとても嬉しかったのだろう。
 その日はみんなでご飯を食べてみたいと口にした。

 動けるようになって十日も経つと、進んでふたりに声を掛けて甘えるようになった。

 たとえば螺月と雑誌を読んだり、たとえばガーデニングをする柚蘭のお手伝いをしたり。兄姉の見送りをしたり、反対に帰って来る二人を迎えに行ったり。それはそれは兄姉によく懐いた。
 元々人懐っこい性格のようで、親しげに螺月お兄ちゃん、柚蘭お姉ちゃんと呼んでいた。

「おかえりなさい。螺月お兄ちゃん、柚蘭お姉ちゃん、ご飯食べよう!」
「ただいま流聖。今日の夕飯はなんだ?」
「コロッケだって! ぼくお芋をつぶしたんだよ」
「あら、お手伝いしたの?」
「菜月お兄ちゃんが上手って言ってくれたんだ」
「じゃあ、きっとおいしいコロッケね。楽しみだわ」

 またこっそり暮らしている小鬼のカゲっぴとも顔を合わせており、聖保安部隊に内緒にすることを条件に、カゲっぴと流聖は友達になっていた。
 カゲっぴにとっても嬉しいサプライズだった。遊び相手ができたのだから。




[*前へ][次へ#]

15/28ページ

[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!